自動運転

  • 2019年05月16日

昔、どんな車に乗っているかが、女性からのモテ度を左右するといった時代がありました。

「〇〇ちゃんの彼は、△△(車種)に乗ってるんだよー」「えー、すごーい」
といった会話が成立するほど、彼がどんな車に乗っているかが大事な要素だった時代です。

当時の自分を振り返ってみると、友人らに自慢できるような車の助手席に座って、ドライブを楽しんだ・・・なんて記憶はまったくない。

私が運転免許を取ったのは30歳の頃。
彼が運転する車の助手席に座って、という希望を捨てたんでしょうかね。
自分で稼いで買った車を、自ら運転するといった方向へ意識が変化したようです。

フリーライター時代には車で取材先に行くこともあり、オトボケな伝説を各地に残していました。
ところが小説を書くようになると、車で移動する機会が激減。
取材先に伺うといった時も、電車の方が時間を読めて便利。
そうなると駐車場代や車の維持費なんかが勿体ない気がして、手放すことに。
一度車のない生活をしてしまうと、なくても全然不便じゃないと気付き、もう一度という気にはなりませんでした。
そして最後に運転したのがいつだか思い出せないぐらいの、月日が流れました。
一応免許の更新は続けていますが、今、運転できる気は全然しません。

今後再び運転席に座ろうかなと思う日が来るとしたら、それは自動運転の進化が完璧なところに到達した時でしょうか。
初めて自動車の自動運転の開発が進んでいると聞いた時は「そんなまた」と、遣り過ごしましたが、進化は着実に進んでいるようですし。

初めてゆりかもめ線に乗った時の衝撃を、今でもはっきりと覚えています。
取材先が指定してきたのが、ゆりかもめ線のある駅前に建つ本社ビルでした。
なんの知識もなくひょいと乗車。
たまたま一両目の最前列に座る。
線路が高い位置にあり見晴らしがいい。
窓から見える景色に「おお」と感動。
景色を堪能した後でようやく気付く。
このようになんの遮蔽物もなく景色を見られるのは、運転席がないからだという事実に。
ないよ。運転席が。
もしかして最後車両だった? と振り返った時に、ドアが閉まるとアナウンス。
そして前方に動き出す。
運転手がいないのに走り出している。
思わず座席の手摺りを摑む。
自動運転なんだと理解したものの、不安は減らない。
運転手がいないというのに、動揺しているのは私だけ。
他の乗客は落ち着いている。

「ちょっとスピードが速過ぎるんじゃないですかね」と言いたいぐらいの速度で電車は走行。やがて減速。
そしてホームに滑らかに停車。
ドアが開いた時、思わず呟いたのは「すげぇ」という言葉でした。

私が知らない間に乗り物は進化を遂げていると、気付いた日でした。
こんな風に、ある日自動運転の車の運転席におっかなびっくり座り、「すげぇ」と呟く日も近いのかもしれませんね。

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