自宅の近くには個人商店がたくさんあります。
深夜までやっているスーパーや、24時間営業の弁当店もあり、日常生活には困らない。
と、言いたいところなのですが、出来ることならと願っていることもある。
商店に偏りがあるので、もっと種類が増えて欲しいという願いがあるのです。
新規オープンするのは、クリニックと整体院ばかり。
自宅周辺を歩いていると、改装工事を目にする。
なにが出来るのだろうと思っていると、しばらくして目隠しの布が外される。
すると新規オープンするのが、またしてもデンタルクリニックだと分かる・・・といったケースが多い。
生活していく上で、近所にクリニックが多いのは助かるっちゃ、助かるのですが、ここまで多くなくてもと思う。
整体院もしかり。
こんな風に人口に対して多過ぎると思える業種がある一方で、足りていない店が。
それは文房具店。
1軒あるのみ。
この店が子どもを対象にした品揃えをしている。
だからジャポニカ学習帳とか、コンパスとか、クレヨンとかが並んでいる。
顧客を子どもに限定したのであれば、この品揃えは正しいと思うのですが、私は大人。
名前を書く欄が付いていないものが欲しいのです。

子ども時代を過ごした家は下町にあり、周囲には同じように個人商店が多かった。
記憶しているだけで4軒の文房具店がありました。
品揃えはそれぞれでしたが、どの店にも子ども向けのものも、大人向けのものも、どちらも置いてありました。
今はそういう商売のやり方は難しいのでしょうかね。
そういえば、子どもの頃に折り紙を集めていました。
可愛い柄が入ったものです。
それでなにかを折ることはしない。
折りたい、作品を作りたいという欲望はなく、収集欲のみでした。
大体100枚単位で売っていて、透明のアクリルケースに入っていました。
でも可愛い柄は一番上の1枚だけ。
残りの99枚は無地のフツーの折り紙。
こっちはいらない。
一番上の可愛い柄の折り紙だけが欲しい。
「この1枚だけをバラで売って欲しいんだよなぁ」と、毎度思っていましたっけ。

ラン活が沸騰しているらしい。
てっきりランニングのことかと思ったら違いました。
ランドセルを選ぶ活動のことだという。
来年の4月に新一年生になる子どものために、保護者らがすでに活発なラン活をしているそうです。
このラン活は年々早期化しているとも。
知りませんでした。
色や部品などを、カスタマイズして作れるサービスもあるようで、それだと組み合わせは497万通りにもなるという。
凄過ぎてびっくり。
子どもが自ら497万通りにもなる組み合わせを理解し、自分好みのランドセルを、作れるのでしょうか。
却って迷ってしまって決められない、なんてことはないのでしょうか。
私が子どもの頃には、男の子は黒、女の子は赤ということになっていて、他の色は売っていませんでした。

私のランドセルを選び、買ってくれたのは祖母。
贈られた時に大喜びした記憶は、薄っすらと残っています。
母親によれば、ランドセルを下ろしたくないとゴネて、その日はランドセルを背負ったまま夕食を摂っていたそうです。
当時ランドセルの被せを留めるのは、マグネット式が最先端でしたが、祖母はそれでは耐久性に問題があると判断。
そこで二本のベルトで締めるタイプのランドセルを選んだと聞きました。
祖母は耐久性の問題を考慮しましたが、私の性格の問題は考慮しなかった。
ずぼらな私は、このベルトを締めるという行為が面倒臭かった。
使い始めてすぐに、きちんと穴に通してベルトを締めなくても、でんぐり返ったりしなければ中身は落ちないと気付きました。
で、ベルトを締めずに使用するように。
これで6年間を過ごし切りました。
こんな使い方をしてごめんね、おばあちゃん。
先週、欧米人らしき60代ぐらいの女性が、黒いランドセルを担いでいるのを見かけました。
バッグとして使っていました。
それがとても様になっていて、オシャレでした。
固定概念を捨て去れば、丈夫なバッグということになりますもんね、ランドセルは。
新聞に紹介されていたのは弁当を冷ますファン。
弁当箱より一回り大きなサイズで、脚が付いている。
弁当の上にセットしてスイッチオン。
ファンが回って下に置いた弁当に風を送り、冷やしてくれるというもの。
素晴らしい。
こういうのを欲しい人は、たくさんいるのではないでしょうか。
食材が痛まないように、ちゃんと冷ましてから弁当箱の蓋をする・・・というのは耳に胼胝が出来るほど聞いてきましたが、朝の忙しい時にこのミッションは結構大変。
編集プロダクションにお世話になっていた頃、手作り弁当を持参して出勤していました。
毎朝、フル稼働。
朝食の支度と同時に弁当作りをし、歯を磨き、朝食を食べ、着替えをし、メイクをする・・・といった複数のタスクを、猛スピードでこなしていきます。
毎朝綱渡りです。

弁当が冷め切っていないと分かっていても、家を出る時間になってしまい、致し方なく蓋をして職場へってことになる。
ランチタイムになり弁当の蓋を開けてまずするのは、クンクンとにおいを嗅ぐこと。
腐っていないか、己の鼻センサーで最終確認をしていました。
こうしたファンが当時あったら、どんなに便利だったか。
弁当といえば・・・近所に24時間営業の弁当店があります。
駅前にあり価格も手頃なので、時々利用します。
先日その弁当店に行ったら、スタミナという単語が使われたメニューが滅茶苦茶多かった。
その店では量が多いのを、スタミナと表現することにしたらしい。
焼き肉弁当ではなく、スタミナ焼き肉弁当と銘打っているのは、肉が多いぞとアピールしているっぽい。
またニンニクを使ったものは、すべてスタミナと名付けることに決めた模様。
スタミナ唐揚げにはニンニクが使われていて、おつまみに最高というシールが貼られています。
焼き鳥の味付けにもニンニクを使っているので、スタミナ焼き鳥と名乗ることにしたようです。
様々な料理にニンニクを使い、その結果、棚にはスタミナがついたメニューだらけに。
もういっそのこと、ニンニクの店とした方がいいんじゃないかってぐらいになっている。
以前その店を利用した時には、これほどニンニクを使ったメニューは多くなかったのですが。
店長が代わったのでしょうか。
或いはスタミナという単語に反応するお客さんが、増えたからなのか。
それとも今、ニンニクが流行っているのでしょうか。
編み物がブームだという。
教室や通信講座で学ぶ人、動画を見る人など色々らしい。
私の親世代は、さらっと編み物が出来る人が多かった。
あれはどうしてだったのか。
昔は自作するしかなかったからでしょうか。
私はといえば、母親から習いマフラーやセーターを編むように。
上手ではありませんでしたが。
小学生の頃には、冬場になると編み物を学校に持ってくるクラスメイトが何人か出現。
休憩時間に編んでいました。
それは特別なことではなく、「なに編んでんの?」「マフラー」「ふーん」で会話が終わるというぐらい日常的なことでした。
我が家には編み機までありました。
大量の針が並んでいて、そこにキャリッジと呼ばれるハンドルがついたものを、左右に動かして編んでいきます。
針が動く時に結構大きな音が出ていました。

母親が編み機を導入するほど編み物をしていたのは、元来手芸好きだったこともありますが、娘の私がおデブちゃんだったせい。
当時、既製品のサイズバリエーションは多くなく、私が着られるものは限られていた。
そこで手編みよりも早く編める編み機を、導入したと考えられます。
最近は編み物をするのが前提のカフェもあるらしい。
おしゃべりをしながら編み物をしてコーヒーを飲む・・・なんて平和な光景。
小説「腕が鳴る」には編み物をする女性が登場します。
安達タカ子は71歳。
タカ子は暇潰しのために編み物をします。
完成した品を着てくれる人はいないし、欲しいと言ってくれる人もいないけれど、時間を潰すために長年編み物をしてきました。
貰い手のない完成品は押し入れに収納。
そんなタカ子が訳あって、整理収納アドバイザーに家の片付けを依頼することに。
片付けをしていくうちに、タカ子はこれまでの人生を見つめ直すようになっていきます。
そしてタカ子は大きく羽ばたくことになります。
タカ子の人生を味わってみたいと思われた方は、ぜひ本書をお買い求めください。