子どもの頃、祭りと言えば、楽しいものでした。
私の地元では、毎年9月に行われていました。普段は静かな町が、この時期には、一変します。興奮しているような、ざわついているような・・・そんな、浮ついた町に変わります。
子どもの私が参加できたのは、山車を引くぐらいでした。
山車から伸びた縄を掴んだ子どもたちは、ダラダラと町内を練り歩きます。一回で、だいたい4、50人ほどの子どもが、縄を掴んでいました。最後まで歩き通すと、ご褒美が貰えました。お菓子やら梨やら、ジュースやら、子どもの喜ぶものがぎゅうぎゅうに詰め込まれた、30センチ四方程度のビニール袋が、1人に1個配られたのです。当時の子どもたちは目をきらきらさせて、その袋を受け取っていました。もちろん、私もその1人でした。
私が住んでいた2丁目は、ほかの町より商店が多かったせいで、このご褒美の量と質が良いと評判で、よその町から遠征してくる子どもが大勢出没するほどでした。
それから、リンゴ飴。

私はこれが大好きで、祭りの時、屋台で、親に必ず買って貰うのですが、いかんせん、子どもにはハードルが高いものでした。今は随分と小ぶりのリンゴを使っているようですが、当時は、家族で分け合って食べるようなビッグサイズのリンゴが使われていました。
まず、リンゴをコーティングしている飴をひたすら舐め続けるのですが、キャンディーのように舐め易くなっているわけではないので、結構な難儀を強いられます。さらに、リンゴは大きく、子どもにとっては、手に持っているだけでも、しんどくなってきます。その肉体的な困難にも負けず、辛抱強く何十分も舐め続け、ようやくリンゴの皮に到達し、ガブリとひと口。
子どもの私は、この時点で達成感を覚えてしまいます。
そして、ご馳走さまをしてしまうのです。
祭りの翌日、居間のテーブルに、皿にのせられたリンゴ飴がぽつんと置いてあるのを発見します。割り箸は刺さったままです。
「食べちゃいなさいよ」「うん」「去年も、ひと口だけだったじゃない」「うん」「もったいないじゃない」「うん」
という会話を毎年母と繰り返す・・・これまで含めて、祭りの思い出です。
こうした町のイベントに参加するのも小学生まででした。中学生になると、「私はいいよ」と言って、町の祭りには参加しなくなりました。今になると、なにがいいんだか一向にわからないのですが、わくわくして貰っていたビニール袋に、魅力を感じなくなったのかもれしません。
高校生になったある日。
クラスメートの噂話が聞こえてきました。
○○ちゃん、昨日のお祭りで、女神輿担いで、肩の皮がぺろりと剥けちゃったんだって。
す、すごい。
驚いた私は、そのクラスメートの姿を教室で探しました。
彼女は、前方の席にいて、セーラー服姿で肩をぐりぐりと回していました。
普段、特別江戸っ子風だとか、きっぷがいい人だとか思ったこともない、ごく普通の同級生でした。
私は急いで彼女に近づき、噂話の真偽のほどを確かめました。
すると、「そう。毎年ね、皮が剥けちゃうの。もっと続けると、そのうちに、剥けなくなるらしんだけどね」と彼女はさらりと答えました。
格好いい――。しかも、大人。
その時、同級生がやけに眩しく感じられたことを覚えています。
そして、私が知っていた祭りとは違う祭りがあるのだと、初めて知った瞬間でもありました。
月に一度、指圧店に行っています。
肩を中心に、首と肩甲骨までが、とても凝っていると訴え、揉んでもらいます。

その店は、カーテンで仕切られたブース内で、各自が指圧してもらうのですが、そのカーテンは薄い布製のため、その中で交わされる会話は、周囲に聞こえてしまいます。
私は大抵、黙っていて、ひたすら揉んでもらうのですが、カーテンの向こうからは、様々な会話が聞こえてきます。
嫁の悪口、上司への不満、夫との冷めた関係・・・といった、実に多種多様な話です。
指圧中に、よくそこまで、心の内を赤裸々に語れるものだと、感心してしまいます。ほかの客たちやスタッフたちに丸聞こえだと、わからないはずもないシチュエーションなので、聞かれてもいいのでしょう。もっと言えば、聞かせたいぐらいなのかもしれません。
もう一つ、感心するのは、その呼吸です。
指圧中に話をするのは、結構大変です。
身体をぐっと押されれば、その時、息が詰まるようになります。
指圧は身体のあちこちを押さえ続ける作業ですから、この息が詰まる感覚が、連続されることになります。
この息が詰まる中で、言葉を発し続けるというのは、なにか特別なテクが必要なのではないかと思われます。
私なんかは、近くにあるスーパーの場所を、指圧者に説明するだけでも、苦しくって、息が荒くなります。
ある時、カーテン越しに聞こえてきたのは、恋の話でした。
どうやら、一年前に突然彼から別れを切り出され、別れることになったものの、どうしても忘れられず、よりを戻したいと願っている女性のようでした。
占いによれば、今週から「積極的に出ない方がいい時期」に入っているそうで、それで時間ができたので、指圧にやってきたという話でした。
先週までの「積極的に出てもいい時期」には、いったいどんなことをしたのかと尋ねる、指圧者の声が聞こえてきました。
すると・・・彼の部屋にこっそり入り(合鍵を返す前に、もう1つ合鍵を作っておいたらしい)、新しい女がいるのかどうか、今、どういう生活をしているのか、冷蔵庫を開けたり、ゴミ箱を漁って、調べたとのこと。
その調査によって、女はいないという判断を下したと語る声は溌剌としていて、息の乱れもありません。
怖くなった私は、無意識に身体を震わせたようで、「寒いですか?」と、指圧者から声をかけられてしまいました。
この話を検証してみると、カーテンの向こうにいる女性は、一年前の、別れることにした段階で、すでに合鍵のコピーを作っていたことになります。
その時点ですでに、彼の部屋への侵入を計画していたということです。
となると、別れる気、最初っからなかったってこと。
どういういきさつなのか、わかりませんが、占い師が「積極的に出ない方がいい時期」だと、すっと言い続けてくれますように。
この日、会得した教訓は・・・『合鍵を返してもらうより、鍵を交換しろ』ですかね。
大学の卒論テーマに選んだ人物は、世阿弥でした。
どうしてもこの人物を選びたかったというよりは、苦労する先輩たちを見て、あぁはなりたくないもんだと、世阿弥に逃げたのです。
中世文学のゼミだったため、ほとんどの学生は「平家物語」をテーマに選びます。
これは、大変です。
なんたって、琵琶法師たちが謡って広めた文学ですから、全国で謳って歩くうちに、内容はどんどん変化してしまいます。このため、異本がたくさんあり、それらを比較検討するところから始めなくてはなりません。
メイクばっちり、ボディコン(当時の主流ファッションでした)にハイヒール姿の先輩が、眉間に皺を寄せて、何種類もある、漢字ばかりの「平家物語」を苦労しながら読んでいる姿は、シュール過ぎて、笑えました。
無理だと早々に決断した私は、同じ中世時代に活躍した、世阿弥に逃げました。
たまたま見つけた論文で、世阿弥作品は現代の映画的手法を使っているとの指摘をしていたので、それに乗っかることにしました。
ゼミの担当教授からは、「なかなか面白い視点ですね」などと言われ、「そうですか、へへへ」と笑ってごまかし、無事「平家物語」から逃げることに成功しました。
ある日、世阿弥をテーマにした学生のために、授業時間を使って、世阿弥作品の能を鑑賞しに行きましょうと、教授が言い出しました。これはつまり、私のためにということです。私以外に、世阿弥を卒論テーマに選んだ学生はいませんでしたから。

翌週、教授に引率され、ゼミの学生たち、二十人ほどで、能楽堂へ向かいました。
歌舞伎座や帝国劇場や、様々な劇場に子どもの頃から行っていたので、劇場がもっている独特の雰囲気には慣れていたつもりでしたが、千駄ヶ谷の国立能楽堂の佇まいには、完全に呑まれてしまいました。初めて体感する、その厳粛さに、身が引き締まるような心持ちがしました。
その気持ちを持続できれば良かったのですが、緊張中であっても、睡魔はやって来るから不思議です。
能は静かに、独特のスピードで進行していきます。現代人の速度と較べれば、明らかにゆっくりです。
糸を巻くのに、どんだけ時間かけてんねんと、心の中でつっこんだ記憶を最後に、睡魔に支配されてしまいました。
隣席の子に、「終わったよ」と起こされた時には、すでに客席は明るくなっていました。
ふと、振り返ると、険しい顔をした教授と目が合いました。
目を三角にした教授は「君のために、大事な授業の時間を鑑賞にあてたというのに、一番に寝るとは、どういうことですか」と、怒りだしました。
面目ない。
私は能楽堂で、うな垂れるしかありませんでした。
その時のトラウマでしょうか。
その後、能楽堂へは足が向かなくなってしまいました。
十五年後、能楽堂を訪れる機会がありました。
厳粛さは、記憶にあった、当時のままでした。
少し違うといえば、これから始まる能への期待感を、自分がもっていることでした。
そして、能は静かに始まり、静かに終わりました。
私は睡魔に襲われることなく、最後まで堪能することができました。
以前のような、「展開が遅いんですけど」といった違和感はなく、ゆっくりしたスピードが妙に心地良く思えました。
帰り道、どうして、昔は、あの速度に馴染めなかったのだろうと考えました――。
若かったからなぁ。
今年の夏、大活躍した物といえば、小型扇風機。

高さ30センチちょっとの、ちっちゃな扇風機です。
節電の今夏、エアコンをなるべく使わないよう、この扇風機を使いまくっていました。
持ち運びが片手でできるほどの軽さなので、自宅内を移動する度、この扇風機も道連れします。
ひょいと持ち上げては、新たな場所に設置し、ブンブン風を送って貰っていました。
執筆中には仕事部屋で、料理中にはキッチンで、化粧中にはパウダールームで。
あまりに一緒に行動しているためか、今や身近な相棒といった存在です。
スマートフォンを購入した際、付いていたカメラ機能の試し撮りをしようと思った時には、当然のように、この扇風機にレンズを向けていました。記念すべき、ファーストショットが扇風機と相成りました。
この扇風機は、もう6、7年使っています。
軽くて、とても重宝しているのですが、この相棒には1つ大きな欠点がありまして、動作音が、うるっさいのなんのって。
フローリングの床に置くと、ダダダダダッと、床を叩き続けるような音がします。しょうがないので、バスタオルを小さくたたみ、その上に、鎮座していただきます。すると、多少、動作音は小さくなりますが、それでも、結構耳につきます。
いつものボリュームでは、音楽も聞きづらくなるほどです。
フル稼働させていた扇風機を、止める日がやってきます。
気温が上がらず、今日は動かさなくていいかなと思うような日。
扇風機を止めた途端に訪れる静寂――。
あぁ、今までの我が家には扇風機の音が溢れていたんだなぁと思う瞬間です。
そして、そうか、もう秋だなぁと、しみじみとします。
扇風機が作り出していた音から解放された時――それが、私が毎年、秋を感じる瞬間でもあります。