10年前のことです。
デビュー作を発売するにあたって、ペンネームをどうするかという問題が起こりました。
懸賞に応募した時に付けていた、ペンネームはあったのですが、あまり評判がよろしくありませんでした。編集者からは「一生、この名前を背負っていくんだよ。それが、これで、本当にいいの?」とまで言われ、よく考えてみるよう諭されました。
そこで、親が子どもの名づけに困った時に頼るような本を、数冊購入しました。
が、却って、とてつもなく迷うことに。

こういった本を買われる方の場合、すでに名字が決まっているわけですから、その画数を調べて、下の名前に相応しい画数を割り出すといったことができます。
ですが、ペンネームの場合、名字も自由に付けられますから、膨大な言葉の中から、選び出さなくてはならないのです。
思わず、ため息をついてしまいました。
そして、ふと、本名の運勢を調べてみることに。
すると・・・ん?
よくありません。
名前の画数による運勢占いには、諸説あるようだというのは、3冊の本を購入した段階でわかっていました。
旧字を基本としている流派では、旧字の画数で数えていきますし、現代の文字遣いを基本としている流派では、現代の文字の画数で数えていきます。
流派によって、画数が変わり、そうすると、文字のパワーも変わってきます。
ですから、こっちの流派ではあまりよくない名前でも、あっちの流派では大変よい名前となる場合も。
ってことだろうな、と思いながら、別の本を取り上げ、そちらで本名を調べてみました。
が、こっちでも運勢がよくありません。
おかしい。
ということで、もう1冊。
ところが、この本でも、私の本名は、よろしくありません。
あれは確か・・・小学生の頃。
自分の名前をどうやって付けたか、親に聞いてこいという宿題が出たことがありました。
画数の名前占いで、最高のを選んだと聞かされた時の記憶がうっすらと蘇ります。
ってことは、この本がどれも間違っているということ?
これはちゃんと確かめねばと、母に電話をしました。
これこれしかじかと話すと、「あら、とんだところで、バレちゃったわね」とのコメントが。
あまりのことに、口をあんぐりと開けた状態のままでいる私の耳に聞こえてきたのは、「画数の名前占いで名前をつけようとしたのは、本当なんだけど、数え方、間違えちゃったのよね」と言う母の声。
ま、間違えた?
間違えるか、ふつう?
何度も計算してみなかったのかと尋ねると、「そうよねぇ。検算しなかったのしらねぇ」と、まるで他人事のような口ぶり。
計算間違いに気づいたのは、私が1歳の頃だったとか。
雑誌に載っていた姓名判断で私の名前を調べてみたら、よくなくて、おかしいと思い、名前を考えていた当時のノートを引っ張り出して検めたところ、名字の二文字のうちの一つの漢字の画数を間違っていたと気付いたそうで。
電話を切った私は、しばし呆然としていましたが、すぐに気を取り直して、最高級の画数のペンネームをつけてやるぞと、やる気全開になっていました。
どの流派でも大丈夫で、陰だとか陽だとか、そういうのにも気を付けて、やっと考え出したのが「桂望実」。
姓名判断では、大成功間違いなしの名前になりました。
検算、検算、また検算したことはいうまでもありません。
浴室の床の汚れが気になっていました。
マンションの浴室の床には、複雑で繊細な模様を描かれていて、デコボコしています。
水はけを考えてのことなのでしょう。
このデコボコのボコの部分が、黒くなってしまったのです。
カビではなく、恐らく、ヘアマニキュアの染料が、原因ではないかと思われます。
風呂掃除の時に、浴室用洗剤の泡スプレーを吹きかけ、ボコに染み渡るのを待ってから、雑巾で拭いてみたりしましたが、黒ずみは一向に消えてくれません。
そこで、泡スプレーを吹きかけた後で、爪楊枝で、ほじほじしてみることに。
すると、みるみる、黒ずみが消えていきます。
おおっ。
たちまち生まれる小さな感動。
だが、待てよ。
1つひとつ、こうしてボコを、爪楊枝でほじほじしていくとしたら・・・どんだけ時間がかかるんだろうと考えただけで、眩暈が。
もっと、ざざっと一気に黒ずみを消し去ってくれるものはないのだろうか。
そこで、ネット検索。
ありますね、やっぱり。
「スクラブ入りの洗剤と専用スポンジが細かい溝の汚れを掻き出す」と謳っています。
掻き出すという言葉が、私の胸にガツンときます。
「あなたの力を借りて、掻き出したい」という気持ちになるってもんです。
購入して2日後、商品が到着。

早速、封を開けて、スポンジを取り出してみると、片面には、細かい目のブラシが付いています。それは、まるで、マジックテープのような外見。
このブラシ面に洗剤を出してから、床面をゴシゴシしてみると・・・ギャギャギャといった、激しい音が。
床を傷つけてる感、ありありの音に、思わず手を止めました。
パッケージの裏にある説明書きを読んでみましたが、大きな間違いを犯しているようには思えません。
しょうがないので、今一度、床面にスポンジを当てて、擦った途端、ギャギャギャという尋常ではない音が、再び耳を襲います。
どう考えても、これは綺麗になっている音ではなく、痛めつけられている音。
うちの床には合わないのだろうかと諦めかけたその時、今一度、説明書きを読んでみようという気を起こしました。
特徴、用途、使える床材・・・と読み進み、使用方法へ。
1番目に「スポンジを十分に湿らせ、ブラシ面に洗剤を出します」と書いてあります。
ん?
十分?
この「十分」という言葉が引っかかります。
さっき、スポンジを濡らしはしましたが、「十分」と言えるかどうかは、わかりません。
十分で、どれぐらいよ。
誰にとって、十分な程度なのよ。
と、スポンジに食って掛かりながら、たっぷりと水を含ませてみることに。
そして、そっと床にあてて、擦ってみると・・・ザザザッと、先ほどまでとは違う音が。
胸に明かりが射した気がして、しばらく夢中で床を擦りました。
水で洗い流してみると、擦ったところの黒ずみは、消え去っていました。
なんと、なんと。
ということは、「十分に湿らせる」ということが、大事だったようです。
ここで、私は申し上げたい。
こういう大事なポイントは、ぜひとも、目立つように、表記していただきたい。
文字サイズをそこだけ大きくするとか、色を変えるとか、「すっごくたっぷり」みたいな、わかりやすい文言にするとか・・・。
注意深い方なら、大丈夫でしょうが、私のような天然系は、どこで躓くか、予想がつかないのです。
と、八つ当たり気味の文句を並べましたが、実は結構気に入っていて、月に1度は、これで、床をごしごししています。
今週末の放送が、ドラマ「恋愛検定」の最終話になります。
一話完結型なので、今まで見逃してしまったという方にも、ちゃんと楽しめる作りになっていますので、よかったら、ご覧ください。
6月24日(日)22:00~ NHKBSプレミアムです。

撮影現場に何度かお邪魔して感じるのは、熱のようなものです。
真剣に取り組んでいる時に生まれる、そうした熱が集まり、蒸気が立ち上っているようにも思えます。
その大勢の人たちの真剣さは、心を打ちます。
カップに口を付けるのは、このタイミングじゃなくて、こっちの時の方がいいんじゃないかと話し合う姿。
屋根に上り、いい感じで降らせるために、落とす人工雪の量の塩梅を模索する姿。
撮影所の隅で、次のシーンのセリフを何度も何度も、練習している役者さんの姿。
それらを見た時、思わず、襟を正したくなりました。
私は、あのセリフ1つに、どれだけ魂を注ぎ込んだだろうか。
あの1行に、どれだけ真剣に向き合っただろうか。
と、考えると、あそこまでではなかったんじゃないかと思えてしまいます。
そして、反省。
もっともっと、命を吹き込むための努力をしなくては・・・と思うのです。
作家としての足元を見つめるには、撮影現場へ行くのが一番だ、などと思ったり。
勿論、生の俳優さんや女優さんたちを見るのも、目の保養。
違う種類の生き物なんじゃないかと思うほどの、完璧な美しさ。
遠くにいても目立ちますね、美しい人は。
街に出たら、すぐに見つかっちゃうんじゃないかと思うほど、常人とは明らかに違っています。
そして、その華奢なこと。
思わず「皆さん、細いですねぇ」と呟いたら、隣にいたプロデューサーの1人が「皆さん、企業努力なさってますね」と仰いました。
おおっ。
それも努力で手に入れているものなのか・・・。
なんとも勉強になります。
7、8年ほど前になるでしょうか。
当時、自宅近くには大きな書店がなく、資料探しの時には、電車に乗り、東京駅まで出向いていました。
そこにある、大型書店に行くためです。
ラッシュ時を避け、午前9時半頃に、JR山手線に乗るようにしていました。

車内にいると、「想像していたのと、違うなぁ。もっと混んでるかと思ったよ」という声が聞こえてきます。
私は「きたな」と思い、声のした方へ顔を向けます。
そこには想像通りの初老の男性が。
なぜか、電車の中で、見ず知らずの人から話しかけられるという率の高い私は、こういう展開にすっかり慣れています。
まだ慣れない頃には、「なんで私に話しかけてくんのよ」とか、「恥ずかしいじゃないよぉ」などと、思ったりもしましたが、慣れというのは恐ろしいもんです。
やがて、「はい、きた」程度に思えるようになるのです。
車内で、話しかけられたのは、20回程度でしょうか。
その全員が、初老の男性。
そして、セリフもほぼ同じ。
もっと混んでいると思ったという感想を言ってくるのです。
どうも、地方出身者の方たちは、超ラッシュ時の映像をどこかで見て、それを記憶しているようなのです。
だから、覚悟してきたのに、車内はガラガラで驚いた。それを側にいる人と分かち合いたいといった流れになるようです。
女性だって、同じような感想を抱きそうに思うのですが、女は、そうした感想を見ず知らずの人に吐露しないのかもしれません。
その日は、ぼんやり窓外の景色を眺めている時でした。
「もっと、混んでるかと思っとったとに、意外と混んどらんねぇ」といった声が隣席から聞こえてきました。
顔を向けると、初老の男性。
ばっちり私と目が合います。
慣れたもんの私は答えます。「この時間だから、空いているんですよ。9時前だと、身体がぺったんこになっちゃうんじゃないかっていうぐらい、ギューギュー詰めですから」
「やっぱりそうなんと?」と目を丸くする男性。
「と」が多いので、「九州の方ですか?」と尋ねると、「おっ。お姉さんも、九州と?」と明るい声に。
「いえ、東京生まれの東京育ちです。言葉の感じが、九州かなと思いまして」
「そうとね?」
「ええ」
などど、すっかり会話。
「ご旅行ですか?」と尋ねると、男性が語り出したのは・・・。
なんでも、短大に通うため、東京で一人暮らしをしている娘さんと、突然連絡がつかなくなったので、今からマンションを訪ねるとのこと。
なにもなく、無事だといいけど。
と、思わず祈ってしまうのは、東京がもっている深い闇の存在を知っているからでしょうか。
電車が東京駅に到着し、私が立ち上がると、男性は「それじゃね」と言って、手を振ってくれました。
最近では、午前中は執筆タイムなので、この時間帯に山手線に乗ることはなくなり、こうした会話をすることはなくなってしまいました。
ちょっぴり残念な気がしています。