子どもの頃から、「奥様は魔女」のテレビシリーズが大好きでした。
サマンサのファッションも、母親のメイクも、いとこのセクシーさも、ダーリンとのいちゃいちゃぶりも、なにもかもが新鮮で、魅力的でした。
今見ると、魔法の数々は、ワイヤーに吊るされている物が、右から左へ動いているだけといった、非常にシンプルな特殊効果で撮影されていたとわかります。
ですが、当時の私は、なんの違和感もなく、これらを魔法として受け入れていました。
大人になったので、DVD-BOXを大人買いしようと調べたら、腰が抜けそうなほどの価格だったので、瞬時に諦めました。
そう言えば、昔、ドイツに行った時、現地のテレビを付けたら、たまたま「奥様は魔女」を放送していたことがありました。
当然ながら、吹き替えはドイツ語。
強い口調に聞こえるドイツ語だったためでしょうか。
サマンサが、ずっと怒りまくっていて、強い女性といった印象を受けました。
言葉が違うと、随分と受ける印象は違うもんだと感じたことを覚えています。
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先日、ルネ・クレール監督作品「奥様は魔女」の映画を観ました。
テレビシリーズ化されることになったのは、この映画がきっかけだったとか。
テレビの「奥様は魔女」は、この映画の続編といったことろからスタートし、シリーズ化していったようです。
この映画版の方の「奥様は魔女」も、なかなか素敵な作品でした。
軽妙ななかにも、重い真実が見え隠れしていて、そのバランスが絶妙でした。
テレビシリーズより前の作品ですから、特殊効果と呼べるのだろうかぐらいの魔法ではありましたが、作品として、シンプルかつ完成度が高いので、充分楽しめます。
比較的最近では、ニコール・キッドマンが、現代版の「奥様は魔女」を映画で演じていましたよね。
これだけ時代を超えて愛され続けるという作品シリーズは、そうはないのでは?
「魔女が人間の男に恋をする」という設定だと、紆余曲折にコメディ色を付けやすく、ストーリーの起伏を作り易いからでしょうか。
いずれにせよ、制作側の意図にすっかりはまった私は、「奥様は魔女」シリーズが大好きです。
間もなく、1年になりますね。
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去年の3月11日、私は東京の自宅で仕事中でした。
大きな揺れを感じ、咄嗟にデスクの下に身を隠しました。
未だかつて経験したことのない激しい揺れが、恐ろしくて、恐ろしくて。
あぁ、この世が終わる。
こんな終わり方って、アリかよと、呟きました。
揺れが続く中、執筆中の原稿のことが、急に気になりました。
あれだけは。
そう思い、必死で、デスクから腕を伸ばして、仕舞ってあった引き出しから、USBメモリを取り出しました。
それを握りしめ、デスクの下で、ひたすら恐怖に耐えていると、花瓶が倒れて割れる音、棚からファイルが落ちる音、クローゼットの扉が開いて、中から物が飛び出してくる音・・・と、様々な音が襲ってきました。
やっと揺れが治まり、デスクからはい出そうとした時、それができないことに気付き、腰が抜けていたと知りました。
部屋を見回し、呆然としていたのは、どれくらいの間だったでしょう。
随分と時間が経ってから、情報を得なくてはと気付き、テレビを付けました。
その瞬間から、想像を絶する現実を目にすることになりました。
情報は、テレビを通して、次々に送られてくるのですが、心はもういっぱいで、受け付けません。
感覚を失ったような状態で、ただテレビの前に座っていました。
あの日から、何度、泣いたことでしょう。
怒ったり、遣る瀬無かったり、絶望したり、無力感に襲われたり・・・。
そんな気持ちの変化の中で、改めて心にしっかりと刻まれたのは、命の重さと大切さでした。
明日、なにがあるかわからない。
ならば、今日、できることを精一杯しておこう。
最近になって、ようやく、そんな風に思えるようになってきました。
私にできることといえば、小説を書くこと。
毎日、全力投球で小説を書いていこうと、思っています。
被災者の方たちの現実は、まだまだ過酷な日々の連続だろうと思います。
励ましの言葉と共に、皆さんの痛みに寄り添う気持ちを、持ち続けていくつもりでいることを、お伝えいたします。
中学生くらいまでは、コーヒーを美味しいとは感じませんでした。
苦いので、砂糖とミルクをたっぷり加えて、まったく違う飲み物にさせてから飲んだもんです。
それが、年を重ねていくにつれ、砂糖とミルクの量が減っていき、気が付けば、ブラックで飲めるようになっていました。
今では、1日3杯ほどのコーヒーを欠かしません。
旅先などで、美味しいコーヒーが飲めなかったりすると、それだけで、哀しくなったりするほど、その存在は、私にとって大きなもの。
コーヒーのせいでしょうか。
歯の裏に、ステインがつくのがはやく、こまめに歯科クリニックでクリーニングして貰わないと、「きったない歯の女」になってしまうのが、少々メンドーではありますが。
以前住んでいた街に、小さなコーヒー豆の専門店がありました。
こだわりのオッサンが1人でやっている店でした。
コーヒー豆を注文すると、そこから、豆を炒り出すのです。
結構待たされてしまうので、先に注文をしておき、スーパーで買い物を済ませ、帰りに寄って出来上がったコーヒー豆を受け取るようにしていました。
ある時のこと。
いつもは200gを頼んでいたのですが、ちょこちょこ買いに行くのもメンドーだったので、1kgくれと私が言ったところ・・・。
「なんで、そんなに?」とオッサン。
まさか、注文量に疑問を呈されるとは思ってもいなかった私は、言葉に詰まってしまいました。
すると、オッサンが「コーヒー豆はすぐに酸化する。酸化すれば、味が落ちる。だから、本当は1度に100gしか売りたくないんだが、それだと毎日来なくちゃいけないから大変だって、客が言うから、しかたなく200gで売っている。だが、それ以上の量は売らない」とのたまったのです。
私が愕然としていると、「200gでいいだろ?」とオッサンは決めつけ、豆を炒り始めました。
頑固過ぎる――。
ですが、確かにそこの豆は美味しくて、そんなこと言うんだったら、ほかで買うわと、思い切れないものが、その店にはありました。
いっそのこと、事情があって、昨日から10人家族になりましたと言ってみるか・・・とも考えましたが、この頑固一徹のオッサンに通用する噓とは思えず、交渉は断念し、200gで我慢することに。
結局、その街を引っ越すまでの6年間、オッサンが許してくれる、200gだけを毎回購入し続けました。
そんなオッサンですから、通販なんかしてくれるわけもなく、今は大阪のコーヒー豆専門店にネット注文して購入しています。
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そこは、グラムの制限がないので、1度に1kgほどを、購入。
豆の銘柄は指定せず、その日に焙煎した豆を、適当に見つくろって、送ってもらう「お任せ」式で注文しているので、その都度、なにが来るか楽しみでもあります。
コーヒーを飲みながら、ふと、あのオッサン、元気かな? と思う日も。
頑固っぷりに磨きを掛けていて欲しいもんだと、思っています。
20年ほど前のことです。
軽い咳が止まらなくなりました。
当初は、風邪が長引いているのだろうと、軽く考えていましたが、一向に治まる気配はありません。
近所の病院に行って検査して貰いましたが、咳止めの薬をくれるだけ。
その薬を飲めば、咳は止まりますが、薬を飲まないと、咳がぶり返します。
薬は眠くなるし、飲み続けるという行為には不安もありました。
そこで、知人に紹介された、大学病院内の漢方科へ。
予想外に、採血されてしまい、「西洋医学じゃん」とぶーたれていると、ドクターの問診タイムに。
「軽い、コン。咳が、コン。半年ぐらい、コン。止まらないんです、コン」と咳混じりに説明。
せっかく病院に行っても、ドクターの前に座った途端、その症状があまり出てくれないといったことはありませんか?
私は、よくあります。
そこで、必死で、今は、これぐらいだが、さっきまでは、こ~んなに酷かったのだとアピールするはめになることもしばしばなのですが、この時は、ベストなタイミングで咳が出てくれて、小さくガッツポーズしたいぐらいでした。
ドクターからは「血液検査の結果によれば、ハウスダストと花粉のアレルギーがあるようですが、それは軽度のようなので、体力が低下しているのが原因かもしれませんね」と言われました。
薬を出して貰うことになり、院内の薬局へ。
すると、初めての人は、薬の用意ができるまでの間、そこに座って、ビデオを見るようにとの指示が。
そこで、最前列に座って、ビデオ観賞。
漢方薬の正しい作り方と飲み方をレクチャーするビデオでした。
土瓶に、コップ1杯分の水と、漢方薬を入れ、沸騰させないよう、とろ火で、水が半分になるまで、煎じる。一気に飲む。砂糖やはちみつなど、ほかのものを混ぜない・・・。
と、なかなか面倒そうなことオンパレード。
薬局のカウンターに目をやると、土瓶が1000円ほどで、販売されています。
ビデオ通りの作り方をさせようという本気度が窺い知れました。
我が家に土瓶はあったろうかと、考えていると、薬局のスタッフが、一人の名前を呼びました。
隣席の男性が、カウンターへと向かいます。
聞くともなく、聞いていると、「八万円になります」との声が。
仰天した私が、カウンターを見ると、男性が、落ち着いた顔で、財布からお金を出していました。
八万円と言われて、平常心?
もしかして、その値段は、漢方では普通なのか?
っていうか、あなたは、どんな病気なのですか? と尋ねてみたい気持ちをぐっとこらえ、その男性が会計を済ませたところで、カウンターに駆け寄りました。
「私の番はまだなのですが、だいたいいくらぐらいなのか、先に教えて貰えないでしょうか? 手持ちのお金では足りないなら、ATMを探して、お金を下ろしてこなければならないのです」と早口で尋ねると、「5千円前後」との回答。
胸を撫で下ろし、元の席に戻りました。
自宅に戻り、早速、ビデオにあった通りに薬を煎じました。
木くずや、枯れ葉や、腐った根っ子のようにしか見えない代物を、土瓶に入れます。
煎じているうちに、水はどぶ川のような色になっていきました。
こんな色のものを、口にしてもいいのだろうかと不安は募ります。
なんとか、勇気を振り絞って、トライ。
ところが、ひと口飲んだ途端、そのまま流しに吐き出してしまいました。
この世のものとは思われぬ、マズさ。
マズさ、世界一の称号を与えてもいいんじゃないかと思うとともに、砂糖やはちみつを混ぜたくなる人の気持ちを一気に理解しました。
それでも、咳を止めたい私は、なんとか薬を飲もうと再トライ。
ですが、ひと口飲んでは、おえっと嘔吐くの繰り返し。
やっとの思いで、飲みきると、なんだか喉が痒くなる感じ。
本当にこの薬を信じていいのかと、土瓶の底に残った木くずを、じっと見つめ続けました。
それから2日後。
朝、目覚めると・・・ん? 咳が止まっている!!
なんと、半年もの間続いていた咳が、ぴたっと止まっていました。
しかも2日で。
漢方。恐るべし。
疑った私を許してください。
先日、別の症状を抱えていた私が、漢方の病院をネットで探していたところ、以前大学病院の漢方科で診察してくれたドクターが、クリニックを開いているとわかりました。しかも、自宅から徒歩で十五分ほどの距離。
早速予約を取って、診察してもらいました。
処方箋をもらい、隣の薬局へ。
すると、以前のような、そこら辺に落ちていそうな木くずっぽいものではなく、ごく普通の顆粒タイプの薬が出てきました。
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驚いて、矯めつ眇めつ見ていると、「今は、漢方薬も顆粒タイプになっていて、味もよくなり、随分飲み易くなったんですよ」と薬剤師さんが説明してくれました。
そうか、あれから、20年も経ってるんだもんなぁと、漢方薬の進化に、時の流れを感じてしまいました。