腕の力

  • 2019年03月18日

腕の力がべらぼうに弱いです。
これによって体育の授業は哀しい時間となります。
体育の授業で行われる運動には、腕力が必要なものがほどんど。
その中でも鉄棒や跳び箱は、腕力あってこその運動です。
当然ながら私は鉄棒は前方一回転さえできず、跳び箱は膝より上の高さでは跳べない。

先生は鉄棒をしっかり摑んで回転しろと言うのですが、自分がしっかり摑めないだろうことは、誰よりも知っているもんで、回ろうとする気持ちにならない。
回転の力に負けると思うのです。
跳び箱もそう。
自分の体重に走り込むスピードが加わった力を、一瞬両腕で堪えて、身体を前方へ送るようにするなんて力が、私にあろうはずがないと思うのです。

腕力だけでなく握力もない。
毎回真剣に臨む握力測定では「ふざけてる?」と言われるぐらいの数値になる。

こんな私が体育の授業を楽しめるわけがない。
ほとんどの運動、スポーツがダメなのですが、なんとか人並みと呼べるぐらいにできるのは、卓球とビリヤードぐらい。
どちらも腕力と握力を必要としないスポーツです。
ビリヤードがスポーツなのか? といったツッコミはあろうかと思いますが、ここは大目に見ていただきたい。

こんな風に誰にも得意、不得意というのがありますね。
また得意と不得意の分かれ方に、筋が通ってないといったケースもありますね。

元クラスメイトのA子が、体育の授業で苦手にしていたのが球技全般でした。
私のようにほぼすべてダメというのはでなく、球技だけが不得意。
鉄棒も跳び箱もマット運動もなんでも出来る。
スキーなんて凄く上手。
だけど球技はダメ。
何故球技だけ不得意なのか・・・謎です。
この得意と不得意の差が生じる理由がよくわからない。

小説「オーディションから逃げられない」の主人公、展子にも得意なこと、不得意なことがあります。
そして展子の夫にも。
展子は夫の不得意なことを知ってがっかりするし、将来のことを見据えて不安になります。
自分にだって不得意なことがあるのに、夫の不得意なことに不満を覚えたりもします。
やがて夫の得意なことを発見。
展子はほっとします。
夫の得意なことと、不得意なことの差は、比較的筋が通っていてわかり易い。
だからといって展子が満足するというのでもないのですが。

夫だけでなく、周囲の人たちが不得意である故にしでかすことを、展子は許せません。
だから様々な衝突が起こります。
そんな展子がどんな風に変わっていくのか・・・それを味わっていただきたいと思っています。

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