昼食は12時に摂ることにしています。
アラームを設定しておき、それが鳴ったら仕事の途中であっても昼食にします。
切りのいいところで食事にする、という人もいらっしゃるでしょうが、「仕事に切りのいいところなどない」というのが私の持論なので、時間通りにランチタイムにします。
昼食は作り置きしてあるものを食べるので、レンジで温めるだけで調理はしません。
だから5分ほどで準備完了。
昼食時にはテレビを観ます。
土日はスポーツ中継が結構あるので、マラソン、卓球、バレーボールなどの試合を観ながらのランチ。
マラソンでは熱い戦いが行われていても、粛々と昼食を摂ることが出来るのですが、卓球やバレーボールなどは見入ってしまい、食事がストップすることも。
試合の1セットが終わり、我に返れば、食事がすっかり冷めていた、なんてことも。
そこでセット間の合間に、冷めた食事を掻き込んだりしています。

A子から連絡があったのは去年の秋。
久しぶりに2人で食事をすることに。
その際にA子は、仕事を辞めようかと迷っていると言い出しました。
仕事のこと、家族のこと、年金のこと・・・様々な話を(正確には愚痴を)聞きました。
私の意見など求めていないでしょうから、ただひたすら相槌を打っていました。
テーブルにデザートが置かれる頃になって、A子が言いました。
「それにさぁ、お昼休憩の時にMLB中継を観られないんだよ、うちは」と、物凄く不満そうに。
ん?
もしかして、これまでの話はすべて後付けの文句で、本当の原因はこれなのでは? と疑う。
なんでも社員たちは休憩室で昼食を摂るのだけれど、そこにあるテレビのチャンネル決定権は、女性専務が握っているのだという。
そしてこの専務はMLBにも、この星の宝、大谷翔平選手にも興味がなく、情報番組を選択するらしい。
MLBを観ましょうよ、観ませんか、観たいんですけど・・・と言えばいいじゃんと私が提案すると、そういうことをさせない雰囲気をもっている人なのだと、A子は答えました。
MLBを観られないことが退職理由の一つになるとは、専務は夢にも思っていないことでしょう。
結局、A子は決断を先延ばしにしました。
退職はせず、件の会社で働いています。
が、来月にはMLBで今年のシーズンが始まります。
A子の不満がまた爆発するのではないかと、心配しています。
子どもの頃になりたかった職業はなんですか?
今、その職業に就いていますか?
大人向けの職業体験が出来るツアーがあるというのを、新聞記事で知りました。
数時間から丸一日までの様々なツアーが用意されていて、実際にプロが働いている現場を、見学出来たりするという。
大人版のキッザニアみたいなものでしょうか。
テレビ番組の企画で、社長が別の会社の社長のカバン持ちとなって、丸一日仕事ぶりを見学させて貰うというのを見たことがあります。
カバン持ちとなった社長が、他社の社長業を間近に見て、驚いたり、感心したりする様が映し出され、それを見ているこっちも面白いのです。
ツアーにもテレビ番組にも、それまでの仕事に対する考えが、大きく変わるきっかけがありそうですね。
どの仕事にも苦労があって、それを克服するための工夫があって、誇りがあって、喜びがある。
そうしたすべてを学べるのは、貴重な機会になるに違いありません。

フリーライターをしていた頃、とても流行っているイタリアンレストランに取材に行きました。
オーナーシェフはまだ二十代。
予約が出来ないランチタイムには、行列が出来るほどの人気ぶり。
そのオーナーに、どんな時に喜びを感じますかと質問しました。
これは、編集者から渡される質問リストに毎回入っているもので、必ず聞いてこいと言われるので、この時も尋ねたのです。
こうした問いに対する回答は「お客さんが美味しいと言って喜んでいるのを見た時」とか、「笑顔を見た時」といったものがほとんど。
返ってくる答えが分かっている中で出す質問なので、こっちは儀式のような感覚。
頭の中では次の質問を用意している状態です。
そのイタリアンレストランのオーナーは答えました。
「レジをしめて、売上の金を数えた時に喜びを感じるね」と。
おっと。
ここまでの正直者に取材したことはなかったぜ。
思わずメモ帳からオーナーに視線を移すと、彼はニヤリとしていました。
どこに喜びを感じてもOK。
動機はどんなものでもOK。
働くということは奥深い世界なのです。
FPから聞かれました。
「なにをしている時が幸せですか?」と。
ムムム。
なんだろう。
しばし考える。
即答出来ないって問題だよなぁと思いながら、必死で答えを探す。
でもなにも浮かばない。
私がなかなか答えないのでしびれを切らしたのか、FPは「それじゃ、宿題ということで」と言い、その場を締めました。
それから事あるごとに、幸せを感じる時はいつだろうと考えていました。
それから1週間後、小説の原稿を書き終えました。
執筆中は土日も関係なくずっと書き続けるので、1つ小説を書き終えた時には、少しの間休みを取るようにしています。
この休み期間中になにをするかというと、読書。
この時もさてさてと呟きながら、積んでいた未読本に手を伸ばし掛けて、はっとする。
ワクワクしていることに気付いたのです。
これか。
なにをしている時が幸せかといえば、本を読んでいる時だったと、ようやく気が付いた瞬間でした。
あまりに日常的な行為だったので、幸せ中などと意識することなく読書していましたが、FPからの問いに対する答えはこれでした。

そう分かってみれば思い当たる節が。
新刊を出した時、自分を祝ってあげたい気持ちになります。
どうやって祝えばいいのか検討した結果、ちょっと高額な品を買うことに。
新刊が出る度に、服やらアクセサリーやらを買っていました。
昔は。
やがて高額な品を手に入れても、あまり気持ちが上がっていないことに気付きました。
自分を祝いたいなら、楽しい所に行くなどの体験型の方がいいような。
楽しい所ってどこだろう・・・と、考えたら、書店でした。
思い起こせば小学生の頃から、行って楽しい場所は書店でした。
残念ながら今、私が住む家の近くに書店はないので、電車に乗り2つ隣の駅へ。
駅前にある書店の中をウロウロ。
楽しい。
ウキウキしながら店内を回遊し何冊か購入。
そして近くのカフェで一服。
買ったばかりの本を開き読み始める。
これぞ至福の時。
自分への最高のご褒美はこれでした。
知的能力は70歳頃まで伸び続ける・・・らしい。
ホンマかいな。
と、思いました。
新聞記事によれば、知的能力には2種類あるという。
1つは新しい状況や課題に素早く適応する「流動性知能」で、もう1つは経験や学習によって獲得する「結晶性知能」。
「流動性知能」は50代中頃まで維持されて、その後急速に低下するが、「結晶性知能」の方は70歳頃まで伸び続けた後で、緩やかに低下すると書いてありました。

自分の実感との乖離に愕然としてしまいます。
私はどちらも30代がピークで、その後ガクンと落ちたという実感なのです。
私は特にその能力の減退を感じている記憶力は「結晶性知能」と「流動性知能」のどっちでしょう。
これらとは別物でしょうか。
記憶力が弱っていることに気が付いたのは30代でした。
当初はそんな自分にショックを受けていましたが、段々折り合いをつけていくように。
自分の記憶力をあてにしない生き方を、するようになっていくのです。
部屋のあっちこっちに付箋とペンを置いてあります。
なにか思い付いた時に、この付箋に書き残すのです。
この付箋は1カ所にまとめておき、定期的にチェックします。
これは急がない内容の場合。
今日のことの場合には、付箋を目にする場所に貼るようにしています。
この貼る場所は重要。
例えば今日の昼食後に薬を飲まなくてはいけないような時。
自分のことがまだよく分かっていなかった頃は、置時計に「薬」と書いた付箋を貼りました。
ところが飲み忘れます。
私は食事中も後も、置時計を見ないのだと知る。
次にテーブルの隅に貼っておいたのですが、また飲み忘れました。
私は食事中も後も、テーブルの隅は見ないのだと知る。
そこでキッチンの作業台の中央に貼ることに。
使った食器を必ず置く場所なので目に留まり、思い出せるのです。
自分の行動を予測することが大事。
こういう知恵はつきました。
