ブランコ

  • 2021年12月06日

自宅近くには、ちょっとした広場がたくさんあります。
公園とまではいかない広さ。
砂場があるだけ、ブランコがあるだけ、ベンチがあるだけ・・・といった小さなスペース。

先日、そうした場所の1つの前を通りかかりました。
そこにはブランコが2つだけ。
そのブランコに女子中学生2人がそれぞれ座り、お喋りをしていました。
「青い春だねー」と思いながら通り過ぎました。
学校でどれだけ喋っていても足りない。
だから放課後もお喋りをする。
これが青春です。

中学生の頃の自分はどんな放課後を過ごしていたかと、記憶を手繰り寄せてみますと・・・学校では寄り道が禁止でした。
多分。
だから表通りではなく、裏通りにある喫茶店が人気でした。
また外から中が窺えるような窓がある店は敬遠され、地下や二階の店が選ばれました。
たまたま通りかかった先生から、制服を見とがめられないようにです。

ある日友人に連れられて、今、人気だという店に。
地下の小さなその店には、自分と同じ制服姿の女子生徒がたくさん。
そこは焼きうどんの店でした。
それまで我が家やその周囲では、うどんを焼くという習慣がなかったため、衝撃を受けたことを覚えています。
「うどんを焼いちゃうんだぁ」と、そんなことに感動していました。

そうして焼きうどんを1人前平らげた後で、フツーに自宅で夕食を食べられたのは、若さ故でしょう。
若さって凄い。
今同じことをしたら、胃もたれして数日苦しむことになります。

中学生の頃、放課後焼きうどんを食べながら、どんなお喋りをしたのか・・・まったく覚えていませんが、きっと楽しかったんだろうなと想像します。
ただ一緒にいてただ喋っているだけで、楽しかったんでしょう。
振り返れば、もっと勉強しておけばと思ったりもしますが、ああいう時間はやはり人生においてとても大切なものだったとも感じます。

コロナ過の生活が続いています。
色々な制約の中で、学校生活を送る子どもたちは大変です。
そんな中でも青春を楽しんで欲しいと願っています。
一度きりですから。

ジーパンを

  • 2021年12月02日

ジーパンを滅多に穿きません。
恐ろしいほど似合わないから。
そうはいっても穿くべき時はあるので、1本だけもっています。

引越しの日。
そうそう、こういう日に穿くべきものよと思いながら、足を通してみたら・・・キッツキツ。
息を思いっ切り吸い込んでお腹を引っ込め、なんとかボタンを留めましたが、キツ過ぎて屈めないし、座れない。
座ろうもんならジーパンが凶器になって、私を襲ってくるといった状態。

おかしい。
医者から言われて毎日体重を計測しています。
何年も体重は増えていません。
だから太ってはいないはず。
なのに、ジーパンが穿けなくなっているのは何故か。
デニムってもしかして長くクローゼットに放置していると、縮んだりしますか?

と、責任転嫁して現実逃避している場合じゃない。
体重は変わらなくても体型が変わったんでしょうね、多分。

これまで無自覚なふりをしてはきましたが、実はちゃんとわかっていたのかも。
最近買った服を見てみれば、ウエストがゴムのフレアスカートばかり。
「私、何年も体重変わってませんから」と思っている一方で、ウエストがゴムのフレアスカートを買っていた・・・これが証拠。
ちゃんと心の底では自覚していたみたいです。

家から5分のところにスポーツジムがあります。
そのスポーツジムは2階にあり、1階にはスーパーが。
スーパーに買い物に行く度に看板を見上げて、こういうところで運動するべきだろうかと考えます。
運動といえば、映画を観ながら青竹踏みをするぐらいしかしていない私。
こういうところで、ちゃんと運動するべき時なのかもと思うのです。
が、その看板には西洋人の若く美しい女性が、均整のとれた身体で、ウエイトリフティングをしている写真が使われていて、現実の私との乖離が大き過ぎて、そこで運動する自分を想像出来ないのです。
ごくフツーの女性が、楽しそうにランニングマシン上を歩いていたりする写真の方が、私には刺さる。
刺さるとか、刺さらないとか言ってないで、見学でもしてみたらどうかとの声もあろうかと思うのですが、重い腰は上がりません。

散歩がてら隣の駅まで歩いてみるといった程度で、お茶を濁しています。
えっ? ジーパンはどうしたのかって?
クローゼットの中に入れてあります。
もしかしたらすっと穿けるようになるかもしれない。
そんな奇跡が起こらないとも限りませんからね。
そんな奇跡が起こると考える根拠はゼロなのですが。

修理を

  • 2021年11月29日

新聞を読んでいたら見慣れない言葉を発見。
それは「修理する権利」。
アメリカのバイデン大統領がこの「修理する権利」を広げる意向を示したんだとか。

なにかが壊れたら取扱説明書を引っ張り出します。
「故障かなと思ったらまずはここをチェックして」といったページが大抵あるので、そこを読み、機械の調子が悪いといったレベルではなく、どうやら本格的に壊れているようだと判断すると、カスタマーセンターに電話。
そして「只今電話が大変混み合っております」といったアナウンスを延々と聞かされる。

自分で買ったものではなく貸主のものである場合は、管理会社に連絡をして修理の依頼をする。
この2つのパターンしかないと思っていました。
が、どうやら私には「修理する権利」がある模様。

この大統領の意向に沿ったのか、アップル社がiPhoneを自分で修理したり、電池を交換したりすることを、容認することにしたと記事にはありました。
この文章からすると、これまでは自分でやったらダメ、そんなこと認めないとしていたのを、方針を変更して、客が修理しても許してやるということなんでしょうかね。

今後は電池やディスプレー、カメラなどの部品や工具が、ウエブサイトで購入出来るようになるそうです。

腕に自信があれば、自分で直した方が安いでしょうし早そうです。
こういうのが得意な人はいいですね。
私はまったくダメなので、自分でやる気にはなりませんが。

以前、空気清浄機の中を掃除しようとした時のこと。
取扱説明書を見ながら分解。
掃除機で埃を吸い取ったり、フィルターを洗ったりして、さぁ元に戻そうと思ったら・・・中に収まらない。
だから蓋を閉めることが出来ない。
何十回取扱説明書を読んでも、その通りにならない。
もうヤだ。
新しいのを買おうか。
いや、これを捨てるのも粗大ごみセンターに申し込んで、処理券を購入してと、メンドーだからやっぱりこれを使いたい。
と、目の前の空気清浄機に気持ちを戻して、挑戦を続けることに。
結局、その日のうちに完成出来ず。
翌日になり、もうどうにでもなれといった気持ちで、部品を強く押し込んでみたらカチッと嵌る音が。
なんだよ、遠慮せずに強く押し込めば良かったのかよと呟く。

この程度の私ですから、スマホを自分で直す気持ちにはまったくなりません。
私が心配するのは、自分でスマホを直す人がどんどん増えた結果、カスタマーセンターが縮小されていき、今よりも更に電話が通じなくなるのではないのかという点。
世の中の進歩から遅れている人へのサービスも忘れないでねと、お願いしたいです。
「修理を頼める権利」も私はもっていると思うのです。

運転免許

  • 2021年11月25日

運転免許を取るため、自動車学校に通い始めたのは30歳の時。
苦労しました。
元々運動神経が鈍いので反応が遅い上に、同時にいくつものことを考慮しながら動作するというミッションが、私には大変でした。
軽くパニックを起こしている状態だったので、車を思い通りに動かすことが至難の業だったのです。

女性教官の多くは優しかった。
もっとハンドルを切ってくださーい。
もう少し左ですねー。
などと言う。
が、レッスンが終わってもハンコを押してくれない。
教官がハンコを押してくれるとその授業は終了になり、次のステップに進めるのですが、そのハンコを押してくれない。
つまりもう一度同じ授業を受けなくてはいけないってこと。

一方男性教官の多くは厳しかった。
ダメダメ。それじゃぶつかっちゃう。
違うでしょ。もっと丁寧に。
なんて、結構キツい言葉を投げてくる。
ところが最終的にはハンコは押してくれる人が多かった。

大変な思いをして取得した運転免許。
その後車を所有し、地方の仕事に車で出掛けていました。
やがて仕事の内容が変わり、運転する機会は激減。
駐車場代や維持代が勿体なくなり、車は手放しました。
それから20年以上。
もう怖くて運転は出来ません。
運転免許証の更新は続けていますが、身分証明書として便利だからといった理由です。

毎日のように高齢ドライバーによる、交通事故のニュースを耳にします。
その度になんとかならないものかと思います。
本人はまだ大丈夫と思っているんでしょうね。
やはり年齢制限を設けた方がいいのかも。
地方などで車がないと生活出来ないというケースでは、新たな免許制度にするとか。
月に一度認知機能のテストや、反射神経のテストなどを受けて貰って、ついでに血圧も測って、健康診断とセットになっているような制度はどうでしょう。

本人に免許を返上させるというスタイルは、もう限界のように思います。
これ以上悲劇を繰り返させないために、制度を変える時期ではないでしょうか。


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