今から十年ほど前のことです。
スーパーの特設会場で、足が止まったのは、『ベランダで野菜を育ててみませんか』と謳ったポップの前でした。
それまで、土いじりにまったく興味などなかったのに、何故か、その時は、ポップの言葉が、ズドンと胸の真ん中に突き刺さりました。
さて、なにを育ててみようかと、早速、選ぶことに。ニンジンやナスなどは、素人なりに、難しそうだと判断し、パスします。
そして、その時、目についたのが、バジルでした。種の入った袋の裏には、初心者向けとも書いてあります。パスタに摂れたてのバジルを使うなんて、ちょっとオシャレっぽくていいんじゃないかと、ほくそ笑みました。そして、ついでに、トマトも作れないだろうかと考えました。自分で育てたバジルとトマトで作ったパスタ。雑誌の中の世界のようです。よし、これでいこうと思い、種の入った袋を裏返しました。すると、上級者向けと書かれています。そ、そうか。トマトは難しいのかと、諦めかけた時、プチトマトの種に目がいきました。裏返した種の袋には、初心者向けの文字が。よっしゃ。プチトマトでいいや。口の中に入れれば、同じトマト味だと、自分の理論を展開し、購入しました。
自宅に戻り、早速、鉢に土を入れ、種を落とし、水をやりました。
そして、ベランダへ顔を向け、はっとしました。
このベランダで、食物が育つのだろうかと。
猫の額のような狭いベランダには、エアコンの室外機と、避難用の滑り台が収納されているボックスがあり、人が一人立つぐらいのスペースしかありません。そこに洗濯物を干すので、日差しは遮られてしまい、植物を育てられる環境ではなさそうだと気が付きました。
どうして、こういう大事なことを、買う前に考えられないのでしょう。
自分の間抜けっぷりに呆れます。
ですが、せっかく買ったのに、このまま捨てるのは惜しい気がします。
そこで、室内で育ててみることに。
窓の前にバジルとプチトマトの鉢を並べました。
一週間ほどで、プチトマトのちっちゃな葉が出てきました。
いける。
そう感じた私は、遅れて葉を出したバジルに、精一杯の愛情と水を与えました。
バジルはすくすくと育ち、レストランなどで見かける姿と遜色ない色と形になりました。

問題は、プチトマトの方でした。
愛情をかけなかった分、性格が歪んでしまったのか、ひょろひょろと茎が伸びるばかりで、一向に実をつけそうな気配はありません。茎の添え木は、継ぎ足しを繰り返して、30センチほどの高さになりました。
茎はあまりに細く、全精力を、上に伸びるという行為に振り向けているようでした。
それから一ヵ月。
プチトマトは、相変わらず、上に上にと、伸びていました。
その頃には、プチトマトを食べるという目標は忘れ、どこまで伸びていくものなのかと、記録に挑戦し続ける植物を見届けようという気持ちになっていました。
結局、70センチまで記録を伸ばした後、ぴたっと成長は止まり、やがて、色が薄くなっていきました。
そして、実をつけることはなく、徐々に枯れていきました。
窓からの日差しでは、充分ではなかったのか、それとも、プチトマトが生きる方向を間違えたのか、わかりません。
枯れたプチトマトを処分した時、ちょっと淋しかったことを、覚えています。
「男が欲しいと思う瞬間は?」
といったお題で、7、8名で女子トークをしていたのは、今から十年以上前のことです。
「ジャムの瓶が開かない時」と答えた私は、拍手喝采を浴び、その場にいた女子たちから、賛同を得ました。
ジャムの瓶は、大抵なかなか開きません。
開けてたまるかといった頑なさです。
ジャムの瓶を開けるのは、その用途からいっても朝食の時が多くなります。
朝っぱらから、瓶と格闘するため、歯を食いしばるというのは、いかがなものかと常日頃から思っていました。
そんな時、見つけました。
瓶オープナーという物を。
生活便利グッズを扱うネットショップが、瓶オープナーなる物が存在すると教えてくれました。
早速購入したところ、届いた品物は、結構な大きさで、しかもずしりとした重量です。

まるで、真面目なマシンのような佇まいです。
説明書にある通りに、瓶の蓋の上にのせ、スイッチを押すと、ガガガッと大きな音が。
思わず飛び上がりそうになるほどの、大きな音です。
心配しながら覗き込むと、UFOキャッチャーで物を挟む部分に似ているところが、動いていました。
その動作音でした。

それは、やがて瓶にぶつかり、しっかりと抱きかかえるような格好になりました。さらに大きな音がして、今度は、その内側にあった、やはりUFOキャッチャーで物を挟む部分のようなところが動き出します。それが、蓋にぶつかると、やかり抱き締めるような格好になります。
と、音が止みました。
ん? 終わり? と思っていると、それまで以上の大きな音がし出して、瓶を押さえたUFOキャッチャーと、蓋を押さえたUFOキャッチャーが左と右に、捻り動作を開始しました。
ンガガッ、ンガガッと、必死さが加わったような音色に変わりました。
思わず、頑張れ、と声を掛けたくなります。
すると突然、ポンと軽い音がして、それまでの捻り動作がゆっくりと解除されていきます。
そして、唐突に動きと音が止まりました。
オープナーをそっと持ち上げてみると、瓶の蓋は開いていました。
ネットで商品説明を読んだ時には、もっと、しれっと、都会風に開けてくれるとばかり思っていましたが、実際は随分と泥臭い感じです。
その武骨さが、味といば、味でしょうか。
記憶を辿り、以前女子トークをした時のメンバーのうち、思い出せた数人に、瓶オープナーの情報をメールしました。
そのうちの1人から、早速購入したとメールが入りました。
そのメールには、音は煩いけど、なかなかの優れ物だとした後で、「これで、もう男が欲しいと思う瞬間がなくなってしまった」と半ば残念そうに綴ってありました。
今の住まいに引っ越したばかりの頃。
ブザーが鳴る度に立ち上がり、さて、今度はなんだと身構えたものです。
それ以前の住まいでは、訪問者が来た時にブザーが鳴る程度で、いたって静かな日常でした。
なにかが終わった時に、ブザーで合図をしてくれるような家電品が、少なかったものと思われます。
それが、現在の住まいに越してきてみると、あっちから、こっちから、ブザーの音が聞こえてきます。賃貸マンションに備え付けの家電品が、合図を送ってくるのです。
ブザーだけではありません。
声まで聞こえてきます。
「あと5分でお風呂が沸きます」とアナウンスされた時には、「恐れ入ります」と、深々と頭を下げそうになりました。
そうは言っても、ブザーの音にも慣れていくもんです。
それぞれの家電品が出す音の違いも、わかるようになりました。
そんな折、いつもと違う音が耳に入ってきます。
あぁ、また故障かと、一気に気持ちは塞ぎます。
たとえば、洗濯機などは、4年の間に、6回故障しました。

私の物であれば、即、買い替えになるところですが、生憎、洗濯機はマンションの備え付けの物で、そうすることはできません。
故障すると、まず、マンションの修理受付センターというところに電話をします。すると、そのセンターの人はデータを調べ、オーナーを探します。そして、そのオーナーが、そういった業務を別の会社に委託しているとわかります。そこで、その会社に連絡を取ってくれます。事情を説明し、オーナーに連絡を取るよう依頼します。それから、その会社がオーナーに連絡を取ります。借主が洗濯機が故障したと言っているので、修理をしていいかと問い合わせます。OKが出ると、その情報は、それまでの流れとは逆に遡っていきます。センターの人まで戻ったところで、ようやく、洗濯機のメーカーに修理依頼の連絡をしてくれる・・・といった気の遠くなるような手順を踏まなければなりません。
さらに、そこからメーカーの修理担当者が直しに来てくれる日にちを決めるわけですから、故障してから訪問実現まで、10日ぐらいかかってしまいます。
10日――。
長いです。
洗濯機が故障する度に、「引っ越そうかなぁ」と考えてしまいます。
洗濯機がよく故障するからというのが、引っ越しの理由になる人って、いるでしょうか。
いる、と私は思っています。
小説「恋愛検定」が発売になりました。

「恋愛」をテーマに小説を書いたことはなく、また、タイトルにこの2文字が入った作品も初めてのことです。
ちょっと小っ恥ずかしいです。
書店さん向けのポップを作っていただきました。

印刷物です。
出版社さんによっては、手書きのポップをと、仰るところもあります。
書くのは全然構わないのですが、字に自信がないため、却って売上が落ちてしまうのではと不安になってしまいます。
そこで、どなたか字の上手い方に代筆していただきたいと申し出てみるのですが、「下手でもいいんです。気持ちが入っているかどうかです」と返り討ちに遭ってしまいます。
気持ちを、字にどう込めたらいいのだろうと考え出したら、もう、ラビリンス。
長い時間、ポップ用紙を見つめ続けることになります。
何度も何度も下書きをして、いざ、本番。
すると、プレッシャーという名の悪魔が、右手に乗ってきます。
その重さで、右手が、思うように動きません。
自分の手じゃないような気がするほどです。
元々、上手じゃないのに、悪魔が右手に乗っているわけですから、いつも以上にへなへな文字になります。
一生懸命書いた割には、残念な結果になったポップを見て、ため息をつきます。
これを受け取った書店員さんは、どうするだろうと考えてみます。
私なら、迷わず捨てるなと、確信をした途端、「捜さないでください」と置手紙をして、旅に出たくなってしまいます。
今回のは、そうした残念なポップではありません。
デザイナーさんが制作した、ちゃんとした物ですから、書店に置いていただけるのではないかと、期待しています。