年を重ねるということ
- 2018年10月08日
久しぶりに会った友人A子。
ダイエットしていると言う。
「そんなことが必要には見えないよ」と私が言うと、「いやいや。お腹周りがヤバいんだ」と答えました。
A子は週に5日は自宅近くのジムへ行き、泳いだり、ランニングマシンの上で走ったり、ヨガをやったりしているそう。
体重も体脂肪も減ったのだけれど、お腹周りについた脂肪はまったく減らないと嘆く。
ウエストがゴムの服しか着られなくなったと、A子は言います。
ブラウスをスカートにインして着た最後の日を、思い出せないとも。
どうしてかなぁと言いながらA子はランチを平らげ、二軒目の店ではケーキを注文。
「そこじゃない?」と指摘するのが友情だろうかと悩む私。
結局「気にすることないよ」と無難な言葉を向けるに止めました。
そういう私はどうかといえば、胴回りや体重に変化を感じてはいません。
でも久しぶりに会った友人から「縮んだ?」とよく言われます。
「痩せた?」ではなく「縮んだ?」と言われるあたりが、年齢でしょうね。
年を重ねていくにつれ、見かけだけでなく様々なものが変わっていきます。
それをマイナスと捉えず、それ自体を楽しめるようになりたいと思います。
小説を書く時難しいのは、こうした時間の経過によって生じる変化です。
同じ登場人物でもものの見方や、受け取り方が変わっていきます。
なにか大きな出来事によって、性格が激変するというのではなく、少しずつ少しずつ時を重ねる中で緩やかに変化していくさま。
これを読者に違和感なく、でも変化を感じて貰えるように描くのが難しい。
いくつになっても変わらないという部分もあるので、登場人物をどのように老けさせていくのかというのは、作家にとってはかなりのチャレンジになります。
私は長い期間登場人物たちを追う作品が、結構多い方かもしれません。
「嫌な女」「我慢ならない女」では、結構長い期間を描いていますし、新作「僕は金(きん)になる」でも40年に亘る物語になっています。
登場人物たちがどんな風に年を重ねていくのか。
それを見守ることで、人生の味わい深さを感じて貰えたら嬉しいのですが。