明治座にお芝居を観に行きました。
黒木瞳さん主演の「京の蛍火」というお芝居です。
1階の座席すべてに座布団が置かれていて、そこに「これは〇〇製品で、敷いてお座りください」と書かれている。
それじゃと、その座布団を敷いて座ってみる。
特段なにも感じない。
お芝居が始まって1時間。
あれ? お尻が痛くないぞと気付く。
観劇に行くと途中でお尻が痛くなっていたことを思い出す。
いつからそう感じるようになったのかはわからない。
観劇には小学校入学前から行っていたのですが、当時お尻が痛かった記憶はないので、齢を重ねる途中のどこかで、お尻が弱くなったのでしょうか。
それとも座り方が下手になったとか?
理由はわからないのですが、とにかく観劇とお尻の痛みはセットになっているものでした。
観劇が終わって立ち上がる。
お尻が痛くない。
いいわ、これ。
と、帰宅後すぐにその座布団をネット検索。
座布団ではなくクッションという名称で売られていました。
値段は1万円弱。
高い。
座布団に1万円は出せない。
諦めて数日が経過。
DVDで映画を観終わった私は、トイレに行こうと椅子から立ち上がる。
お尻が痛いので左右にフリフリして軽く運動。
更に拳でお尻をトントンと叩きながら歩き始める。
そこではっとしました。
映画を観た後、私は毎回こんな風に痛みを感じていたのです。
が、歯を食いしばるほどの痛みではなく軽微だったため、しょうがない、映画1本観たしなと自分を納得させていたのでした。
あまりに日常と化していたため、この不快さに鈍感になっていました。
劇場で観劇した時だけでなく、私は自宅でもお尻が痛かったのでした。
そういや、指圧マッサージ店で「お客さん、お尻がこってますね」と言われたことがあったっけと、すっかり忘れていたエピソードを思い出す。
その時胸に真っ直ぐ落ちて来たのは、あの座布団を欲しいとの気持ち。
1万円は高い。
だが1年間毎日使ったとすると、1日27.3円になる。
などと1万円を365で割ってみたりして、それほど高くはないという方へ気持ちをもっていこうとする。
1年間でダメになるとは考えにくく、2年間使ったとしたら1日13.6円だなどと、必死に計算している自分が不憫になる。
買いなさい。
と、自分の中で勝手に作り上げた欲望に甘い菩薩が言う。
うん。買う。
と、ようやく心を決めて購入。
それがこちら。
明治座にあったのより一回り大きい感じですが、座り心地は一緒で、長時間座っても、全然お尻が痛くならない。
とても気に入っています。
それにしても・・・明治座の座席に置くというのは、恐らくこのメーカーの戦略なのでしょう。
実際に座れば良さがわかって貰えるとの意図だと思いますが、これ、結構凄い戦略だと思います。
メディアなどで素晴らしさを謳った広告を見せられても心を乱されなくても、こんな風に実際に体験させられてしまうと、心が揺さぶられてしまうのでは。
このメーカーの手法に感心しました。
「お薬手帳」をもっていますか?
病院で診察を受けて処方箋が出た場合、近くの薬局へ。
白衣を着た人から「お薬手帳はおもちですか?」と聞かれます。
こうした問いに私が返すセリフは2種類。
「家にあります」か「ないです」。
「家にあります」と言った場合、薬の情報が印字されたシールを渡されるだけ。
「ないです」と言った場合は「作りますか?」となり、「いえ、いりません」と答えます。
実際はどっちなのよというと・・・「お薬手帳」はもっていません。
ちゃんと管理できるとは思えないし、滅多に処方箋飲まないし、「お薬手帳」を持って歩くのもメンドーだし、といった理由からです。
その日の気分で「家にあります」か「ないです」を使い分けるのみでした。
が、病院のお世話になる機会が増えてきた今日この頃。
そうしたことはこれから増えていくと思われるお年頃。
「お薬手帳」を利用しないあなたは損をしているとかいう記事を見たような気もして、「お薬手帳」デビューをしてみることに。
しかしそこは一つ飛ばして、紙製のではなくスマホのアプリじゃないかと考えました。
スマホの中に入っているなら「あっ、忘れた」といった事態を避けられるのではと。
で、アプリを探してみると・・・ありました。たくさん。
どれがいいのかと調べているうちに気が付きました。
お薬手帳アプリの人気ランキング1位のものでも、その利用者数は予想以上に少ない。
そんな程度の利用者数であるなら、近所の薬局がそのアプリに対応しているとは思えない。
どうすっかなぁと考えているうちに処方箋が出て、気が付けば「家にあります」を答えるいつものパターンに。
いかん。
これではなんら成長していないじゃないか、私は。
と、自分を叱咤し次の機会こそと固く誓ったのでした。
そして昨日。
病院で処方箋が出ました。
私は両手をぐっと握り締め向かいにある薬局へ。
ペチンと処方箋をカウンターに置き「お薬手帳をください」と声にしました。
言った。
やればできる。
これからはお薬手帳で薬を管理しますと宣言した私の胸に溢れたのは、清々しさ。
いくつになっても変わりたいと思った時、人は変われる。
心からそう思いました。
そこまでの話かよとのツッコミがあろうかと思います。
その通り。
「お薬手帳」を作ると自ら宣言するのがゴールではなく、これからはそれを持ち歩き、薬局へ行く度に提出するという難行が待っています。
頑張ります。
いつくになっても人は変われるというのは、小説「僕とおじさんの朝ごはん」の中でも登場人物たちが見せてくれます。
命と向き合うことによって、なにが大切なのかがはっきりしてきます。
そして生き方が変わっていきます。
すんなりとはいきません。
生き方を変えるのは簡単ではありませんから。
悶えながらも、変わっていく登場人物たちを見守っていただきたいと思っています。
文庫「僕とおじさんの朝ごはん」はお蔭様で重版になりましたので、入手しやすくなったと思います。
未読の方はぜひ、この機会に。
友人A子の夫、B男は競馬が好き。
初めて紹介された時、B男は私たち友人の前で、結婚を機に競馬はすっぱりと止めますと宣言しました。
A子が子どもを産んだので、祝いの品を持って遊びに行きました。
B男は子どもができたのを機に、競馬はすっぱり止めますと再び宣言しました。
これによって止めてはいなかったと知りました。
その後B男は30歳を機に、40歳を機に、50歳を機に競馬はすっぱり止めると宣言し続け、一向に止めませんでした。
こうなるとすっぱりという言葉が虚しく響くばかりです。
意外にもA子はB男に競馬を止めてくれと言ったことは一度もないとか。
だとすればどうして自ら宣言ばかりするのかとA子に問うと、「罪悪感があるのかしらねぇ」と首を捻りながら答えました。
久しぶりに友人たちの集まりがあり、そこにB男も参加しました。
これまでいくらぐらいドブに捨てたのか教えてくれとC子が尋ねました。
「月に2万円として1年間で24万円。25年以上やっているので600万円ぐらいですね」とB男は言いました。
かなり控えめに見積もっているはずなので、本当は倍ぐらいいっているのではないかと私は見ました。
600万円でも1200万円でも結構な金額です。
夫婦の資産に影響がある金額です。
女性陣たちから「おいおい」という声が上がるや否や、B男は語り出しました。
「皆さん、こう考えてください。自分は馬を飼っているのだと。その馬を一時的にJRAに預けている。餌代は支払わなくてはいけない。この餌代を毎週JRAに渡している。そう考えましょう。そうするとですね、馬を見る度、俺の馬をちゃんと育ててくれて有り難うという気持ちになります。俺は動物が好きなんです。馬を愛しているんです。そういう優しい男なんです」と。
出来損ないの屁理屈を聞かされた女性陣たちから「離婚しちゃえー」との声がA子に向けられました。
それに対してA子はなにも言わず、笑みを浮かべるだけ。
ただその瞳は笑っていなかったのが、ちょっとばっかり気に掛かります。
二人に幸あれ。
日本の選手が頑張っています。
えっ?
なんの競技かって?
トランポリンです。
先日の第32回世界トランポリン競技選手権大会で、日本選手が頑張りました。
岸選手が日本女子初の銀メダルを獲得し、女子シンクロナイズド競技でも二人の女子選手が、日本初の銀メダルをゲット。
男子団体でも銅メダルを獲得しました
素晴らしい。
選手のオカンのような気持ちで応援していますので、この快挙はホントーに嬉しい。
ご縁があってトランポリン競技に興味をもち、選手、その親、コーチ、審判といった人たちが登場する「頼むから、ほっといてくれ」という小説を書きました。
スポーツには残念ながら格差がありまして、恵まれた環境が用意されている競技と、環境に恵まれていない競技が存在します。
恵まれた環境が整っている競技では、金銭的なものも含めたサポート体制が充実しています。
練習に打ち込める環境が整っているのです。
でもそうした競技はごく一部で、多くの競技では、選手は大変な苦労をしながら練習をしています。
トランポリンも選手を続けていくには苦労の多い競技環境です。
そうしたなかで選手たちがよく頑張ってくれました。
選手たちにたくさんの拍手を送りたい。
トランポリン競技は10回の連続跳躍をして、その得点を争います。
完全な1回転宙返りだと0.5ポイント。
縦軸回転の捻りだと1/2回転につき0.1ポイント。
といった具合に技の一つひとつに得点が決められていて、それらを積み重ねていきます。
点数は小数点第3位まで計算します。
それほど細かい差によって、勝敗が分かれる競技でもあるのです。
体操やフィギュアスケートの採点方法に似ています。
ただトランポリン競技の場合、ベッドから出てしまったり、跳び上がれなかったりしたら、その時点で終わり。
失敗したら、その続きから再チャレンジというのはできないのです。
一発勝負の緊迫感いっぱいの試合は一見の価値あり。
ぜひ皆さんに試合を観ていただきたいです。
これを機にトランポリン競技とその選手たちに光が当たり、彼らの競技環境が少しでも改善されますように。