洗面台専用のクリーナーが爆売れしているという。
なんでも、生産が追い付かず、一時出荷停止になるほどだったとか。
この事態を紹介していた新聞記事によれば、洗剤とスポンジを一体化した商品で、洗面台に押し付けると泡が出るらしい。
手を汚さずに清掃出来る点が人気になったのか、販売数が想定の10倍にもなり、一時出荷停止になっていたとのこと。
量産体制が整い、出荷が再開されたことを報じる記事でした。
このような商品が発売されていたことも、出荷停止になるほど人気だということも、知りませんでした。
知っていれば、即、買っていたでしょう。
こういう進化、助かります。
出来れば、キッチンシンク専用のものも開発してください。
キッチンシンクはすぐに曇ってしまうから。
曇ったキッチンシンクは、なんだかとても汚らしく見える。
逆にいえば、キッチンシンクがピカピカだったら、それだけでキッチン全体が綺麗に見える。
以前住んでいた部屋は、オープンキッチンスタイルでした。
来客用のソファのすぐ横がキッチンで、間仕切りがなかった。
来客者の視界にはキッチンが入っている状態で、ソファから立ち上がれば、シンクも視界の中に。

この時シンクが曇っていると、部屋全体がくたびれて見えるので、来客がある日は、クレンザーでシンクを磨くのが習慣でした。
これが面倒だったので、次に部屋を探す際には、クローズドキッチンを必須条件リストの中に入れました。
そうして選んだ現在の部屋は、このクローズドキッチン。
リビングのエアコンの風が届かず、夏にはキッチンが激暑になると分かり「こんなオチか」と呟くことになりました。
文庫版が発売になった「息をつめて」の主人公、土屋麻里は仕事を転々とした末に、ホームヘルパーになります。
利用者の家で家事を行います。
そこで人には、十人十色の人生があると気付かされます。
洗濯物の干し方や、買い物や、ボタンの付け方・・・利用者によって様々な要望が。
そうしたものには、その人なりの理由があるのです。
不本意な経験を重ねた人生であっても、日々の暮らしの中に、小さな喜びを見つけて生きていく人たちと接するうちに、麻里は変わっていきます。
小説「息をつめて」の主人公、土屋麻里はなにもかも諦めて毎日を過ごしています。
そんな麻里が様々なことを経験し、見聞きするうちに変わっていきます。
麻里を変えていくものの一つが、診断結果を聞いたことでした。
体調不良で医師の診察を受けたところ、思いもかけないことを言われたのです。
その時胸に兆したのは、生きたいとの思いでした。
自分の人生に期待するのを止めて。静かに気配を消すように生きてきた麻里。
そんな麻里は生きたいと感じた自分に驚くのです。
この経験は、麻里が下す最終決断に大きな影響を与えます。
病気は人生観を覆すほどのインパクトがありますよね。
健康診断や人間ドックを受けていますか?
ずぼらな私ですが、人間ドックは年に一度受けています。
全国に複数の施設をもつ検査専門のところを利用しています。
今年もそこに行くと・・・問診担当の医師が変わっていました。
前任者は異動したか、退職したのでしょう。
事前に提出していた問診票を見ながら、60代ぐらいの男性医師が質問をしてきます。
医師も慣れているでしょうが、こっちも慣れている。
「はい」「いいえ」「大丈夫です」この3つの単語を言っていれば、問診はあっという間に終わると知っている。

が、今年の医師はひと味違った。
人間ドックを受診することに否定的。
かかりつけ医の診察を受けて、その医師の判断で必要があれば、必要な箇所のみを検査専門の施設で調べるというのが、正しい医療の在り方だと力説する。
人間ドック受診者に向かって。
呆気に取られているうちに問診が終わり、人間ドックを受診。
1週間後に検査結果が届きました。
問診を担当した医師が総評を書いている。
かかりつけ医の診察を受けろとありました。
なにか病気を疑う所見が出たのかとびっくりして、検査結果の詳細データを見てみると・・・数値は去年とほぼ一緒。
なにこれ。
訳が分からない。
何度かお世話になった近所のクリニックへ。
検査結果を持参して、去年とほぼ同じ結果なのに、かかりつけ医に行けと書かれたと説明。
医師はしばし検査結果のデータを眺めた後、どうしてこういう総評を書いたのか、どう理解したらいいのか、まったく分からないと言いました。
理解不能なのは私だけではなかったと、少しほっとしました。
その医師によれば、特段心配する数値はないとのことだったので、結果に対しても安堵しました。
人間ドックに批判的な医師を、人間ドックの受診者の担当にしないでください。
文庫版「息をつめて」が発売になりました。
この小説の主人公、土屋麻里はしょっちゅう仕事を変え、引っ越しをします。
理由があってのことなのですが、あまりにも頻繁にするために手慣れていきます。
引っ越しが前提なので、最小限の物しかもたない。
次の部屋を決めるのも、引っ越し業者への依頼も、素早くスムーズにこなす。
一方、私はといえば引っ越し下手。
これまで何度か引っ越しをしていますが、それはそれは一大事でした。
決めなきゃいけないことがあり過ぎだし、手続きだって煩雑。
この機に不要な物を処分しようと思うものの、あまりの量にへこたれてしまう。
結局、処分しきれないまま引っ越しの当日を迎え、業者のスタッフから「荷物、多いっすね」と言われてしまうのです。
シンプルに暮らしたい。
こんな願いがあるせいか、ルームツアーの動画を観るのが結構好きです。
撮影するぐらいなのだから、自分の部屋に自信があるのでしょうし、事前に片付けはしてあるのでしょう。
それにしたって素晴らし過ぎる。
選び抜かれた品だけが置かれた部屋は、オシャレで居心地がよさそう。
観るのは主に、ワンルームなどの小さめの部屋を撮影した動画。
豪邸を観ても、全く参考にならず「けっ」と思うだけなので。

小説「息をつめて」の話に戻すと、主人公の麻里が住むのはワンルーム。
なので、部屋の造りは大体他と一緒。
マンションのエントランスなども、他とそれほど違わない。
引っ越しを頻繁にする麻里は一瞬、自分の部屋番号がいくつだったか、分からなくなったりします。
ここに住んでいる、ここで生きているという実感をもてない生活を、麻里は送っているのです。
こんな麻里の人生をぜひ味わってみてください。
「息をつめて」の文庫版の発売まであと2日となりました。
お住まいの地域や、入手方法によって、購入出来るタイミングは前後します。
ご都合のいい方法で入手してください。
子どもを育てるのは親の務めだと人はいう。
では、それはいつまででしょうか。
子どもが成人になっても?
子どもがしでかしたことの責任を、親は永遠に取り続けなくてはいけないのでしょうか。
なにかあると、親の育て方が悪いといったコメントが溢れます。
そうしたケースもあるでしょう。
でも人の性格は先天性のものと、後天性のものがミックスされている。
親がどんなに言葉を尽くして注意をしても、直してくれない子どももいる。
親が願っているようにはならない子どももいるのです。
「息をつめて」の主人公、土屋麻里はこうした苦悩を抱えながら孤独に生きています。
あまりに長い時間を孤独に過ごしてきたために、寂しさに慣れてしまっています。
逃亡者のような生活を送る麻里に、変化が訪れます。
不安を抱えた状態での新生活。
麻里はホームヘルパーになり、様々な利用者の家で働くことに。
利用者たちと触れ合ううちに、麻里はゆっくり少しずつ変わっていきます。
この麻里の生き様を、味わっていただきたいと思っています。

季節は秋。
読書に最適な季節です。
本を開けば違う世界に飛び込める。
これが読書の魅力のひとつ。
誰かの人生を垣間見る体験をぜひ。