11月5日から「note」のサイト内で連載小説を発表します。
タイトルは「お答えください」。
月に2回更新する予定でいます。
有料です。
ここでは読者からのリクエストなどを参考にしながら、小説を書いていく予定でいますので、物語が作られていく過程に参加しているような感覚で、楽しんでいただけたらと思っています。
主人公は人気の会社に何故か雇って貰えた、40歳の原田陽介。
彼は入社して3週間で、応募者たちとの面接を仕切ることになります。
次々にやって来る応募者たちの偽りの話、真実の話を聞きながら、それぞれの人生を味わっていきます。
平凡な人生とか、平均的な人生なんてなくて、すべての人生が特別。
最近特にそう思います。
年齢のせいなのか、小説を書き続けて来たせいなのか・・・わかりません。
生き様というものにとても興味があります。
新刊「たそがれダンサーズ」を読んだ方からは、様々な感想をいただきます。
登場人物たちと同年代の50代の方たちからは「身につまされた」と言われます。
毎日一生懸命生きてきて、ふと足を止めてこれまでと、これからの景色を眺めてみたら・・・呆然としてしまう。
こんな登場人物たちの感覚を、同世代の方は「そうそう」と同感していただけたのかもしれません。
40代の方の場合は少し先の話として、やや落ち着いて小説を読んでいるようにお見受けしました。
先輩たちの右往左往を反面教師として、現在の自分の生活を再チェックしたというコメントをした人も。
これが30代より下の方たちになると、丸っきり違う感想に。
おじさんたちが頑張っている姿が可愛いかったと言うのです。
おじさんたちを上から見ている感じが、若干気にはなりますが、読み方は人それぞれなのでオッケーです。
様々な人生を読み心を動かし、自分のことを振り返る。
これは読書の楽しみ方の一つ。
自分に近くて、感情移入しやすい登場人物の場合もあるでしょうし、全然理解できない登場人物の場合もあるでしょう。
様々な登場人物たちが織り成す世界に没入するのが、読書の面白さ。
読書を楽しむにはいい季節です。
物語の中に身を置いてみてください。
現在囲碁の対局はソフト相手。
ネット囲碁会の会員になっていまして、そこでは会員と対局できるのですが、私の場合はそのレベルに達していないため、囲碁ソフトと対局しているのです。
ハンディを最大に設定します。
私の方が9個石が多い状態からスタート。
なのに、大差で負ける。
で、なにがいけなかったのかがわからない。
こうした会員向けにプロに棋譜を見て貰い、アドバイスを受けられる有料サービスがあり、それを利用しています。
またこいつかよ。
下手だなぁ、お前。
と、プロを嘆かしているのではないかと思うのですが、致し方ない。
本心ではどう思っているかわかりませんが、プロはここはこうした方が良かったですねと、優しく丁寧にコメントを書いて送ってくれます。
先日もいつものようにソフト相手に対局。
で「終局しました」ボタンを押す。
するとソフトがそれぞれの陣地の広さを計算してくれる。
そうして結果が表示されたら・・・私が勝っていた。
びっくり仰天。
そもそも自分が勝っていたことにさえ、終わってもなお気付いていないということに、問題が潜んでいそうなのですが、とにかく勝っていた。
間違いなくまぐれであり、ソフトの体調が悪かったんでしょう。
そうじゃなければ、このような結果になろうはずがない。
以前通っていた囲碁教室で、ほぼ同レベルの棋力の生徒と対局しながら、愚痴り合ったことがあります。
ソフト相手でまったく勝てないんです。
私もです。大差で負けます。
負けたことに気付かないんです。
私もです。
なにがいけないんでしょうか?
さぁ。なんでしょうね。
囲碁は楽しいですか?
さぁ。わかりません。
といった具合に。
この時、囲碁ソフトはたまに負けるという設定にしておくべきだと思いました。
負け続ければ面白くない。
頑張る気持ちも長くはもたない。
だから挫折して囲碁から離れていってしまう人も多いのでは。
なので、囲碁ソフトにはたまに負けていただきたい。
最初っからそのように設定しておいて欲しい。
そうすれば少しは上達しているように勘違い出来て、続けることができるから。
ソフト設計者の皆さま。
時々わざと負けるという設計をお願いします。
ラグビーのワールドカップで日本戦をもう見られないというのが、とても寂しい。
でも選手たちはよく頑張りました。
今はラグビーの面白さを教えてくれて有り難うと、言いたい気持ちでいっぱいです。
来年の東京オリンピックへと、気持ちを切り替えようではありませんか。
と思ったら、マラソンと競歩は札幌に変更になる見通しだというニュースが。
かなり驚きました。
そうなるともう、東京オリンピックとは言えなくない?
ま、すでに競技によっては、埼玉や千葉などでも行われると決まっているので、こうなったら日本オリンピックと、名称変更した方がいいのではないかとさえ思います。
札幌であれば、選手たちにとってはいい環境なんでしょうか。
30度を超えることもあるというので、札幌でも過酷な試合になるのでは。
そもそもマラソンと競歩は夏のオリンピックでいいのかと、以前から思っていました。
冬のオリンピックに変更することは出来ないのでしょうか。
マラソンと競歩だけでなく、冬の方がいいんじゃないかと思う競技は色々あります。
サッカーとかラグビーとか。
暑さのせいで本領を発揮出来ないというのは、選手たちが可哀想過ぎる。
屋外でする競技については、本当に夏のオリンピックでいいのか、冬のオリンピックへ変更した方がいいのか検討してみては。
選手たちが最高のパフォーマンスが出来る環境を、整えやすいのはどっちなのか、よくよく考えて、オリンピックの夏と冬の競技のすみ分けを、再検討してみたらどうでしょう。
東京オリンピックまで1年を切った今、選手たちはどんな思いで練習をしているのでしょうか。
すでにオリンピック行きのチケットを手に入れた選手、そのチケットを目指している選手・・・それぞれが、目標に向かって頑張っていることと思います。
大切な試合で自分の力を最大限発揮できますように。
きっと様々な競技で、熱いドラマがいくつも生まれていくのでしょう。
今から東京オリンピックがとっても楽しみなのですが、閉会式を終えた時、いったいどれだけ心の中が空っぽになってしまうのかと、想像しただけで身震いが。
祭りの翌日のような、文化祭の翌日のような「終わっちゃった・・・」感の、何万倍もの寂しさが胸に溢れるはずで、その時、自分は耐えられるのだろうかといった心配までしてしまいます。
ちょっと心配し過ぎ?
先日、誕生日を迎えました。
前日に「あ、明日は誕生日だ」と気付きます。
そして誕生日ぐらいは仕事の予定を入れずに、のんびり過ごそうと計画していたのに、結局、そうはならなかったことを思い出す。
で、誕生日の朝になると、すっかりそのことを忘れている。
いつものような朝ごはんを食べて、いつものルーティンを済ませてパソコンの前に。
メールを受信すると、タイトルにずらっと並ぶ「お誕生日おめでとうございます」の文字。
「あ、今日は誕生日だった」とまた改めて思い出す。
以前なにかを購入したネットショップで、誕生日を入力させられたんでしょう。
こうしたメールには大抵、私の誕生日を祝って特別なクーポン券などが付いている。
今、特に欲しい物はないものの、急にその気になるかもしれないので、メールは削除せずにフォルダに残しておく。
誕生日が来るのが嫌だったのは30代の半ばまででした。
誕生日が近付くと、あー、また1年経ってしまったと思い、なんにもなかった1年だったと憂いたものでした。
焦りのような、不安のような、そういうものがピークになるのが、誕生日でもありました。
だから祝うなんて気持ちには到底なれませんでした。
それが30代の半ばを過ぎた頃から、徐々に変わっていきました。
1年大きな病気もせずに過ごせたことに感謝するように。
そして50代に入ると、その感謝の気持ちは更に強くなりました。
誕生日をつい忘れがちになっている一方で、思い出した時には、なんとか無事に暮らせているのは、有り難いことだなぁとしみじみします。
そしてこれから先のことをあれこれ考えてみます。
10年後。
私はどうしているでしょうか。
まったく想像が出来ません。
想像出来ない、あるいはしたくないといった50代は、多いのではないでしょうか。
またふと立ち止まり、これまでのことを振り返り、これから先のことを思って・・・途方に暮れるなんて感覚を味わったことのある人も、多いように思います。
新作「たそがれダンサーズ」では、そんな50代のおじさんたちがたくさん登場します。
若い頃に描いていた未来像と、現実の差が身に染みる50代。
彼らが社交ダンスと出合い、それまでとは違う種類の人生の楽しみ方を知っていきます。
同世代の方たちも、違う世代の方たちも、この小説の中で頑張るおじさんたちを、応援していただけたら嬉しいです。