お手頃な価格が人気のカジュアルファッションブランドが、古着販売を試験的に期間限定で行うという。
自社ブランドの古着を購入客から集めて、洗浄したり、染色をしたりして加工をしてから販売するらしい。
加工して蘇らせることで、捨てるのではなく、もう一度誰かに使えって貰えるようにするという試み。
ゴミを少なくしようという世の中の流れに、合わせたものでしょうか。
私は既製品を、そのままの状態で着られることは滅多にない。
大抵直しをします。
手足が短いため丈を詰めることが多いです。
そんな風にした古着も受け取ってくれるのか、そこが知りたいところです。

A子は標準サイズぴったりという体型。
服のサイズ直しをしたことがないという。
裾上げも袖詰めも、ウエスト出しもしたことがないと宣う。
なんとも羨ましい人。
だから試着もしないし、通販で買った服をサイズ交換や、返品したこともないという。
あっちこっち直さなくてはいけない私は、標準サイズなんて人はこの世には存在していなくて、メーカー側が作ったおとぎ話の中にだけいる、妖精のようなものだと思っていました。
しかし現実に存在していました。
もし私がそんな体型の持ち主だったら、なんでも着られるのですから、バンバン買い捲って買い物中毒に陥りそう。
ところがA子はそれほどファッションに興味がない。
なんという皮肉。
私のここがもう少し細ければ、長ければ、こういう服が着られるのに・・・と口惜しく思っている人たちがいる一方で、A子のように好きな物を何でも着られる体型の持ち主が、服はなんでもいいんだよねぇと冷めているなんて。
最近のファッションサイトでは、販売スタッフの着用写真が結構掲載されていますね。
それぞれのスタッフの写真の下には、その人の身長が明記されていて、自分が着たら、どういった丈感になるのかを想像し易くしてくれています。
これ、凄く有り難い。
海外モデルがプロのカメラマンの力を借りて、全力で撮った写真だと、自分とのギャップがあり過ぎて、取り寄せて着てみたら、違う品を送られたのたかと思うほど、全然違う見た目になることが多かった。
プロのモデルではない人が着た感じを見せて貰える、この販売スタッフのコーディネート写真は、とても参考になります。
こうしたスタッフの写真が、粗い感じなのもいい。
同僚が撮ったと思われる写真なので、強烈なライトは使われていないし、高感度カメラでもないことで、ちょっとぼんやりしている。
これがちょうどいい。
スタジオの中で生活している訳ではないので、現実の世界でどう見えるのかが大事で、それがこのちょっとぼんやりしている写真だと、分かり易いのです。
フリマアプリでもモデル体型ではない人が、実際に着用した写真が増えていくと、買い易くなるのですが。
デジタルカメラは10万円台の中高価格帯の物が、売れているらしい。
結構なお値段です。
スマホで写真や動画が簡単に撮れる時代に、撮影する役目だけのカメラが売れているというのは、面白いですね。
モノクロやフィルム調の撮影モードがあったり、敢えて搭載されているダイヤル式で、アナログな操作を楽しめたりするといった点が、人気の理由の一つらしい。
私は基本的に写真を撮るという行為が、生活の中にない人間。
だから珍しい所に行ったり、素敵な景色を見たりしても、その場でぼうっとしているだけで終わる。
隣にいる友人が、スマホを向けているのを見て、あぁ、こういう時に写真を撮るのかと気付くといった感じ。
こんな私なので残っている写真は少ない。

ただ、これは私が大人になってからの話。
子どもの頃の写真はたくさん残っています。
でも残念なことにどの写真も出来が酷い。
恐らく親が撮ったのだろうと思うのですが、同情さえ催すほどの下手さ。
センスゼロ。
当時はフィルムですし、カメラに自動で適正にしてくれるような機能もなかったでしょうから、今より撮影は難しかったでしょう。
そうしたことを考慮したとしても、落第点の写真ばかりなのです。
まずピントが合っていることが滅多にない。
その上ブレていることも多い。
シャッターを押す時に、カメラ自体を動かしてしまう癖があったんでしょうか。
被写体の方が動いてしまったといった理由は考えられないほど、上下にしっかりブレている。
一度失敗したら次は注意すりゃあいいのに、何年にも亘る写真がすべて同じレベルの仕上がりというのは、どういうことなのか。
私の赤ちゃんの頃の写真なんてほぼホラー。
顔は二重、目の位置は不明、口は歪んでいるといった写真が、アルバムに何枚も貼られている。
こんな写真をアルバムにわざわざ貼って、残しておこうとするなんて・・・笑わせたかったんでしょうかね。
新たにオープンするシネマコンプレックスで、すべての席に音響体感システムが導入されるという。
座席の枕部分やシートから、音と振動が発生するそうで、全身で音を感じられる仕組みだそう。
これはいいですね。
是非一度体感してみたい。
最後に映画館で映画を観たのはいつだったか。
記憶がはっきりしないほど昔です。
DVDやストリーミングで、映画を自宅で楽しむようになると、映画館に出掛けてというのが億劫に。
最近は自宅でDVDを観ながら、フィットネスバイクを漕ぐように。
こうした事情のため、モニターと私とは距離がちょっとある。

この距離のせいで、洋画は字幕を読むので問題ないのですが、邦画は台詞を聞かなくてはいけないのに、聞こえない。
最近の俳優さんは、ハキハキと喋ってくれない人が多い。
役作りでわざとボソボソ話していますというのであれば、致し方ないのですが、そういうキャラじゃないのに、声が通らないから聞こえない。
と、物理的な距離や、役者さんの滑舌のせいにしていますが、大きな理由は私が年を重ねたからなんだと思います。
兎にも角にも聞こえないので、スピーカーにイヤホンジャックを差し込んで観るように。
が、フィットネスバイクを漕ぐのが辛くなると、身体が無駄に動いてしまうのか、イヤホンが耳から外れる。
で、これがイライラする。
そこでイヤホンで聞くのは止めて、邦画は勘を頼りに観ることに。
ボソボソと話す俳優さんの台詞は聞こえないので、表情や動き、他の俳優さんたちの台詞をヒントに、会話を推し測る。
と、こんな感じで観ても、全然問題ないことに気付きました。
もしかしたら、すんごい素敵な台詞を聞き逃しているのかもしれませんが、そこは潔く諦める。
このように私は諦めたはずだった。
なのに、音がクリアに聞こえると謳ったスピーカーの広告を、じっと見つめていることが増えています。
スポーツ選手のメンタルコーチをしている人の、インタビュー記事が新聞に掲載されていました。
その人によれば、人間の脳は事実とフィクションを区別出来ないのだそう。
バスケットボールのフリースローでの研究結果があるという。
普通に練習したチームと、ボールには触らずにイメージトレーニングだけをしたチームで、どちらが成功率が高いかを調べたらしい。
すると後者の方が高かったという。
すんごい結果ですね。
このコーチの話では、脳が練習したと勘違いして正確なシュートを打たせるのだとか。
様々なスポーツでこの考え方を練習に採用したら・・・とんでもない好記録が出そうな気がします。

スポーツ以外のジャンルで、応用は出来ないのでしょうか。
作家はどうでしょう。
「イメージトレーニングしたお蔭で、不朽の名作を書けました」なんて作家が出るようになるでしょうか。
私はこれまで、コーチングのお世話になったことはありませんが、意識していることはあります。
なにか目標があった時、マイナスなことを言う人は避けるということ。
作家になろうと勝手に目標を定めて、睡眠時間を削って執筆していた頃のこと。
頑張れと励ましてくれる友人がいました。
家にあったからと図書カードをくれる友人も。
生活が大変そうだと推測した友人が、お金だったら受け取らないだろうが、図書カードなら受け取るのではないかと考えたのかも。
そんな中「そんな夢みたいなことを言ってないで、正社員になるとか考えてみたら」という人が。
その意見は至極真っ当。
でも真っ当ではないことをしようとしている私からすれば、そうした意見は邪魔なだけ。
だからその人から誘われても、忙しいと断り続けて距離を置くように。
そうでもしないと、真っ当な意見に自分が流されてしまいそうだったから。
数年後、ラッキーにも作家デビュー出来ることになったら・・・応援してくれていた友人たちは、私以上に喜んでくれました。
その姿を見た私は更に嬉しくなりました。
で、私が作家を目指すことに、否定的な意見を述べていた人はどうしたかというと・・・フツーに喜んでいるようなメールが。
自分の言ったことを忘れてしまったのでしょうか?
以前私はあんなことを言ったけれど、そう言ったことを後悔しています・・・的な一文が欲しいところだったのですが、そういったものは一切なし。
フツーに食事でもしようよとのお誘いの文章のみ。
あなたと距離を取って正解だったわと、心の底から思いましたっけ。
