巣ごもりで

  • 2020年11月30日

巣ごもり期間が続き、スケッチブックや編み糸などの売上が好調だそうです。
自宅で過ごす時間が増えて、新しい趣味にトライしている方が多いのでしょうかね。

私は元々自宅で過ごす時間が長く、またそれを苦だとは思っていません。
本を読み、映画を観て、囲碁をして・・・と、インドア街道まっしぐら。
家の中にいることが大変そうな皆さんの様子に、「皆はそうなんだぁ」とちょっと驚いているぐらいです。

スケッチブックを買った人は、自宅で絵を始めたのでしょうか。
私に絵心があれば是非やってみたい世界なのですが、哀しいかなそういう才能がありません。
なにかを伝えようとする時に言葉では難しくって、私が簡単な絵を描いて説明することがあるのですが、却って相手は混乱したような表情になります。
そして遠慮気味に「あの・・・それはなんですか?」と質問してきたりする。
絵の説明までするはめになり、増々話がわかりにくくなった・・・なんてこともありましたっけ。

編み物も素敵な趣味ですよね。
昔は結構編み物をしていました。
真っ直ぐ編めばいいマフラーから始まり、難しいセーターに挑戦したことも。
でも今は目が疲れそうだなと思ってしまい、触手は伸びません。

本来私は雑な性格。
これが編み物にはとても不向き。
編み物を始めようとする時は、専門雑誌などにある編み図を参考にするのがフツー。
編み図は編み物の設計図なのですが、この通りに編めばいいとはいかない。
私が編もうとしている毛糸や、編み棒の太さや、編み方の強さなどによって、この設計図通りに編んだとしても、そこにある完成図のサイズにはならないからです。

そこでまず編み図と、私が編むものとの差を把握するため、ゲージというサンプルを編む必要が。
まずは10センチ四方程度に編んでみて、そこに出来た目の数を数えます。
そうすれば自分がその毛糸と編み棒で、1センチ編むために必要な目数がわかり、また1センチ編むために必要な段数もわかります。
ここから編みたい長さにするために必要な目数と、段数が導き出されます。
これがきっちり整数になればいいのですが、小数点なんかが付いちゃったりする。
雑な性格の私はもうこの時点ですでに、うんざりしてしまう。
まだ10センチ×10センチ編んで、数を数えただけなのに、精神的には10着編んだぐらいの疲労感が。
そして、まぁ、大丈夫だろうと思ってしまう。
全然大丈夫じゃないのですが、そこで何故か、なんとなると思ってしまうのが私の悪いところ。
編み始めてしまいます。
きっちりした人であれば、1段編むごとに正の字でも書いていって、編み図通りにするのでしょうが、私は正の字を書く時もあるけれど、書くのを忘れちゃうこともある。
あれ? さっき正の字入れたっけ? ま、いっか。
てな具合で編み進む。
このようにして編み図からはどんどん遠ざかっていく。

やがて「なんか、もう充分な長さになってるけど、編み図に書いてある段数にはまだほど遠い・・・いいのかな?」と思う日がやって来る。
そんだけ好き勝手にやっておいて、今更編み図を参考にするなって話。

しょうがないのでテキトーなところで編み目を減らし始めて、袖ぐり部分に取り掛かる。
最初にちゃんと計算をしておかないのに、技量はないもんだから、そこだけ編み図通りにする。
すると極端に鋭角な袖ぐりになったりする。
それでもここで止めたらなんか口惜しいと思うので、編み進めていき、とにかくセーターを完成させる。

なんとか完成したものの、すでに季節は春だったりする。
着るタイミングは終わっている上に、着たいとは全然思えない仕上がりのセーターは、一度も袖を通すことなくクローゼットに。
そして数年後に発見して酷い出来に絶句する。

こんなことを何度も繰り返しました。
編み物は向いていないようです。

プロフィール写真を

  • 2020年11月26日

プロフィール写真を求められることがあります。
エッセイなどを書いた時、そのページの隅に著者の顔写真を載せるというのです。
こうした時の写真のサイズは大抵とても小さい。
が、小さいからといって自撮りしたようなものでは、クオリティーの面から却下されることも。
そこで以前出版社さんに所属するカメラマンさんに、撮って頂いたものを使用していました。
勿論、使用許可を取った上で。

そして気が付けば5年が経過。
写真の中の私と、現実の私に大きな差が。

エッセイ原稿などを依頼されたり、渡したりする際には、対面することはなくメールだけで行います。
今の私を知らない方であれば、5年前のプロフィール写真を渡しても全く問題ありません。
が、今の私を知っている方の場合・・・これ、相当昔の写真ですよね? とツッコんでくる。
ハハッ。
そうなんですよ。5年前のものなんです。でも最近のはなくって、ごめんなさ~い。
で、なんとか済ませてきたのですが、たまたまそうした私のプロフィール写真を見た友人A子から「いくらなんでも古くない? 詐欺に該当するよ」と連絡が。

あー、そうですか。
ということで、自宅近くの撮影スタジオを予約。

実は2年ほど前に自宅にカメラマンに来て貰って、撮影したことがありました。
その際に自分でいつもより若干丁寧に、化粧とヘアセットをして臨んだのですが・・・所詮素人の所業。
出来上がった写真を見れば・・・うーむ。
実物の低レベルさやヘアメイクの技術の問題だけでなく、くっきりとはっきりと撮られていたのも、うーむと唸る理由の1つに。
結局、1度も使用することなく、お金の無駄遣いをしてしまったのでした。

そこで今回は「ソフトフォーカス」でと繰り返し依頼し、更にプロの方にヘアメイクもお願いすることに。
そしてヘアメイクに1時間。
撮影に1時間。
データの修正に30分。
こうして渾身の1カットが出来上がりました。

出来はといえば・・・大満足。
もうこれは私じゃないってぐらいの写真になっている。
やっぱりプロに頼むと違いますね。

で、その写真は? との声が上がるかと思うのですが、敢えてここでアップはしません。
どこかで見かけたら、これがプロの技の結晶かぁと思ってください。

私を詐欺師呼ばわりしたA子に、この写真を見せると・・・どこのスタジオ? と聞いてきました。
自分もそこで撮影したいと言うのです。
A子はブログをやっているので、そこに掲載したいのだとか。
そのスタジオのHPアドレスを教えたところ、すぐに予約の電話を入れたそう。
でも予約がいっぱいで、撮影は12月中旬になってしまったと言っていました。
腕のいいカメラマンとヘアメイクがいるスタジオは人気のようです。

食品ロス

  • 2020年11月23日

食品ロスを少なくする取り組みが、色々なところで行われているそうです。
店舗やメーカーでそうした取り組みが進んでいく中、我が家はどうかというと・・・野菜や肉、魚などを食べずに捨てたりすることは、ほぼありません。

10日に1回程度、ネットスーパーでまとめて購入します。
肉や魚は冷凍庫へ。
そして野菜は傷みが早いものから、使っていくようにします。
まずは葉物を使うようにして、段々と根菜類など日持ちがするものに変化していきます。
こうして野菜を利用していくうちに、10日前後で冷蔵庫は空に。
そこでネットスーパーで新たに購入。
こういった具合で、食べずに捨てるということは滅多にありません。
肉と魚と野菜は。

問題は果物。
10日分だけを購入したいのですが、ネットスーパーの果物は、1個という単位ではなく、1袋という単位で販売されているものがあるのです。
例えばみかん。
1袋と書いてある。
画像では7~8個ぐらい入っているように見えますが、定かではない。
バナナも曲者。
1房の単位なんです。
1房に何本のバナナが付いているのかは不明。
店によっては4~5本と書いてくれているところもありますが、届いたのは3本だった、なんてこともままあります。

このため足りなくなるのは嫌だなという気持ちになり、必要な数より大目に注文してしまうのです。
更に野菜の場合には、そろそろ片付けないと痛んでしまうといった時には、スープに放り込む作戦を取れるのですが、果物の場合はそうはいかない。
ジューサーでもあればフルーツジュースでも作れるのでしょうが、そうした家電はもっていないのです。
それで果物は食べる前に痛んでしまって、捨てることになったりするのです。

ジューサーを買うべきかも。
と、考えてネット検索してみると・・・価格はピンキリ。
いくつかの品の説明書きを読んでいるうちに気が付きました。
手入れがメンドー臭そうだということに。

そして脳内では物語がスタート。
タイトルはジューサーの行く末。
「これで毎日栄養豊富なフルーツジュースを楽しめるわ」
「なんか、洗うのに時間が掛かる」
「今日はやめといて、明日にしようかな」
「これ、邪魔なんだよね、狭いキッチンで場所を取って」
「こんなところにジューサーが」
「あぁ、そういえば、ジューサーでフルーツジュースを飲もうと、考えたことがあったっけなぁ」
「誰かいらないかな」
「フリマアプリで売ろうかな」
「相場の値段は結構安いなぁ。写真を撮って、商品情報を入力して、梱包して、そんだけ手間暇かけてこの値段かぁ」
「これって……もしかしてジューサー? 私、ジューサーをもってたんだぁ」
「サイズが30センチ未満だから、燃えるゴミの日でいいんだよね」

買う前にジューサーの行く末が見通せてしまい、ネット検索を終わりにしました。
果物を捨てなくても済む別の方法を、模索したいと思います。

生野菜に

  • 2020年11月19日

子どもの頃、生野菜に掛けるものといえばマヨネーズでした。
一択です。
稀にマヨネーズではなく、塩を選ぶ人がいました。
当時はマヨネーズを選ばず塩を掛ける人を、私は頑固者と思っていましたっけ。

中学生になったある日、食卓に瓶が置かれているのに気が付きました。
ドレッシングだと母が言いました。
音の響きが、なんだかオシャレだと思いました。
母はどこかで、そのオシャレなものの存在を知ったのでしょう。
マヨネーズを掛けていた時は、生野菜を食べているといった感覚でしたが、このドレッシングを掛けた途端、サラダを食べているといったものに変わりました。

以降我が家ではドレッシングが登場する日が増えていき、食卓には常に2~3本程度瓶が並ぶように。
その日の気分で、ドレッシングを選ぶスタイルになりました。
どの家も大体こんなもんだろうと思っていました。
数年前に友人A子の家に遊びに行った時も、食卓にドレッシングの瓶が3本並んでいましたから。

ところが。
友人B子の家に行ったところ、食卓に生野菜があるのにドレッシングの瓶がない。
有機野菜を自分で育てたの。本来の美味しさを味わって欲しいから、そのまま食べて。
なんて言われるんじゃないかと思い、だとしたら地獄だなと身構えました。
たまにレストランなどで、同じ理由から生野菜を、そのまま食べさせられる目に遭ったりすることがあるのですが、そんな時にはウサギってこんな気持ちなのかなと想像し「私はウサギじゃないけどね」とボヤきます。

固まっている私にB子が言いました。
「これと、これがドレッシングなの。お好きな方を掛けて」と。
よく見れば小鉢が二つ、テーブルの中央に置かれていました。
どちらにも小さなスプーンが入っていて、それを野菜に掛けろと言っている模様。

恐る恐る尋ねました。
「もしかしてドレッシングを自分で作った?」と。
「勿論」と答えるB子に、「凄いね」と言うと、B子は「料理を美味しく食べて貰いたいから、その前のサラダの味とのバランスが大事で、それを考えると自分で作った方が調整し易いから」と説明しました。
「なにそれー」と危うく叫びそうに。
料理人かと思うような発言じゃありませんか。

私は更に尋ねました。
「もしかして焼き肉のタレとか、鍋のタレとかも自作っすか?」と。
B子はにっこり微笑み「うん」と答えました。

B子がどういう時間の遣り繰りをしているのか、全然わかりません。
子育てをしてパート仕事もしながらで忙しいはずの主婦が、ドレッシングもタレも手作りしちゃうっていうのは、もはや反則。
こういう人がいると、それがスタンダードだと勘違いする男を生んでしまいかねない。

生野菜になにを掛けるかには、時代と考え方が反映されると知りました。


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