外国語

  • 2017年03月13日

外国語を勉強するのが好きな友人がいます。
仮にA子としておきましょう。
A子と久しぶりに会うと、まず「今なに語を勉強してるの?」と聞きます。
それぐらい常に外国語を勉強している。
ドイツ語、イタリア語、スペイン語、中国語・・・ほかにもあったかも。

ある日、そうだ、ドイツ語を習おうと思うらしいのです。
それでA子はどうするかというと、学校の選択に入る。
自宅からのアクセスがよくて、希望する時間帯のレッスンがあって、評判がいいところを探す。
そして通い出す。
ここまでが非常に短い。
あっという間に調べて決断しちゃう。
新しいことを始める前には「やっぱりどうしよっかなぁ」とか「続けられなかったら授業料が勿体ないしなぁ」といった誰しもが立ち止まりがちなポイントがあると思うのですが、A子はそういうものをひとっ跳びする。

そして週に1回通い出す。
1年もする頃には、そこそこ喋れるようになっているっぽい。
「ぽい」というのは、私にはA子の力量がわからないから。
やがて度胸試しだとか言って、その言葉を使っている国に旅行に行く。

帰って来ると、その旅行中に撮ったという画像を大量に見させられる。
これ、見させられる方は結構メンドー臭い。
できれば編集して、5分ぐらいにまとめて欲しい。
300枚を超える写真を見るのは、友情があっても結構苦行。
芸術として見られるくらいの素敵な写真ってわけじゃない。
観光地でのピースポーズや、テーブルに並ぶ料理を撮った写真ばかりを300枚はキツイ。

しばらくするとA子には新しい友人ができている。
習っていた言葉を母国語とする友人。
どうやって知り合うのか不思議なのですが、友人ができている。
そしてホームパーティーに誘われたり誘ったりする仲になっている。
誘われた私がA子の家に行くと、グローバルなことになっていたりする。

でもA子はこれで満足しない。
ある日、そうだ、イタリア語を習おうと思う。
そしてドイツ語を習おうと思った時からの出来事を、イタリア語バージョンで繰り返す。
私はやがて訪れるであろうイタリア旅行時の大量の写真を見る苦行に思いを馳せて、吐息をこぼす。
予想通りその日はやってきました。

こうしてたくさんの言葉を学習していくA子は、出身国も年齢も様々な友人をたくさん作り続けています。
こうした生活がA子を変えたのか、それとも元々だったのかはわかりませんが、彼女はとても人生を楽しんでいます。
数人集まると愚痴ったり、人生を呪ったりする話が出るのが多いもんですが、A子からそうした類の話が出たことはありません。
毎日が凄く楽しそうでキラキラしてる。
友人らからたくさんの刺激を受けているせいでしょうか。
人としての魅力をどんどん増していくA子。
恰好いいと思いますし、憧れちゃいます。
素敵な友人がいてよかったと思います。
大量の写真を見させられることを除けば。

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