新居の照明が

  • 2021年10月18日

文庫「僕は金(きん)になる」はお手元に入りましたか?
まだの方は是非。

文庫は3年ほど前に単行本の形で発表した小説を、文庫版にして再発表するものです。
単行本は何度も推敲し、編集者や校正者のチェックを受けた上で発表します。
ですが、3年後に文庫版を発売する前にも改めて推敲します。

すると直したい箇所が山のよう出てくる。
3年前にはこれでいいと思っていた表現が、今は違うと思うのです。
でもなるべく直さないようにします。
綺麗な文章にはなるかもしれませんが、それによって書いた時の熱が失われることがあるから。
たとえ稚拙でも作り手の熱によって、気持ちが伝わる場合があると思うからです。

こうした作業が佳境の時期に、私は引っ越しという厄介なものを、クリアしなくてはいけなくなりました。
仕事に影響が出ないよう準備をしたつもりですが、私の考えは詰めが甘く色々な不具合が発生。

新居には照明器具がないと気付いたのは、引っ越し前日。
ハハッと笑うしかなかった。
内覧した時は昼間だったので、部屋の灯りのことまで頭が回りませんでした。
そしてそれまで使っていた部屋の灯りは、スポットライト的な特殊な照明器具で、それを新居では使えないだろうと気付いたのが、引っ越し前日。
新居で使える照明器具がどういうタイプかわからないので、慌てて買うことも出来ず、そのまま引っ越し当日に突入。
バタバタと走り回る一日。
そして新居に夜がやって来る。
キッチン、トイレ、浴室、廊下の灯りは、貸主が用意してくれていたので明るい。
部屋だけ暗いといった状態。

私にはチェックしなければならないものがある。
そこで廊下に座り込み、手元を懐中電灯の灯りで照らしてゲラをチェック。
その時「人生は完璧じゃない」という格言を思い出しました。

この「人生は完璧じゃない」の言葉は、昔観た映画の中のセリフ。
その映画の中で、偽造パスポートを受け取りに来た女性が、中身を確認すると名前の綴りが違っていた。
そこで文句を言うと、偽造パスポート屋の男が肩を竦めて言葉を返すのです。
「人生は完璧じゃない」と。
この偽造パスポート屋に修正する意思はなく、女性も結局諦めます。
本筋とはまったく関係ないワンシーンの中のセリフなのですが、妙に心に残りました。
それからトラブルに見舞われた時などに、この言葉を思い出すようになりました。
そうすると少しだけ気持ちが落ち着くのです。

廊下の灯りで原稿チェックすることになったのは、誰が悪いって、己のぼんくらさが悪いのですが、それを責めてもしょうがない。
人生は完璧じゃなく、自分も完璧じゃない。
だからこんなこともあるんだよ。
そう自分を慰めるのでした。


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