おっ。
ティファニーか。
張り込んだのう。
友人の結婚式に出席した私は、引き出物の袋を見て、そう呟きました。
自宅に戻り、ティファニーの包装を丁寧に解きます。
中からはグラスが2個。
も、もしや、と思い、慌ててグラスの底を検めましたが、結婚した二人の名前が彫られているということはなく、ほっと胸を撫で下ろしました。
手にすると、ずしりとくる重厚感。でも、口を付けるところはとても薄く、そのバランスが絶妙です。
大変素晴らしいグラスなのですが、根が貧乏性の私は、割ってしまったら勿体ないと思ってしまい、日常使いすることは憚られます。ここぞという時に使おうと、箱に納め直し、キッチンの戸棚に仕舞ってしまいました。その後、ここぞという時は訪れず、ずっと戸棚の中。
すっかり、その存在を忘れていたのですが、引っ越しの際に、久しぶりにティファニーの水色の箱を見て、このグラスを思い出しました。
グラスの存在を忘れていた間の幾年月。
貧乏性の性格は変わらぬままですが、ここぞという時は訪れないという現実を、受け入れるほどには成長していました。
今では、夏場の来客時に、ガンガン使うようになっています。
ところが、先日です。
洗い終わったこのグラスを棚に仕舞おうとした際、その棚の扉にグラスをぶつけてしまい、割ってしまいました。
通常、グラス製品などは、うっかり落として・・・というのが、破損理由だと思います。
ですが、この時は、仕舞おうとしている棚の扉に自らグラスをぶつけるという、自滅型の破損でした。
残念ながら、私はこれをよくやります。
たとえば、ドアを引いて開けて、向こう側に出るといったシチュエーションは、私にとっては大変危険です。
なにか考え事をしていたりすると、脳がドアを引くために用意した時間と、実際に手がドアを引く時間が合わなくなります。つまり、脳では、もうとっくにドアは開け放たれているだろうと考えていても、実際は手の動きが遅く、まだ開ききっていないといった事態になるのです。脳ではもう開いていると思っていますから、足を出して、歩けと次の指令を出してしまいます。こうなると、どうなるか。
ドアを自ら身体に引き寄せながら、そのドアに向かってぶつかっていくという、呆れるばかりのことをしでかします。
グラスの時も、そうでした。
なにか別のことを考えていたのでしょう。
まだ左手が扉を開け切っていないのに、脳がグラスを棚に並べるという次の指令を右手に出してしまったのです。このため、左手で扉をこちらに開きながら、その扉にむかって右手のグラスをぶつけるという、妙ちきりんなヘマをしでかしたのです。
直せるものなら、直したいと思う欠点は、たくさんありますが、その筆頭に上げられるのが、この、自滅行為です。
いろんな意味で「イタイ」ですから。
そして、グラスは1個になってしまいました。

これでは、来客時に使うこともできそうにありません。
また、棚の中に仕舞いこむことになりそうです。
数年前から、道案内サービスのアプリを月315円で契約しています。
携帯電話からスマートフォンに替えた際にも、この同じ会社の有料サービスを契約し直したぐらい、気に入っています。

この道案内のいいところは、電車の何両目に乗ればいいのかまで、教えてくれるところです。乗り換えや出口に一番近いポジション取りまでを、ナビしてくれるのです。
勿論、駅を下りてからも親切で、至れり尽くせりのサービスです。
にも拘らず、着きたい時間に、目的地に到着できないことが、ままあります。
なぜなのか。
駅を出たところが、最大の難関です。
たとえば・・・地下鉄の出口から地上に出た際、スマートフォン上の地図の「北」の位置と、現在の「北」の位置を合わせるのに時間がかかるのです。私の場合。
大抵の地図は「北」方向が上、「南」方向が下の位置になるよう表示されます。でも、私が「北」に向かって立っているかどうかはわからないわけですから、その調整が必要になります。そこで、スマートフォンのそのサービスで「方位磁石」機能をONにします。すると、画面上の「方位磁石」のアイコンがくるっと回り、やがて一方向を差して止まります。
そっか、右の方向が「北」なのかと、わかったとします。
で、スマートフォンを右方向へと向けます。
すると、画面上の地図までが向きを変えてしまい、地図上の「北」の位置まで変更してしまうのです。
えっ、うそ。地図は動かないで欲しかったんだけどな、と呟きながら、しょうがないので、自分の身体を右方向へ動かします。すると、また地図が連動して、動いてしまうらしく、向きが変わり、「北」の位置が、今度は下方向を指していたりするものですから、再び、自分の身体を右に回して・・・などとやっているうちに、地下鉄の出口で、スマートフォンを片手に、コマのようにくるくると何回転もする女になってしまいます。
近くのビルの警備員が不審そうな目で私を見てきます。
恥ずかしいです。
ここで、だいたい5分~10分ほどのタイムロスをしてしまうのです。時には15分。
それで、余裕をもって家を出たにも関わらず、約束の時間に遅れてしまうという事態になるのです。
このサービスの私の利用の仕方が、どこか間違っているのでしょうか?
女は、地図と現在の状態を合わせるために、地図をくるくる回す。大抵の男は、地図はそのままに、頭の中の絵を回す。
と、どこかで読んだ記憶があります。
地図をくるくる回してしまう女のための道案内サービスがあるといいのになぁと、思ってしまいます。
そして、今日も私は地下鉄の出口で、回り続けます。
心に残った映画を上げなさいと言われたら、「名犬ウォントントン」と答えます。
まだ小学生の頃、場末の映画館で母親と一緒に観たのを、今でもはっきりと記憶しています。映画館には、私たち親子を含めて5人の観客のみ。興行的には、苦戦していたのかもしれません。
アニメではなく、実写版で、主役はシェパード犬でした。ビジュアル的にもっと可愛らしい犬はたくさんあるというのに、シェパードを主役にしているあたりが、子ども向けに作られた映画ではなかったようにも思えます。

この犬が人間の女性に恋をします。
当然、この想いは一方通行になります。
紆余曲折がありますが、最後はハッピーエンドになります。
この最後のシーンで、「あー、良かったぁ」と私は大きく息を吐き出しました。この時の、自分の息の感覚を、三十年以上経った今でもはっきりと覚えています。この時覚えた安堵感がいかに大きかったかを物語っているようです。それだけ、映画にのめり込み、シェパード犬、ウォントントンに感情移入していたのでしょう。
月日は巡り、過去の映画をビデオやDVDなどで、再び観られる時代になりました。
探してみましたが、この作品はこうした記録メディアに残されていないようでした。
ストーリーも、多くのシーンもはっきりと覚えてはいますが、もう一度、観たいという思いは募ります。
このことを知人に話したところ、いや、却って、記憶の中に留めておく方がいいのではと、言われました。
なんでも、その人にも、子どもの頃に観て、強烈に感動した映画があったとか。それを大人になって、ビデオで観たところ、びっくりするほどつまらない映画だったそうです。この程度の映画に感動していた、我が幼き日々を思い、自分が可哀想に思えたと、その人は語りました。
そうかもしれませんね。
感動したという記憶だけを、胸に留めておく方が、いいのかもしれません。
ほかの思い出と一緒ですね。
山形のとある駅でのこと。
駅弁を買おうと、駅構内のコンビニに入りました。

すると、女性店員の大きな声が聞こえてきます。
「いらっしゃいましたー」
えっ? なんで過去形?
びっくりした私は、しばし立ち尽くしました。
店に入り、「いらっしゃいませ」と言われることはあっても、「いらっしゃいました」と過去形で言われた経験はありません。
たとえば、訪問の約束をしていた場合に、その時間に到着した時、店員が店員に向かって、「○○様がいらっしゃいました」と情報を伝達する。こうしたケースでは、「いらっしゃいました」と過去形を耳にすることはあります。
しかし、今回は、ぶらりと立ち寄ったコンビニでしたから、首を長くして私を待っていたとは考えられず、何故、過去形で声を掛けられたのか――不思議です。
山形はそういう風習なのでしょうか?
疑問を抱えたまま、私は弁当が並ぶ棚へ足を運びました。
しばらくして、自動ドアの開く音が聞こえてきました。
くるか、過去形、と身構えていると、案の定「いらっしゃいましたー」とのびのびとした声が。
もしかすると、山形では歓迎の言葉を過去形で言う習慣があるのかもしれない。とすると、「ありがとうございました」はどうなるのでしょう。
は、はやく確かめたい。
逸る気持ちを押さえつつ、弁当を適当に選び、レジへ。
会計を済ませて、レジ袋を受け取った瞬間、きました。声が。
「ありがとうございます」
わっ。こっちは現在形。
不思議の国、山形。
コンビニを出た私は、しばらく呆然としていました。
やがて、今の、過去形と現在形の使い方は、山形の風習なのか、はたまたあの店員のオリジナルなのか、という疑問がわいてきました。
ふと、前を見ると、だんご屋が。
確かめるべきでしょう、やはり。
私はだんご屋の自動ドアセンサーにタッチしました。
くるのか、過去形。
と、期待して、耳の穴を最大に開いて待ちましたが、現在形も過去形も聞こえてきません。
一人しかいない女性店員は、接客中で、私に声を掛けてはこなかったのです。
がっかりしたものの、その接客が終わるのを静かに待ちました。
そして、釣りと包みを客に渡した店員が、ようやく私に顔を向けてた瞬間――「なににしましょう」との声が。
んー、そうきたか。
なかなか、期待通りの展開には進まないもんだと、心の中で吐息をつき、だんごを注文。
店員が包んでくれる間、「いらっしゃいました」の声が聞きたいばっかりに、ほかの客が入ってきてくれないだろうかと、私は自動ドアを睨んでいました。
しかし、願いも空しく、客は訪れず、会計をすることに。
そこで、さっきの客が帰る時、店員は「ありがとうございます」と言ったのか、それとも「ありがとうございました」だったのか、すっかり聞き忘れていたことに気付きました。
よっしゃ。
せめて、これを確認しようと、気持ちを切り替えました。
釣り銭を私に差し出しながら店員が口を開きました。
「○分の新幹線ですか?」
「えっ? あぁ、はい、そうです」
「これから、東京に?」
「はい」
「お気を付けて」
「……はい」
――確認できず。
だんご屋を出るため、ドアの前に立った私は、未練たらたらで、店員を振り返りました。
すると「お気を付けて」の声が。
思うようにいかないもんですね。
結局、確認したかったフレーズをだんご屋で耳にすることはできませんでした。
もう一軒、入って、確認したい気持ちは山々だったのですが、新幹線の到着時間が迫っていたので、諦めざるをえませんでした。
「いらっしゃいましたー」は山形の風習なのか、そうではないのか、謎は謎のままになっています。