新刊「エデンの果ての家」が発売になります。
11日か12日ぐらいから書店に並び始める予定です。

どうでしょう。この装丁。
翻訳本っぽいといった感想を多くいただいています。
蛍光色を使っているので、ポップな印象を与えます。
一方で右に建つ塀の黒くザラザラした触感が、不安定さを作り出しています。
このバランスが絶妙で、物語がすでに始まっていますよと声をかけられたような気がして、思わず手に取って、レジへと運んでいた・・・なんてことになるんじゃないかと期待させてくれる装幀です。
装幀はとても大事で、だからこそ、編集者は知恵を絞り、アイデアを出し、苦しみます。
そして何度もデザイナーさんと打ち合わせをし、いくつか絞り込んだうえで、私に提案をしてくださいます。
今回もいくつかの案を見せていただき、仕事場のテーブルにずらりと並べました。
これが迷う。
好きか嫌いかなら、すぐに判定できます。
が、装幀のデザインとなると・・・自分の好みで判定することはできません。
目立ちたい。
書店の平場に新刊がずらっと並んだ時、私の本を目立たせたいのです。
が、これが簡単じゃない。
派手な色や書名を大きくすれば目立つというものじゃないんですね。
皆考えることは同じなので、派手な色使いの装幀ばかりになると、却ってシンプルな装幀の方が目立ったりすることもある。
だとすると、期待感を抱かせるような装幀の方がいいのでは。
それってどんな装幀よ?
と、答えのない疑問がどんどん出てきて、結局どんな装幀にしたらいいのかわからなくなり、ラビリンスへ。
そんな時、小説の雰囲気に近いイメージのものにしたらどうかとの考えが浮かんだりもします。
ですが、小説とまったく違う装幀でも趣きのある装幀だと、ぴたっとはまることもあって、内容と近いかどうかは、それほど重要ではないということを思い出したりして、さらに悩みは深くなっていきます。
今回も出口の見えない状態になった時「ちょっと休憩しましょうか?」と編集者に声を掛けられ、お茶を飲みながらよもやま話などをしてブレイクタイム。
少し時間を置いてから、今一度デザイン案を見ていきます。
と、「あぁ、やっぱりこれかな」という思いがさっきより強くなっているものが。
そうやって決めたのが、この装幀です。
お気に入りの装幀になりました。
やや混雑している電車の中にいました。
いつも乗っている電車なので、そろそろ急カーブに差し掛かるな、というのがわかります。
そこで、足をやや広めに開けて踏ん張るようにし、そのカーブに備えます。
いつものように、電車が大きく左にカーブし出します。
と、私の隣にいた女性がふらつきだしました。
その様子から察するに一見さんのようです。
なかなかのカーブなので、私のように腰を落として踏ん張らなければ、身体をもっていかれるのさ。
などと余裕をみせていた私の足に、激痛が。
思わず「痛っ」と声を上げると、その女性は私に向かって小さく頭を下げてきました。
隣の女性がふらついた時、そのヒールが、私の足の甲にのり上げたのです。
あまりの痛さに、チェックしてみましたが、ストッキングが少し汚れているぐらいで、出血はない様子。
おかしい。
今の痛みは、ヒールが突き刺さり、穴が開いたんじゃないかぐらいのものだったのに。
やがて足がジンジンとしだしました。
今一度足をチェックしてみましたが、出血はありません。
駅に降りてベンチに座り、そっと触ってみると、やや腫れている感じ。
私も長いことヒールのある靴を履いてきて、見知らぬ人の足を踏んづけてしまったことが何度もあります。
それが、こんなに痛いものだったとは、自分が踏まれてみるまでわかっていませんでした。
私が足を踏んだ人たち、ごめんなさい。
自宅に戻ってじっくり検分してみると・・・赤くなっていて、触ると鈍い痛みが。
さらに湯船に足を入れた時には「んぎゃ」と、変な声が出てしまうほど。
翌日になると、足の甲には直径二センチほどの紫色の円が刻印されていました。
内出血しているようです。

結局、その刻印が消えたのは約一週間後。
こんなに長引くほどのダメージを受けるとは思っていませんでした。
それからどうしたかって?
件のカーブに差し掛かる前には、周囲の人たちの動きに目を配るようになりました。
車内できょろきょろと周囲を窺う怪しい人物がいたら、それは私かもしれません。
間違えて栗を買ってしまいました。
しかも生の状態の栗です。
ネットで買い物をすると、時々こういうとんでもないことがおこります。
さて、栗をどうすべきか。
生の栗を調理したことがありません。
そもそも自宅で調理できるものなのでしょうか?
子どもの頃にオヤツとして食べた焼き栗は、すでにお店で食べられる状態にしてくれていて、こっちは面倒臭がりながらも皮を剥いて食べればいいだけになっていました。
最近はその皮をも剥いてくれた状態で売られています。
このため、我が家で栗を調理したことも、しようと思ったこともありませんでした。
間違えて購入するまでは。
スーパーで生の栗が売られていたことから推察すると、調理して食する方たちもいらっしゃることは間違いありません。

生の栗が入った袋をいじくりまわして探しましたが、調理例の記述はなし。
蒸すのでしょうか? 焼くのでしょうか?
焼き栗というぐらいですから、焼いた方がいいような。
どうやって?
フライパンっていうのはちょっと違う気がします。
ポップコーンのように弾けて危険そうな匂いがします。
昔天津甘栗屋というのがあって、その記憶を手繰り寄せてみると・・・大きな窯の中に大量の栗が入っていて、それがゆっくりと撹拌されていたような。
それは炒っているように見えました。
炒るのか?
自宅では無理じゃん。
ってことはやっぱり焼くのか?
と、長いこと独り言を呟いた後、アルミホイルに包んでオーブンで焼いてみることに。
オーブンを購入した時についていた調理例の冊子を開いてみましたが、栗についての言及はなかったので、さつまいもを使った焼き芋のページを参考にしました。
さつまいもと栗では1個あたりの面積が違うので、書いてあった調理時間を8掛けにしてオーブンに投入。
40分後にオーブンから取り出し、アルミホイルを開いてみると・・・外見上になんらの変化は見とめられず。
ただ、ほわんと湯気は出ているので、オーブンは指示通り仕事をした模様。
手で触れてみると、激熱だったので、そのまましばらく放置。
冷めたところで、皮を剥こうとすると、これが全然剥けない。
しょうがないので包丁で半分に切って、スプーンでほじくり出して食べてみると・・・ウルトラ不味い。
今まで数々の料理の失敗をしてきましたが、これはその負の歴史の中でベスト3に入るほどの不味さ。
生ではないのですが、ぱっさぱさで、舌に残る苦味がハンパない。
また、栗の長所であるはずのほっくりさとかしっとりさは皆無。
念のため、もう1個試食してみましたが、こちらも同じように激マズで、ぺっと思わず吐き出してしまいました。
栗と向き合った小一時間が、なんちゅう無駄な時間だったのか・・・しばし呆然としました。
生の栗はどうすればよかったんでしょう?
最近観た映画のDVDで、ズシンと胸に響いたものをご紹介。
まずは「息もできない」。
ひと言で言うなら、暴力的。
暴力シーンがたっぷりあるという意味での暴力的でもありますが、観ているこちらの胸を鷲掴みにしてくる迫力も暴力的。
さらに登場人物が置かれている環境も暴力的だし、抱えている孤独もあまりに深く尖っているので暴力的。
美しい景色や、心温まるセリフもない。
あるのは、ただ剥き出しの魂だけ。
その圧倒的な力に、呆然としながら観終りました。
資料によれば、たくさんの賞を取ったとのこと。
だよね、と納得の韓国映画です。
製作・監督・脚本・編集・主演の5役をこなした方は、資金集めにも奔走したとか。
途中資金が足りなくなり、家を売って工面したとの情報もありました。
苦労されたようですが、作ってよかったと思える素晴らしい映画です。

次にご紹介するのは「リメンバー・ミー」。
同じタイトルでいくつか作品があるようですが、私が観たのはアレン・コールター監督、ロバート・パティンソン主演のものです。
兄を亡くしてから苦しみ続けている青年が、兄が死んだ時と同じ22歳になる日が近づくにつれ、さらに苦悩を深めている時、一人の女性と出会います。
あぁ、オーソドックスなラブストーリーか、と思いました。ここまでは。
登場人物は多くなく、ただ、それぞれがぴたっとはまっていて、キャラクターの輪郭線がはっきりとしています。
特に分からず屋の父親役なんて、サイテーのキャラクターを見事に演じています。
心を少し開くことや、幸せになってもいいんだということを、ロバート・パティンソン演じるタイラーが知っていき、変わっていくのを、我がことのように喜ばしく観ていました。
やがて、父親にも変化が現れ、めでだしめでだしと、私が心の中で呟いていた時、突如訪れた残酷な結末に、驚愕。
ここで、それ?
と思わず大声を上げてしまいました。
ネタバレになるので詳しいことを書けないのですが、のんびり観ていた私の脳天に一撃がきたとだけ、お知らせしておきましょう。
幸せの訪れを感じていたはずのタイラーとその家族。
その芽が根こそぎ奪われる瞬間を目にして、無常感で胸はいっぱいに。
こんなに後味の悪い結末でいいのかよとツッコみたいのは山々ですが、一方で「人生」とか「運命」が残酷なのも事実なんですよね。
とにもかくにも胸にガツンと衝撃をもたらす映画であることは間違いありません。
皆さんは、この2作品をどう受け止めますか?