裁縫が苦手です。
不器用なので思っているようにならないし、テキトーな性格が災いして「作り方」を意訳してしまうのです。
不器用なのだから「作り方」通りにすりゃあいいものを、こういうこっちゃろといった態度で臨み突き進んでしまうため、完成してみれば、なにこれ? といった代物が出来上がるというパターンです。
中高一貫教育の女子校に通っていました。
やたらと家庭科の授業が多い学校でした。
女子教育に家庭科は必須との考えがあるようです。
調理実習あたりだと、まぁ、そこそこ楽しめるのですが、裁縫の授業はチョーつまらない。
中学1年でエプロンなんて可愛いものを作り始め、やがて浴衣やワンピースへと、どんどん高度な技が必要な難しい物へと挑戦していきます。
裁縫の授業では、生徒たちはまず教壇の周りに集まります。
そこで今日の授業内でやらなくてはいけない、裁縫の作り方が書かれたプリントが配られます。
先生は生徒たちの前で、ポイントとなるべき部分について実際にやってみせ、説明をします。
その説明が終了すると、生徒たちは作業台に散らばって、プリントを見ながら裁縫を始めます。
家庭科の授業は2時限続きなので、100分の間にプリントに書かれているところまで進まなくてはいけません。
が、私はこの100分間友人相手にお喋り。
お喋りの相手である友人は、口を動かしながら手も動かしていますが、私の手は微動だにせず。
友人は2時限の間にポケットを付けたり、前身頃と後ろ身頃を縫い合わせたりと、完成に向けて着実に進んでいますが、当然私はまったく進んでいません。
それでいいのか?
オッケーなのです。
布とプリントを自宅に持ち帰り、母に「よろしく」と言って渡せばいいのです。
翌週の授業日までに母親がプリントに書かれている通り作業を進めてくれているので、それを学校に持参。
私の唯一の仕事はといえば、授業に出てプリントを貰ってくる、これだけであったと言えるでしょう。
ある日、家庭科の教師に名前を呼ばれました。
教壇に近付くと、教師は私の提出物をしげしげと眺めています。
そして「これは、本当にあなたが縫ったものですか?」と聞いてきました。
こくりと頷くと、縫い目をぐっと私に見せるようにして「縫い目が真っ直ぐで、上手すぎるのよね」と鋭い指摘。
私は教師の前でただ固まるのみ。
やがて教師は「わかりました。席に戻って」と言って、私を解放してくれました。
性善説に立っている教師が、私は好きです。
肝を冷やした私は自宅に戻り、母になんと言ったか。
もうこれからは自分でやる――なんて言うわけはなく、こう言いました。
「今度からはもっと下手にして」と。
以降、母はわざと縫い目を曲げたりするという技を使い、私の提出物を作り続けました。
お陰様で私は1つの作品も仕上げることなく、高校を卒業できました。
ずっと昔、スポーツジムへ数回通ったことがあります。
隅で自転車こぎをしている私の前で、オーバー50ぐらいに見えるマダムが、背筋を鍛えていました。
ぐっとのけ反るその姿は、アスリートさながら。
黙々と背筋を鍛える様子は、修行僧のようにも見えました。
と、トレーナーがやってきて「〇〇さん、やり過ぎです」と声を掛けました。
そんなに反らせると却って腰を痛めてしまうから、もっと低い位置まででいいというのです。
トレーナーのアドバイスをじっと聞いていたマダムはしかし、それまで同様ののけ反り具合でトレーニングを続け出しました。
おっと。
お前のアドバイスなど聞く気はないっちゅうことですか?
それとも実は訳ありの二人で、現在喧嘩中だから意地でも言うことを聞いてやらないなんて、別次元の理由があったりするんですか?
と、私は自転車こぎをしながらたくさんの質問を心の中で呟きました。
ふっ、ふっ・・・と、マダムは声を漏らしながら高い位置までのけ反り続け、トレーニング。
その側で呆然とマダムを見つめるトレーナーという図は、シュールでした。
遣り過ぎている人を見ていると・・・応援したくなる気持ちはあるのですが、一方で滑稽であったりもするので、笑っちゃうことも。
「僕とおじさんの朝ごはん」では、登場人物の僕とおじさんが、こうした状況に出くわします。
腰の悪いおじさんのリハビリを少年がサポートするため、トレーニングに付き添うシーンです。
そのリハビリ室には、超人的なトレーニングをする男が。
呆然とそれを見つめるおじさんと少年。
遣り過ぎている人を見て、呆気に取れられている二人の姿から、小さなおかしみが滲み出ていれば成功なのですが、どうでしょうか。
このシーンでは、おじさんと少年の心の近さも表現したいと思いました。
真面目にトレーニングしないおじさんと、どうしてこれができないかなと不思議がる少年。
二人の遣り取りから、この二人の間にある信頼や、友情や、居心地の良さなども漂っていればいいのですが。
新刊「僕とおじさんの朝ごはん」の電子書籍版が3月27日から配信を開始します。
「私は電子書籍版派よ」という方は、こちらもどうぞ。
部屋はフローリング。
そこをキャスター付きの椅子であっちゃこっちゃ移動。
気が付けば、床の剥がれが目立つ状態に。
ネットで修理キットなるものを探し、購入。
こういうのはやる気になった時に、一気にやっちまった方がいいもんです。
「さて、やるぞ」と鼻息荒く説明書きを読むものの、今までの経験から、私がこういうことをすると却って酷い状態になってしまうような気が。
こんな時こそ動画だな、と珍しく機転がきいた私。
修理する様子の動画を探していると・・・チェアマットなる言葉を発見。
フローリングの上に敷くことで、床に直接傷がつくのを防ぐとあります。
そっか。
こういうのがあったのか。
修理をしたとしても、そこをキャスターがまた往復すれば、再び剥がれてしまうでしょう。
修理・剥がれる・修理・剥がれる・・・の繰り返しより、チェアマットなるものをペランと一枚置いた方が簡単だし、便利じゃん。
と、この期に及んで気が付きました。
「チェアマット」で検索してみると、たくさんのメーカーがたくさんの種類のものを売っているようです。
これほどあるとどれを選んだらいいか困るのですが、購入者のコメント欄でズレなくていいと高評価だったものを選ぶことに。
届いた品をフローリングに敷いてみると・・・半透明のせいで、部屋の雰囲気を変えないのがいい。
半透明とはいえ、一枚チェアマットを敷いたせいで、剥がれていたところは全然目立たなくなっています。
この点もOK。
ただ・・・ズレなくていいとコメントをしている人が多かったはずなのに、我が家のそれはそこそこズレます。
一日ではほんのちょっとのズレなのですが、積もり積もって一週間もすると、無視できないほどのズレが。
が、修理・剥がれる・修理・剥がれるを繰り返すより全然楽なので、ズレなんて小さなことは気にしちゃいけないと自分に言い聞かせました。
以前観た映画の中で、女性が偽造パスポートを受け取りに行くシーンがありました。
出来上がった偽造パスポートを見たその女性は、自分の名前の綴りが違っているとクレームを付けます。
すると、偽造パスポートの販売担当の男性は、ちらっとその名前の箇所を見た後で「人生は完璧じゃない」と言います。
結局、女性は修正してもらうのを諦め、間違った綴りの偽造パスポートを受け取ります。
ちょっと洒落てるなと思って、記憶に残っているシーンです。
タイトルも内容もすっかり忘れてしまいましたが、このシーンだけが心に刻まれました。
そうなんです。
人生は完璧じゃない。
チェアマットだって完璧じゃない。
そもそもチェアマットに完璧さを求めてはいけないのです。
この映画の1シーンのお陰で、ちょっとダメなところもあるチェアマットと、仲良く過ごしていけるような気がしています。
アレルギー体質なので、肌に触れるモノは慎重に選びます。
柔らかくて、肌への刺激が少ないもの。
たとえばボディソープは、ちょいと高いのですが、肌が弱い人用と謳ったものを通販で買っています。
全然泡立たないので最初は物足りなさを感じましたが、使用後の肌のしっとり感が違うので、ここ数年浮気せず愛用しています。
下着もそう。
肌が弱い人のために開発されたと謳っている品で、縫い目が全部袋縫いになっていたり、商品タグが内側ではなく、外側に付いていたりします。
あまりにソフトな履き心地に、身に付けているのを忘れてしまいそうになるほど。
タオルもそうです。
なるべく柔らかいもの。
尚且つ吸水性が良くて、速乾性も欲しいですね。タオルですから。
日頃はそんな風に気を遣っていても、ホテルに泊まったら部屋にあったのはかったーいタオル・・・なんて目に遭うことも。
「これ、バスマットですか?」と聞きたくなるような硬さのタオルしかなかったりすると、なんちゅうホテルじゃと、それだけで低評価を下してしまいます。
逆にふわふわのタオルが用意されていたりすると、それだけでホテルに高級な印象を抱きます。
そんな私を知ってか知らずか、以前いただいたのがこちらの品。
確か京都のお土産だと言っていたような気がします。
ガーゼの手拭いとハンカチです。
ガーゼはいいですよね。
軟らかいし、すぐ乾くし。
「ガーゼ」と「ハンカチ」で検索すると、たくさんのネットショップが出てきますが、そのほとんどはベビー用品を扱うところのよう。
とっても可愛いデザインばかりなのですが、大人が日常使うには躊躇うようなもの。
大人はあまりガーゼのハンカチを持ち歩かないのでしょうか?
いや、きっとどこかにはあるはず。
大人向けの、お土産でいただいたこういうガーゼのハンカチが。
ネバーギブアップ。
検索の単語を変えたりしながら、ガーゼのハンカチを探すネットの旅をしようと、決意を新たにしました。