「店」の定義が変わりつつあるようですね。
その役割が買う場所から、ショールームへと変化しているんだとか。
ある家電量販店では棚に並べた商品の横に、QRコードが書かれたものが設置されていて、客がそれをスマホで読み取ると、通販サイトに繋がるんだとか。
そこで類似品や口コミをチェックして、よし、買おうとなったら、その通販サイトから注文。
自宅受け取りにすれば手ぶらで帰れるという。
だとすると・・・店員さんがぴたっと張り付いて来る、といった事態に遭わずに済むのでしょうか?
これまで何度も家電量販店に行きましたが、商品を見ていると大抵店員さんから声を掛けられました。
「見てるだけなんです」とか「今日は買わないんですけど」などと予防線を張るのですが、そんなことでは怯んでくれない。
聞いていないのに商品について語り出す店員さん。
え、そうなの? なんて段々その話に惹き付けられていき、気が付けば、この人から買わなくてはいけないといった思いに。
そんな魔法に掛けられて、予定していたのとは違う商品を買ったことが何度もあります。
ショールームとなった店では、こうした店員さんマジックはなくなるのでしょうか。
それはそれでちょっと寂しい。

昔々、パソコンなるものを買った方がいいみたいだと感じた時がありました。
でも周囲の話をいくら聞いても、なにを買ったらいいのかがわからない。
そこで家電量販店へ。
売り場にいた男性店員に「猿でも使えるパソコンはありますか?」と質問。
なんだ、こいつ? といった表情を一切浮かべず、「初めてなんですね」と笑顔で切り返してきた店員さん。
頷く私。
すると「A社かB社がいいでしょうね」と2つの選択肢を出してきました。
だったらA社ですねと言わず、2つの候補を挙げて客に選ばせようとするところなんざ、プロの技。
店員さん曰く「初心者の方なら機能で比べるというよりも、サポートが充実しているかどうかでメーカーを決めた方がいい。だとすると日本メーカーのA社かB社だ」とのこと。
なるほどと納得する。
そしてA社とB社の初心者にお勧めの機種について、ざっくりと話を聞く。
決められない。
どっちにしたらいいですかといった顔で店員さんを見つめる。
すると「決めるの、難しいですよね」と店員さんは言い、「こっちにしましょうか。千円、安いですから」と最後の後押しをしてくれる。
「はい。これにします」と答える私。
店員さんに決めて貰えたことでほっとしていましたっけ。
こんな買い物の仕方をするのは私だけ?
知識はないし、調べたり、勉強したりもしたくないのだけれど、その商品を買いたいと思っている客・・・いないんでしょうか?
ゆっくり見たいなぁと思う一方で、魔法に掛けられたいとも思う。
複雑な心模様の客って、いるでしょ? いない?
「オヤカク」という言葉の意味を最近知りました。
就活界で使われる造語だそうで、「親に確認」の言葉から生まれたとか。
意味は、企業が内定者の親に、入社意思を確認することだそうです。
そんなことが行われているんですね、今は。
子どもが行きたい企業と、親が望む企業が一緒であればいいのでしょうが、違うことも多いんだとか。
親はとかく大手であることや、有名である企業への就職を望みがちで、子どもが決めた企業への就職を全力で阻止しようとするケースもあるそうです。
でも。
働くのは親じゃない。
1日8時間。週に5日。これを何年も、何十年も働くのは子ども。
働く楽しさを感じられない職場や、合わない仕事を長時間続けるのは地獄です。
親を安心させるために自分の人生を地獄にしてしまうのは、避けた方がいいと私は思います。

昔、フリーライターをしていた頃、就職関連の本を編集することになり資料集めを開始。
その中である就職情報会社が、学生向けのサービスをしているのを知りました。
それはたくさんの質問に答えていくと、あなたに向いている仕事がわかるという有料サービスでした。
面白そうだと思った私は申し込むことに。
当時30代でしたが、年齢を偽り学生のふりをして質問に答えていきます。
年齢以外はすべて正直に回答。
そして出て来た結果は・・・あなたに向いている仕事の第1位は「アナウンサー」。
おいおい。
なれるかどうかには容姿が非常に重要な職業を、そんな簡単に薦めないでいただきたい。
私が本当に世の中のことを知らない学生で、そうか、私はアナウンサーに向いているのかと、この結果を鵜呑みにして目標にしてしまったら、どうするの?
当然合格など出来るはずもなく就活大失敗となる。
このサービスの限界を知った瞬間でした。
第2位がなんだったのかは覚えていないのですが「作家」が第3位か4位に入っていて、「向いていなくはないんだな」と思い、少しほっとしたという記憶はあります。
当時、小説を書くことを仕事にしたいと思っていたもので。
今は売り手市場のようですから、あっちこっちから内定を貰い、余計に迷ってしまうのかもしれませんね。
情報は溢れているし、親は色々言ってくるしで、どうしたらいいのか困っている学生さんも多いのかも。
大事なのは「自分の人生を、誰かに決めさせるな」ということ。
なにがしたいのか、どういうところが向いているのか、薄っすらとわかったら、そこへ飛び込むのが1番。
と、私は思うのです。
ウナギの完全養殖が初めて成功したそうです。
これだけ食べられているのに、その生態がよくわかっていなかったというのが、そもそも不思議ですが、なかなかに珍しい生き物なんでしょうね。
食事はなにがいいですかね? ウナギでもどうですか?
などというメールを貰った場合・・・「おぉ」と思わず感嘆の声が上がってしまうってもんです。
この「おぉ」には、ウナギがもっている高級感と特別感にヤられてしまい「本当にいいんですか?」と確認の返信メールを打ちたくなるほどの気持ちがこもっています。

が、もし完全養殖が進んだら・・・今月はつい調子に乗って衝動買いをしてしまってピンチだから、財布の紐をキツクしなきゃ。お昼はウナギにでもするかなぁ・・・なんてことになっていくのでしょうか。
こんな風にウナギが身近な存在になったとしたら、それは嬉しいことなのですが、一方でその特別感がなくなってしまうのは寂しい気もします。
このウナギの完全養殖にはまだ課題が残っているんだとか。
それは、稚魚になるまでの生存率が5%に満たないことや、成長期間が自然界の場合より2倍も長いといった点だそうです。
この生存率と成長期間が解決しないと、商売としては難しいでしょうね。
でも研究を重ねて、いつの日かこうした問題をクリアしそう。
値段はお手頃に、特別感はそのままに・・・といった場所にウナギが向かってくれるといいのですが。
友人A子はウナギが苦手。
アレルギーではないそうです。
取引先の人から「ご馳走してあげるよ、ウナギ」と言われると、わー、嬉しいといった表情を作るのに苦労したとか。
この「ご馳走してあげるよ、ウナギ」の中には、「高い」「でも俺は太っ腹だから」「特別に」「奢ってやる」といった様々なメッセージが含まれていて、苦手なんですと言う勇気はなかったと言います。
昔はアレルギーといった言葉はポピュラーではなかったですし、苦手なのでと断ることも許されない社会でした。
食べ物に好き嫌いがあるのは、成長していない証拠だと説教を垂れる人さえいましたっけ。
昔は給食を残してはいけないという教師はたくさんいて、午後の授業に入っても、嫌がる生徒に食べるよう強制していました。
あれはどういった教義を信奉していたんでしょうか。
私は運良く、給食を残しても見て見ぬふりをしてくれる担任教師ばかりだったので、苦手なものを泣きながら食べるといった経験はせずに済みました。
時は流れ、アレルギーという単語は市民権を得ました。
「すみません、私、ダメなんです」と言える雰囲気がありますし、「ダメなものってある?」と先に聞いてくれたりするようになりましたよね。
人によって様々なNG食材があるという知識をもつようになると、接し方は変わるんですね。
こんな風に知識によって暮らしやすくなるといったことが、もっともっと増えていけばいいと思います。
囲碁教室に通い出してから7ヵ月。
後から入って来た70歳の男性に抜かれたり、進歩しない自分に嫌気が差したりする7ヵ月でした。
辛口の先生から「遅い」だの、「それは前にやりましたよ」などと言われた時には、止めようと思ったりもしましたっけ。
勉強する時間を見つけるのは難しく、お湯が沸くまでの間とか、仕事と仕事の間の隙間を見つけての遣り繰りでした。
宿題が結構多くて、ヒーヒー言いながらの受講が続きました。
そんなこんなの段階を経て、やっと入門用のカリキュラムが終了しました。
とはいうもののマスターしたのではなく、入門者に用意されたドリルをすべて終えただけなのですが。
次のステップはいろんな人と対局しながら学んでいくのですが・・・出来る気が全然しない。
教室で対局はこれまでもしてきましたが、先生との場合がほとんど。
私がとんでもないところに石を置けば、先生がそこじゃない方がいいと教えてくれて、良き場所をナビしてくれる。
更に「こっちの方がいいですか?」と質問することも出来るので、対局しているといった感覚はなく、練習しているような感じ。
そんな私が誰かと対局?
無理無理。
そこである囲碁の会に入会。
そこではネットを介して人と対局が出来るのですが、それが入会の決め手ではありませんでした。
初心者向けの練習問題が用意されていることと、ソフトとも対局が出来て、そこでの自分のやり方がどうだったのかを、添削して貰えるサービスがある点に惹かれました。
添削は一部であれば300円、一局全体であれば700円でして貰えます。
どこが悪かったのか、どうすれば良かったのかを教えて貰えないと、上手くなれないと思うので、このサービスは助かります。

入会手続きを済ませて、さぁ、まずは練習問題を解いてみようと思ったら・・・難しい。
更に間違った時「ブー」と音が鳴るのですが、この音に遠慮がない。
もう少し軽めの「ブー」にしてくれたらと思うのですが、音が重いのです。
胸にずしんとくるような低音。
間違えたという事実に向き合えと言われているような感じ。
そして正解したのか、間違ったのかといった記録がしっかり残る。
その上正答率なるものを画面に表示してきて、プレッシャーを掛けて来る。
なんか、囲碁の世界って厳しいな。
と改めて感じるのでした。