いつものように音楽を聞きながら執筆をしていました。
執筆というのは、パソコンに向かってキーボードを叩くこと。
音楽はそのパソコンのモニターの下部に付いているスピーカーから聞こえてきます。
スピーカーと耳の距離は近く、そのため執筆中は音楽に包まれているといった感覚に。
私に音楽の才能はなく、音痴だし耳がいい訳でもありません。
謙遜しているのではなく、結構酷い有り様なんです。
高校生の頃、音楽の授業で教師がピアノを弾くので、それを楽譜におこせという難題が出たことがありました。
耳コピしろというのです。
教師は一音一音ゆっくりとピアノを弾いていきます。
全神経を耳に集めるかのごとく音と向き合いましたが、0点という惨敗の結果でした。
それは午前九時頃のこと。
スピーカーからの音楽に包まれている耳のセンスゼロの私が、「ぽちゃ」という音を拾いました。
「ぽちゃ」はあんまりスピーカーからは聞こえてこない類の音です。
大抵水関係の音。
しかもスピーカーとは反対の背後から聞こえてきた気がする。
が、私の耳はポンコツという自覚があるため、スルー。
5分後、再び「ぽちゃ」が聞こえてきました。
振り返ります。
背後にあるのは壁だけ。
「ぽちゃ」と呟く妖怪がいたりはしない。
と、ここで隣の部屋との仕切り扉に目がいきます。
隣は洗面所になっていて、水がある。
そっちか?
急いでその扉を開けると・・・床がびっしょびしょ。
作動中の洗濯機から水が漏れていました。
「ぽちゃ」は妖怪の呟きではなく、洗濯機から漏れた水が床に落ちる音でした。
呪いの言葉を上げながら、水を拭き取りました。
雑巾で吸い取り、絞ってバケツに捨てるを繰り返したら、2リットルぐらいの量になりました。
これだけの量が漏れていたのですから、結構前から「ぽちゃ」という音はしていたのかもしれません。
耳がポンコツで気付くのが遅れました。
ようやく音に気が付いた後も、自分の耳を信じられない私はスルーし、事態を悪化させてしまったようです。
今度よくわからない音が聞こえた時には、自分を信じてみようと思いました。
女だけの飲み会で、お題が出ることがあります。
以前出たお題が「生まれ変わって、男だったらなにをする」というものでした。
皆真剣に考えます。
「会社帰りに立ち飲み屋で一杯引っかける」「鳶になって、高いところをスイスイ歩く」「バンドをやって、女の子からキャーキャー言われたい」・・・といった答えが。
心理学者さんであれば、なんらかの解析をしてくれそうなコメントばかり。
で、私はといえば・・・ひげを生やしてみたい。
よし、俺はひげを生やすぞといった決意をするところから始めるんでしょうか。
次はどういうヒゲにするかで悩むのでしょうか。
ヘアスタイルの場合、ヘアスタイルブック的なものがたくさんあるので、それを熟読しどういった髪型にするかを考えるのですが、ひげの場合はどうなんでしょう。
ひげスタイルブック的なものはあるのでしょうか。
仮にそういうものがあって、この形にすると決めたとします
生やし始めてみると、思っていたのとちょっと違っちゃうというケースはあるのでしょうか。
なぜか変なところでカールしてしまうとか、密集度が足りないとか。
イメージしていたひげと、自分のひげの差に、どうしたらいいか困るといったことはないのでしょうか。
ナイスミドルな渋いひげを妄想しているのですが、実際は密集度が足りず、貧相なひげになるというオチが待っていそう。
手入れも大変そうですよね。
ただ生やしっぱなしというわけにはいかないでしょうから、常に同じ状態にするべく、毎日手入れをしなくてはいけない。
妄想だというのに、手入れの大変さに気が付いた途端メンドー臭くなってしまいました。
そこで、お題の答えを変更。
生まれ変わって、男だったらなにをする・・・新橋の駅前か日比谷公園で、缶コーヒーを飲みながら黄昏る。
職場で嫌なことでもあったのかなと、周囲に思わせるような雰囲気を醸し出して、ベンチに座ってみたい。
もしくは大森駅のキオスクの前で、カップ酒を飲みながら競馬新聞を広げ、また負けてしまった理由を考察してみたい。
さて、皆さんはどうですか?
生まれ変わって、男(女)だったらなにをしますか?
OLをしていた頃は、しっかりと曜日を把握できていました。
「あー、月曜かぁ」で始まり、「あと〇日頑張れば土曜日だ」で過ごし、「のんびりする週末」に辿り着きます。
フリーのライターになった時も、曜日を正確に認識できていました。
情報雑誌を担当していた時は、あちこち取材に行った後、自宅で決められた時間までに原稿を上げなくてはいけなかったため、曜日は勿論、時間も把握できていないと仕事になりませんでした。
作家になってから・・・曜日を捉える感覚を徐々に失いました。
そして今では「今日は何曜日か?」と問われたら、すぐには回答できない状態に。
特に水曜日と木曜日が苦手。
どこかで今日は木曜日と思って過ごしていて、さて、ゴミを階下のダストルームへ運ぼうという段になって、新聞を溜めてある引き出しを開ける。
と、いつもより溜まっていなくて、しばし固まる。
で、慌ててデジタル時計をチェックすると、水曜日と表示されていて、絶句。
今日は水曜日だったかと気付くのが、午後三時ぐらいだったりする。
それから手帳を開き、曜日を勘違いしていたせいで、どこかの誰かを困らせていないかを調べます。
土曜日と日曜日も難しい。
私が住んでいるエリアにはオフィスも多く、平日と週末では街の音が全然違う。
街の静けさは、部屋を閉め切っていてもわかるものなんですね。
で、静かだから週末ということはわかる。
とはいうものの、土曜日なのか日曜日なのかは、しっかりと把握はできない。
週末という意識はあるので、メールを出しても、返信は月曜日だなということはわかっている。
でも感覚としては「週末のどっちか」という程度。
このようになってしまったのは、曜日を意識しなくても暮らしていける環境になったから。
曜日の感覚というのは、常に意識していないと保ち続けられないものなんですね。
先日病院に行ったら、診察室からドクターの大きな声が聞こえてきました。
「今日は何年の何月何日で、何曜日ですか?」と患者に問うています。
待合室のベンチに座っていた私は、今日は・・・今日は・・・と必死で考えます。
私も同じことを聞かれたら、即答したいと思うからです。
年と月まではスムーズに出るものの、日にちが微妙。
4日か5日あたり? もしかすると、6日までいっちゃってるかもしれない。
日にちがそんなですから、曜日はさらに難しい。
マズイぞ。苦手な水曜日か木曜日あたりだぞ。
と、焦り出します。
で、早々に降参し、バッグから手帳を取り出して確認。
木曜日だったかぁと呟きました。
大丈夫でしょうかね、私は。
こんな私がもう一度、曜日を把握する感覚を取り戻すことはできるのでしょうか?
「いつ本を読むのか?」とよく聞かれます。
私はほぼ毎日半身浴をするのですが、その際本を読んでいますと答えます。
すると大抵「本がべこべこにならないか?」との質問が。
「なったことはありません」と回答します。
浴槽には二枚の蓋がありまして、その一枚だけを取り除きます。
一枚で覆えるのは浴槽の半分。
これが丁度良いデスク代わりになりまして、この蓋の上に本を置いて読んでいます。
以前住んでいた部屋にあったのはユニットバスで、蓋がなかった。
それでも半身浴と読書がしたかった私は、浴槽の縁に肘をのせ、本を持った腕をその縁で支えて貰って読んでいました。
これ、文庫だと楽勝なのですが、分厚い単行本だと腕がぷるぷるする。
腕を鍛えていると考えるようにして、毎日の読書タイムを過ごしていました。
これだと蓋がないため、本の真下が湯になり、その蒸気が思いっきりあたることになります。
それでも本がべこべこになることはありませんでした。
だからといって、この読書スタイルがオススメできるというわけではありません。
今から何年前のことでしょうか。
端末で本が読めると小耳に挟みました。
まず頭に浮かんだのは、それの防水対応はどうなっているのかということでした。
風呂場に持ち込むこと前提だからです。
やがてそういうものを自分の生活に取り入れた編集者が現れ出し、そうした話になる度、私は尋ねました。
「それ、防水対応はどうなっているの?」と。
すると「フツーぐらいじゃないですか」と、なんともいい加減な返事が。
「風呂場に持ち込んでも大丈夫かな?」と私が言うと、「それは無理じゃないですかね」と答えます。
フツーの中に風呂場は入っていない模様。
どうやら私の読書スタイルと、端末は相いれないと思っていたのですが・・・シートだか袋だかで端末を覆えるものが発売されたようです。
私のような人はそこそこいるのかもしれません。
独りじゃないとわかり、ちょっと嬉しかったです。
そのうち端末の種類が増え、また端末でできることが増えていきました。
そうなると私とは違う理由で風呂場に持ち込もうとする人が出始め、端末をラップで包んだり、チャック付きのポリ袋に入れたりと、それぞれが工夫をし始めたようです。
私はといえば、結局それまで通り、紙の本を風呂場に持ち込んでいます。
読書のスタイルの種類は増えました。
自分に合ったものを選択していただき、皆さんの読書タイムが増えたらいいなと思います。
「手の中の天秤」の電子書籍版が配信開始になりました。
ご自分のスタイルに合わせて文庫にするか、電子書籍にするかを選んでいただき、楽しんでいただけたらと思います。