コンビニの店内で、ロボットがパスタを作ってくれるサービスが始まるらしい。
都内の1店舗のみでのスタートだそうです。
レンジで解凍した麺や具材をロボットに投入すると、自動で炒めてくれるとのこと。
客が自分でやるのかと思ったら、そうではなく、店員がタッチパネルを使ってロボットに指示を出すそう。
完成したパスタは店員が盛り付けて客に提供すると、新聞記事に書いてありました。
ということは、店内で食べるためのサービスなのでしょうかね。
そこら辺についての言及が、記事にはないので分かりません。
出来立てがウリなのでしょうから、それをテイクアウトしてしまったら元も子もない気がするので、イートイン前提のものでしょうかね。
この記事を見て思うのは、コンビニの店員は大変だなということ。
様々なことがコンビニで出来るようになっていくにつれて、店員の仕事はどんどん増えていってますよね。
覚えなきゃいけないこと、やらなきゃいけないことが多くて大変そうです。
お疲れ様です。

近所のコンビニでよく見かける店員は3人。
この中で1番使えないのが男性店長。
振込用紙と現金を出して支払いをすると、「有り難うございました」と言って終わりにする店長。
「受領印をください」と私が依頼すると、「あっ」と言う。
それから客用の控えにハンコを押して、私に差し出します。
「あっ」と声を出して、ついうっかりしたといった芝居を店長はしますが、私はこれまでにあなたから同じことを3回はされています。
覚えなきゃいけないことが、どんどん増えて大変だとは思いますが、振込用紙を使って支払いをした客には、控えにハンコを押して渡すというのは、結構昔からずっと行われてきたことでは?
いい加減覚えてください。
もう1人の店員は男性のバンドマン。
穴が開いた黒のジーンズをはいているので、私が勝手にバンドマンと呼んでいるのですが、実際がどうかは知りません。
バンドマンは受領印を渡し忘れるといったことはしない。
決められた最低限のことをするタイプ。
もう1人は大学生ぐらいに見える女性店員。
一番仕事が出来るタイプ。
粗大ごみの処理券をくださいと言うと、「〇〇区の処理券になりますが、大丈夫ですか?」と確認してくれる。
そこのコンビニは〇〇区と△△区の境界線近くにあるため、客が勘違いをして買う可能性があります。
これを予測した上で確認を取るという、二歩先回りした接客をしてくれる人。
こういう優秀な人は、どんな仕事でも成功することでしょう。
やって来ては去っていく健康法のブーム。
今度はそうきたかと感心するぐらいに、様々な健康法が出現します。
これは何故なのでしょう。
次々に新しい知見が生まれるから?
それとも大抵の人は挫折するので、新しい健康法が常に必要になるから?
たくさんの健康法が消えていきましたが、こうした中にあって、長く愛されているのが「歩く」というもの。
お金が掛からないし、それほどハードルが高いものではないからでしょうか。
自分の運動不足を認識している私は、なんとかしないとマズいと思っています。
そこでウォーキングを、生活に取り入れようとしたことがありましたが、なかなか習慣化出来ません。
今朝、ポストに投函するものがあったので、自宅を出て歩いていると・・・たくさんのウォーキング中の人たちとすれ違いました。
多分私より10歳以上年上の人たちばかり。
頑張ってるなぁと感心。

私なんか、ポストまでの5分の歩きが辛くてしょうがない。
ポストを自宅前に設置して貰うには、お金が掛かるのだろうかとか、住民の署名が必要だろうか・・・などと考えるぐらいなのに。
自宅のフィットネスバイクに乗って漕ぐこともあるのですが、毎回膝に痛みが出てすぐに中止に。
病院で診て貰いましたが、医師からは問題なしとの所見。
だとしたら、メンタルが原因でしょうか。
やりたくないとの思いが、だったら膝に痛みを感じてしまえばいいとの考えになって、本当に痛みを感じているのかも。
私はどうしたら?
小説の執筆中は、ずっと左の肩甲骨周辺に痒みが出ます。
これもメンタルと関係しているっぽいと、私は睨んでいます。
痒みのある辺りに赤みはないし、出来物もない。
それに読書や映画鑑賞中には、絶対に痒くならない。
メールを書いている時も、経費の計算をしている時も痒くならない。
小説を執筆している時だけ、常に左の肩甲骨周辺が痒いのです。
もう10年ぐらいずっとそうなので受け入れました。
今は「小説を書くというのは痒いこと」ぐらいの気持ちでいます。
これまでの人生で何個の枕を使ってきたのか・・・分かりません。
「これは素晴らしい。私にぴったり」と感動して使い始めても、何年か経つと頭痛が。
朝起きた瞬間から頭痛が始まってしまう。
枕の中身がへたってしまったのだろうと判断して、それまで使用していたのと同じものを、新たに購入するのですが、何故か頭痛はなくならない。
枕が合わなくなった?
年齢と共に合う枕も変わりますか?
この問いに対して誰も答えてくれないので、理由不明のまま枕探しの旅がスタート。
どこのメーカーでも、自社の枕は人間工学に基づいた快適な眠りを追求するための工夫が、たくさん施された最高級品と謳っている。
だとすると、世の中最高級の枕ばかりということに。
ラビリンス。
しょうがないので長く辛い枕探しの旅を決行。
なんとか自分に合う枕を見つけます。
この間に費やしたお金と時間を思うと・・・ため息。

こんなことを繰り返していた私は、やがてオーダーメイドというところに着地。
某メーカーの店に行き、私の全身をカメラで撮影。
そのデータを基に、私に合う枕を作って貰いました。
「最高!」と思っていたのですが、1年ぐらいでまた頭痛が。
オーダーメイドをしても1年で合わなくなるというのは、私の方に変化があるせいでしょうか。
結構な値段だったので、またオーダーメイドするのは二の足を踏む。
そこでまたまたネットの中を旅しました。
その結果、自分で調整するという枕を発見。
枕は6分割されていて、それぞれがファスナーで開閉出来る。
それぞれの中の詰め物を加減することで、自分好みの枕にするというスタイル。
これなら合わなくなっても自分で微調整が出来るので、丸ごと買い替えなくていい。
購入時に予備の詰め物はついていますが、詰め物だけをネットで買うことも出来る。
これならばと、この枕を購入。
微調整した結果、現在は頭痛なしで過ごせています。
また合わなくなるでしょうが、自分で調整出来るので旅に出なくて済みそうです。

アメリカの宝くじで、史上2番目の高額賞金の当たりが出たという。
その金額は日本円で2830億円。
46回にわたって当たりが出ずに、繰り越された結果の額らしい。
2830億円。
金額が大き過ぎてピンときませんが、当選者の人生は変わったに違いない。
こうした大金が舞い込むような出来事以外でも、人生が変わるきっかけは時々やってきます。
私にも何度かありました。
フリーライターとして情報誌で記事を書いていた頃のこと。
楽しいけれど体力的にハードで、なかなか大変な毎日を過ごしていました。
ある日、編集者から資料が届きました。
苺のスイーツ特集をするので、同封した資料で記事を書けというメモが付いていました。
その資料というのは、販売元各社のホームページをコピーしたものや、プレスリリースなどでした。
他誌で紹介された記事のコピーも入っていました。
頭に「?」がたくさん浮かんだ私は、編集者に電話をしました。
「取材しないで書くのですか?」と確認すると、「そう」との回答。
「実物を見ないで、食べないで書くのですか?」と聞く私。
「そう」と答える編集者。
「サブタイトルが食べ比べとなっているので、ただの紹介記事ではなくて、味についても書くんですよね?」と質問する私。
「そう」と言う編集者の声には若干の苛つきが。
最終確認のつもりで私は尋ねました。「それって、フィクションになりますよね?」と。
編集者は「上から経費削減のお達しがあったから、実物を買う経費は出せない。中には現時点で未発売のものもあるから、そうしたものは想像で書くしかないでしょ。だったら全部を想像で書くことだって出来るよね」と宣う。
私はしがない下請けライター。
編集者からそれで書けと言われたら、書くしかありません。
見たことも、食べたこともない苺のスイーツ50個の味を想像し、書き分けるというミッションに臨みました。
苦労しながらもなんとか締め切りまでに記事を書いて納品。
編集者からは「お疲れ様」のたったひと言のメールを受け取りました。

その時に思ったのです。
今回フィクションが書けたのだから、もしかすると小説も書けるのではないかと。
思考ステップが単純過ぎて問題だと思いますが、とにかくその時の私はそう考えてしまいました。
これが、人生が変わるきっかけとなりました。
小説を書くという方向に、気持ちの矢印が向いたのです。
なにが人生を変えるきっかけになるか、分からないもんですよね。