幸せを

  • 2017年07月31日

幸せを感じる瞬間はいつか。
これは人それぞれですよね。

私の場合小説を書き終えた時です。
と答えたいところなのですが、残念ながら小説を書き終えた時幸福感に包まれたことはありません。
大抵ヘロヘロになっていて放心状態になっています。
登場人物たちが住んでいる星があって、小説執筆中の私はそこに特別に招かれている状態。
小説を書き終えた時というのは、彼らに別れを告げるタイミング。
バイバイと手を振りながら楽しかった日々を思い出し、もう会えない寂しさを感じています。
同時に安堵感もあります。
出来はともかく、彼らの暮らしを書き終えられたことにほっとするのでしょう。

それじゃ、幸せを感じる瞬間はないのか・・・いやいや、あります。
大好きな外郎(ういろう)を食べている時。
テキトーに作ったカレーが、奇跡的に美味しかった時。
人間ドックを受けて、なんの指摘も受けなかった時。
リサイクルショップにバッグの見積もりを依頼したら、予想より高い値段を付けられた時。
いつも鋏でカットしなくてはならないパンの袋を、さっと手で切れた時。
どうしようかなとずっと悩んでいた服が、セールで安くなっているのを発見した時。
目的地に迷わずに到着できた時。
前の晩に暴食したのに、体重が増えていなかった時。
鼻が詰まっていない時。

こうやって書き出してみるとちっちゃなことばっかりだなぁと思いますが、それで幸せを感じられるのですから、まぁOK。

最後の鼻が詰まっていない時について説明すると・・・私は1年中鼻が詰まっているのですが、ごく稀に「今日は詰まっていない」と感じる日がありまして、そんな時には「今日は鼻が詰まっていない記念日」にしようと思うほど、幸せな気持ちになります。
さっさと耳鼻科に行けって話なんですが、治療法をネットで調べてみると、最終的には手術ということになりそうで、それが嫌なばっかりにマスクをして寝たり、吸入器を使用したりして、自己流で状況を悪化させない努力をしています。

子猫が

  • 2017年07月27日

友人の家に遊びに行ったら・・・子猫が。
友人を仮にA子としましょう。
A子は最近独り暮らしを始めることになり、それがあまりに寂しくて猫と暮らそうと思い立ったそうです。
捨て猫を新しい飼い主に繋げるボランティア団体の紹介で、その子猫と知り合ったとか。

この子猫がウルトラ可愛い。
こんなに小さくていいんですかぐらいの小ささ。

その子猫は子どもだからなのか、それとも性格のせいなのかとても臆病。
部屋に敷いてあるラグの角にびびって、そこを踏み越えられない。
ラグの中央に座るA子に近付きたいのに、近付けずに悶々とする子猫。
やがてミーミーと鳴き出し、A子が抱き上げて自分の膝にのせると、さっきまでとは違った声音でミーミーと鳴く。
「あそこの角が怖かったんすよ。あれ、なんなんすか。マジであれ、勘弁して欲しいんすよ」と訴えるかのように。

「ビビりだねぇ」と私が言うと、「そうなんだよ」と頷くA子。
ふとこの猫は自分が猫だとわかってるのか? との疑問が浮かびました。
そこでA子に「この猫に鏡を見せてみようよ」と提案すると、そうしようと話がまとまって・・・手鏡を子猫に近付けてみました。

じっと鏡の中の自分を見つめる子猫。
と、突然くるりと背中を向けて部屋の隅に退避。
これは鏡の中の自分を敵、しかも勝てない敵と認識した上での行動なのでしょうか?
子猫は部屋の隅にうずくまり、怒るでもなく、怯えるでもなく、ただじっとしています。
「自分ほんとなんでもないんで。関係ないっていうか、誰にもなんにも言わないっすから」と心の中で呟いているように見える。

どうしてこの子猫を擬人化した際、チンピラ風になってしまうのかわからないのですが、目の前の未知なものと戦うこともせず、コミュニケーションをとろうともせず、現実逃避を選択したこの子猫の将来がちょっと心配。

猫とはパートナーとして暮らすので、猫に話し掛けたり自分をママと言ったりはしないと宣言していたA子。
ところが・・・「ママのところにいらっしゃーい」とまさに猫なで声で呼びかけるA子を見た時、彼女の将来もちょっと心配になりました。

椅子

  • 2017年07月24日

友人が一人暮らしする部屋。
初めてそこに遊びに行った時のこと。
キッチンとダイニングの間にちょこっと出っ張った場所がある。
恐らく構造上それは柱として天井を支える、とても大切で必要な出っ張りではないかと思います。
出っ張ったところの隣はというと、引っ込んでいます。
実際は引っ込んではいなくて壁とは直線なのですが、横に出っ張りがあるため、引っ込んでいるように感じる場所。
そこに古そうな焦げ茶色の木製椅子が。

ゴミ置き場から拾ってきたというそれは、かなりの年代物。
そこに薄い座布団が敷いてあります。

なんとなくそこに座ってみました。
すると・・・座面の床からの高さが予想外に低い。
足を前に投げ出さないと邪魔になるぐらい。
その低い位置からだとダイニングテーブルに着いた友人を見る時は、ちょっと見上げなくてはならない。
そしてキッチンで料理をする友人なんて、巨人かってぐらい大きく見える。

このちょいと下から見る感じがなんとも新鮮で、なおかつどこか懐かしい。
なんでだろうと巨人が料理をするのを見ながら考えたのですが、それが自分がまだ身体が小さかった子どもの頃に見ていた景色に、似ているからではないかと思い付きました。
大人はこんな風に大きく見えたなとか、ダイニングテーブルは下にあるものではなく、上方に存在するものだと認識していたなとか、そんな子ども時代の感覚が蘇ってきました。

なんか居心地がいいと私が言うと、「皆そう言って、そこから動かなくなるんだよね。でも背中真っ直ぐで木だから痛くなるよ」と忠告されました。
友人のアドバイスはスルーしてダイニングテーブルには着かず、その椅子に座って左手でパスタの皿をずっと持ちながら、右手でフォークをくるくる回して食べるというぐらいの気に入りよう。

1時間後トイレに行こうと立ち上がったら、お尻は痛いは、背中はぎしぎし言ってるわで、身体のあちこちから悲鳴が。
「あたたた」と呟きながらガクガクとした動きでトイレに向かう私に、「だから言ったじゃん」と友人から声が掛かりました。
椅子の堅さは論外ですが、ちょっと低い椅子を部屋に一つというのは、なかなかいいアイデアだと思いました。

咳が

  • 2017年07月20日

10日間咳が止まらない。
熱はなく身体の不調は感じられないのに、咳だけが続く。
20年以上前咳が止まらず1年間苦しんだ経験があり、これは病院に行った方がいいだろうと判断。
近所の病院をネットで探してみました。
呼吸器内科の看板を出しているクリニックに絞り込んでみると、歩いて行ける範囲内に5つあると判明。
病院の口コミを検索できるサイトで調べてみたら・・・どの病院も名前は出てくるのですが、誰もコメントを残していない。

これでは選びようがないのでなんとなくで1つを選択。
土曜日は午前9時からとなっていたので、午前9時5分にクリニックのドアを開けると・・・待合室は大混雑。
やられた。
こんなに人気のクリニックだったとは。
待合室にはテレビがありそれをじっと見る。
そして3つの番組を見続ける。
こんなにただひたすらテレビ番組を見続けたのは、いつ以来だろうと記憶を探るも、答えは出ない。
名前を呼ばれたのは午前11時。
やっと診察室に入ると、そこにはイケメンのドクターが。
人気の訳を知った瞬間でした。

このドクター顔だけじゃない。
こちらの話を優しく聞いてくれる。
パソコン画面ではなく、きちんとこちらの目を見て話を聞いてくれる。
そして考えられる病名を挙げて、念のためにレントゲンを撮ると言い、その後の治療方法についても丁寧に説明してくれる。
またその薬で効果が出なかった場合に考えられる、次の治療方法についてもきちんと教えてくれる。
いい先生だったのです。
こりゃあ、混むな。
と、納得して待合室に戻ると・・・それまで気付かなかったのですが、女性患者のミニスカートの着用率がちょいと高いのじゃないかとの疑念が。
私の穿った見方でしょうか。

そのドクターは左手の薬指に指輪をしていました。
仮に独身であっても左手の薬指に指輪をしておいて、防御しておいた方がいいだろうなと、私はどこからの目線だかわからない視点で思い、「だな」と呟きました。

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