アイデアは

  • 2015年04月30日

小説のアイデアを思いつくのは、デスクに向かっている時ばかりではありません。
料理をしている時や掃除をしている時にも「あっ」という瞬間があります。

どうしてなのか。
料理や掃除をしている時の脳が、いい感じに油断しているせいじゃないかと自己判断しています。

先日、ぼんやりとジャガイモの皮を剥いていました。
無心で。
ふと、我に返り、コンロの上の鍋を覗くと・・・水の中には皮を剥いたジャガイモが、そのまま丸々の状態で入っている。
はぁ?
なにしてんだ、私は。
と、大急ぎで火を消し、お玉でジャガイモを取り出し、まな板の上でカット。
1個を6分の1程度にカットしていきます。
そうやってすべてのジャガイモを小さくしてから、再び鍋に投入。
ふうっと息を吐き、改めて自分のした行為にびっくり。
zyagaimo
ジャガイモを丸々1個の状態で茹でるなんて、どんだけ時間がかかることか。
食べるのだって大変。
いったいなんだって、カットをせずに鍋に入れ、火を点けたのか・・・そのあたりの記憶がゼロというのが、恐ろしいったらありゃしません。

いいアイデアが浮かぶだの、脳が油断しているだのと、自分勝手に解釈していましたが、これは単純に「老化」という2文字に関係しているのではとの疑念が。

パズルとか、大きい数字から小さい数字に数えていくとか、そういう頭のトレーニングを始めるべきなのでしょうか。
ちょっと心配になり、ネットで調べてみると・・・ドリルだったり、本だったり、ちょっと難しそうな専門書だったりといった情報にぶつかりました。
と、なぜかここで「そうか、色々あるんだな」で、まとめに入ろうとしている自分に気付きました。
検索して出てきた大量の情報を目にすると、いざとなったら、この中から自分に相応しいのを選べばいいかと、着地する準備に入ってしまうんですね。
いざというのがいつなのか、それを調べりゃいいのでしょうが、先延ばしにする気持ちが満々で調べない。
こんなことを繰り返しているうち、やがては今日がその「いざ」だと、思う日がくるのでしょうか。

クリップを

  • 2015年04月27日

そこはちょっとモダンな文具を扱うネットショップ。
と、動物の形をしたクリップを発見。
が、2種類しかない。
製造元の蘭にあった名前を検索サイトで調べ、そこらしきHPにアクセス。
どうやらアタリのようです。
動物の形をしたクリップが10種類ぐらい販売しているし、ほかにも植物や人間の形をしたものも。

ほ、欲しい・・・との心の声に従い、まとめ買い。
P1010496
それぞれがケースに入っていて、中身はこんな感じ。
P1010502
クリップは結構よく使います。
書類のやり取りの際に一筆箋やメモを付けるので、クリップが必須になるのです。

これ以上に使うのは、原稿チェックの時。
誤字・脱字は勿論、やっぱりここは違う表現の方がいいと判断した時に修正します。
この時、赤いペンで紙の余白に直したい言葉を書くのですが、その量が多い時には余白が足りなくなってくる。
上から下に向かっていた文字は急に右に曲がり、紙の端に到達すると、今度はまた下方へと伸びていく・・・なんてことになると、実際にその指示通りにデータを修正しなくてはいけない印刷所の人が「ちっ」となる。
で、ミスも出やすくなる。
そこで、原稿には添付のA参照とだけ入れて置き、手書きでしたためた原稿用紙をクリップに付けるのです。
クリップが象だろうが、豚だろうが、印刷所の人には関係ないことでしょう。
でもこちらの気持ちとしては、精魂込めて書いた原稿ですから、それに付けるクリップにもこだわりたくなってしまうのです。

こうしたクリップをまず目にするのは編集者。
大抵の女性編集者からは、可愛いクリップですね的なコメントがあります。
気付いてくれるのです。
が、男性編集者はほぼ100%、ノーリアクション。
なにも言ってこないから、こっちから「可愛いクリップだったでしょ?」と投げかけてみると・・・「クリップ?」と聞き返してきます。
しょうがないので「クリップが象さんだったでしょ」と私が思い出させようとするも、「象でしたか?」となんとも残念なコメントが返ってくるばかり。
目に入っていないはずはないのに、それに注意を向ける人と、向けない人の違いは、男女の脳の違いとどんな関係があるのでしょうか。
ちょっと勉強してみたくなりました。

社会人としてのスタート

  • 2015年04月23日

社会人になってやりたかったのは、広報や宣伝・販促、店舗開発といった仕事でした。
が、配属されたのはショップ。
販売員としてのスタートでした。

その会社では半年に1度、異動希望を出せるシステムがあり、やりたい仕事を書いて2度上司に提出しましたが、それはいったいどこまで届いているのやら。
なにも変わらない毎日が続いていました。

どうしたらいいのかと考え、成績を上げることなのかなと気が付きました。
その会社では、与えられた1ヵ月の売り上げ目標をクリアすると1ポイント、1度の接客で〇万円以上を売ると1ポイント・・・といったポイント制がありました。
3年間で獲得したポイントの合計点数によって、ヨーロッパ旅行やアジア旅行などのご褒美を貰えました。
それまで私は、そうしたポイントを獲得することに熱心ではなく、工夫も努力もしなかったので成績は酷いものでした。
kutuya
意識を改めて頑張った結果、ヨーロッパ旅行が射程距離に入る段階に。
そんな時、半年に1度のアレがやってきました。
それまでと同様に広報や宣伝・販促、店舗開発の仕事がしたいと書いて提出。

と、2日後に本部の取締役が店に。
店の近くのカフェで、仕事のことや店の人間関係や、あれやこれやを聞かれました。
私の意志が強いと判断されたのでしょうか。
それから4ヵ月後に本部へ異動になりました。

それまでと、その時とではなにが違ったのでしょう。
多分私の成績でしょう。
成績の悪い私がこうしたいと訴えても、そんな話を誰も聞いてはくれない。当たり前ですよね。
でも成績がよければ、話を聞いてみようかと思って貰える。
なにかしたかったら、まずは今の職場で、しっかり成績を上げておかなくてはいけないのだと知った一件でした。

会社の中には理不尽なことがいっぱい。
でもやりたいことがあるなら、まずは与えられた場でいい成績を上げられるよう、最大限の努力をするべきなのでしょう。
それが遠回りに思えても、近道だったりするものですからね。

文庫「ハタラクオトメ」では、なんとなく毎日を過ごしているOLたちが登場します。
上司の思惑や取り引き先の状況や、本質とは違うことに翻弄されるばかり。
熱心でもなかったので、上手くいかなくても、ま、いっかと受け止めます。
でももう1度チャンスが巡ってきて、目標がしっかり見えた時・・・夢中で仕事に向かいます。
納得がいかなくても、そこに不満をぶつけるのではなく、一歩でも前に進むために精一杯努力した時・・・彼女たちはたくさんのことを得ていきます。

スコーンを

  • 2015年04月20日

どんな朝食を摂っていますか?
私はご飯、食パン、スコーン&マフィンを順にローテーションしています。
遅延型フードアレルギー者は連続して同じものを食べるのは避け、ローテーションするといいと聞いたから。
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スコーンがなくなったので、いつものようにネット注文。
その店では乳製品を一切使わない、豆乳スコーンと豆乳マフィンを売っています。
12個ずつ購入して合計24個を買い物かごに入れて、会計のページへ進むとお店からのメッセージが。
工場を移転するため、長期休業すると書いてあります。
げっ。
到着予定日の蘭を見てみると・・・3週間後になっています。

仕方がないので注文。
スコーンとマフィンを食べられない間、ご飯、食パンのローテーションでいくしかありませんので、食パンをいつもより多めに注文することに。
こちらも牛乳と卵を一切使わずに作った特殊な食パンで、ネット注文。

と、ある日宅配便で荷物が到着。
それは、3週間前に注文していたスコーンとマフィンでした。
そこで私は自分のミスに気付きました。
食パンもスコーンもマフィンも冷凍庫に保管する必要があるのですが、多めに買った食パンが大量にあるため、24個ものスコーン&マフィンを入れる場所がないのです。
賢い人であったなら、スコーン&マフィンが到着する日から逆算して、必要な分だけの食パンを購入しておいたことでしょう。
が、賢くない私は計算もせず、これぐらいじゃね? ぐらいのテキトーさで注文していたのです。
「大家族の人が使うような大きな冷蔵庫だね」と友人に言われるぐらいの冷蔵庫ではあっても、食パン10斤とスコーン12個、マフィン12個を収納するのは不可能。
己に舌打ちしながら肉の上に食パンを押し込んだり、果ては製氷機でできた氷を受ける場所にスコーンをきっちきちに並べたりして、やっとのことで収納完了。

小説「僕とおじさんの朝ごはん」では、少年の理想の朝ごはんを、おじさんが作るシーンが出てきます。
それは装幀のイメージ写真のように、トーストと目玉焼きです。

フリーライターをしていた頃、常に時間に追われていました。
食事の時間も不規則ななか、よく食べていたのが食パンでした。
コンビニで買っておいた食パンをトーストせず、ジャムを塗って口に押し込むといった感じ。
なんでもいいからお腹に入れたいといった時、食パンは便利でした。
軟らかいから喉を通り易いですし、時間もかかりません。
P1010522
小説を書くようになって、自分なりの時間の過ごし方が許される環境になった時、最初に変えようと思ったのは、食事の仕方でした。
食パンを口に押し込むような生活は、もう嫌だと思ったのです。
それで専用のトースターを買い、食パンを食べる時は必ずトーストするように。
焼くという行為の違いがあるかないかだけなのですが、心理的には大きな違いがあるのです。
焼いていない食パンを食べると、追い込まれているといった感じがあるのに対し、トーストした食パンを食べる時には、自分で生活のリズムをコントロールできているという手応えがあるのです。
この差は大きい。

食は人生のほんの一部分ですが、生き方を象徴し暗示していることもあるように思います。
それがわかり易く出るのが、どういう食事をしているかだと思うのです。
「僕とおじさんの朝ごはん」でも、食と生き方がリンクしています。
読み終わった時「今日はちゃんとしたものを食べようかな」なんて思ってくださる人が1人でもいたら、とても嬉しいです。

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