つま先が常に、キンキンに冷えています。
もし、サーモグラフィーで覗いたら、真っ青になっていることでしょう。
毎年、冬には、モコモコ素材のルームシューズを履いて、過ごしているのですが、それでも、つま先を触ると、「冷たっ」といった状態。
なんとかしたいとは思っていたものの、今使用している以上のモコモコ素材を発見したところで、劇的に温かくなるとは考えられません。で、あるならば、冷えていること自体をシカトしてしまえ、という発想で、長らく放置してきました。
が、齢のせいか、今年は、つま先の冷えが我慢ならなくなってきました。
そこで、ネットで検索。
「靴用カイロ」という品にぶち当たりました。
いいかもしんない、と、にやりとしてから、お買い上げ。
この靴用カイロを、ルームシューズのつま先部分に敷き、その上に足を置いてみると・・・みるみる、つま先が温められていきます。
たちまち胸に広がる、幸福感。
つま先に血が通うって、こういうことだったのね。
と、至福の時を味わったのも束の間、今度はつま先が、火傷しそうなほどの熱さを感知。
思わず、ルームシューズから足を引っこ抜きました。
いくらなんでも熱過ぎる。ちょうどいい温度にはなってくれないものかと、しばらく様子をみてみましたが、一度上がった温度は、なかなか下がる気配を見せません。
しょうがないので、タオル地のハンカチを靴用カイロの上に敷き、その上に足を置いてみることに。まだ、熱い。もう一枚。まだまだ熱い。もう一枚。
結局、ハンカチを片足に三枚、両足で六枚敷くと、丁度いい按排になると判明。
ところが、この中に敷いたハンカチがズレるんです。
隣の棚にある辞書を取り出す、洗濯機から洗濯物を取り出す・・・といった、ちょっとした動作の度に、ルームシューズの中の足先が微妙な動きをするようで、ちょいちょいズレていくのです。このズレたハンカチが、やけに気持ち悪くって、その度に、足を引き抜き、畳み直して、入れ直すという作業をするはめに。
・・・面倒です。
この靴用カイロは不良品なのではないか――。
と、不信感いっぱいで、袋の注意書きを読んでみることに。
すると、「サンダル等空気の入りやすい履物では高温になることがある」との1文が。
あぁ・・・これか。
いいアイデアだと思った靴用カイロ、撃沈です。
ですが、一度、幸福感を味わってしまった私には、元の状態に戻すという選択肢は、あり得ません。
そこで、今度はホットカーペットを投入することに。
座布団ほどの大きさのホットカーペットに、足をのせると・・・足の裏が、じわじわと温められていきます。
俄然、いける気がしてきます。
また、幸福感で心を震わす瞬間がやってくるに違いないと思うと、わくわくしてきます。
そして、その時を待つこと、1時間。
残念な点を発見。
足の裏は温められるのに、表側といいますか、甲側の方は、冷たいままだという点でした。
ずっと私は、つま先の下部が冷えていると思い込んでいましたが、どうやら、上部も冷えていたようなのです。
足を包むルームシューズとは違って、ホットカーペットでは、足の上部は管轄外ですから、放っておかれます。
しかし、足の上部も同時に温まらないと、幸せはやってこないようなのです。
そこで、現在は、ホットカーペットにルームシューズを履いた足をのせ、さらにその足先にカイロをのせるという、3段構えの対策を取ることに。
この3段構えのおかげで、今は、毎日、幸せを味わいながら執筆しています。
大人の女たるもの、美しい字でもって、礼状の一つもしたためてみたいという願望があります。
しかし、残念ながら、私は悪筆。
一生懸命書いたつもりの礼状が、却って失礼にあたってしまうような、ふざけた字なのです。
あの、便箋というのも、悪筆者には、宇宙と同じくらいの大きさに感じられます。
広すぎます。書くスペースが。
あんな広いスペースに、汚い字が連なるのかと思うと、想像しただけで、吐き気がしてきます。
そんな人には、カードがいいと聞きました。
小さなスペースに、ひと言だけなら、悪筆者でも、なんとかごまかせると。
そこで、ネットで検索。
すると、でてくる、でてくる。
オリジナルカードを作ってくれるショップって、たくさんあるんですね。
その中で、紙の質とコストが、私の中で、折り合いのつくショップを1つ選びました。
そこで、オーダーしたのが、このカード。
B6サイズ程度なので、本当にひと言分のスペースしかありません。
罫線がないという点にさえ、目をつぶれば、なかなか便利な一品です。
重宝して、使っているうちに、いつしか残り僅かに。
そこで、前回と同じショップにアクセス。
今度はどんなのがいいかと、検討してみることに。
前回のは、ゴールドで名前が刻印されている点は、気に入っていたのですが、ハートのマークは、いかがなものかと思っていたのです。前回ハートマークを選んだのは、いくつか選べるマークの候補の中で、消去法でいったら、ハートが残ったという、消極的理由からだったのです。
そこで、マークもオーダーすることに。
自分では、マークを作ることはできませんので、ネットで、アイコンやマークを販売しているサイトを探して、「桂の葉」をデザインしたマークを購入しました。
なんか、カスタマイズしちゃってるじゃん、私、と満足感でいっぱいです。
このデータをカードショップに送って、注文したところ・・・解像度が低過ぎて印刷には不向きなので、なんちゃらかんちゃら・・・といった返信メールが。
知らない単語が延々と並ぶ、その返信メールの意味するところは、半分も理解できませんでしたが、このデータではダメでっせと言われていることだけは、わかりました。
わかったところで、どうすればいいのでしょう。
しょうがないので、私にはよくわからないのですと、同情を貰えるような書き方で訴え、購入したマークには、ほかにも数種類のデータがあったので、とりあえず、全部送ります、後はよろしくとメールを返信。
すると、また見知らぬ単語がいくつも出てくる文面のメールが。
嫌がらせだろうかと疑いながら、今一度ゆっくり読んでいくと、最後の方に、「これで大丈夫そうなので、やってみます」との文字を発見。
サンキューと叫びそうになりました。
そして、約2週間後に届いたのがこの品。
なんとか出来て、良かった、良かった。
今回、学んだのは・・・知識がないなら、カスタマイズはほどほどに、ということでした。
書類はどんどん溜まります。
作品によっては、膨大な資料を集め、読み込んだりする必要があります。こういったものは、データではなく、大抵、紙に印刷した形で保存しています。
片付けなくては、狭い部屋が書類で溢れることに。
ですが、元来無精者ゆえ、なにかと理由を付けて放置してしまいます。
単行本が発売されるまでは、残しておかなくては。
いやいや、文庫が発売されるまでは、やはり手元に。
などと思っているうちに、3年ほどが経過。
めでたく、文庫が発売されたら、されたで、今度は、現在執筆中の小説を書き終えたら、ゆっくり片付けようなどと、また先送りしてしまいます。
こうして、書類の山は、その高さをどんどん上げていきます。
そんな折も折、手にした雑誌で、スキャナー特集をしていました。
1台あると、デスク周りがすっきりして、仕事の能率もアップ、とありました。
いいかもしんない。
ということで、早速、ネット上の電化製品量販店にアクセス。
あまりに種類がたくさんあるのと、価格に幅があることで、迷ってしまいましたが、なんとか1台を選択。
届いたスキャナーを、自分でパソコンに接続設定をしなくてはいけないという現実を前にして、しばし心の準備。勇気が湧いて来たところで、初期設定にトライ。
と、案の定といいますか、ほら、ご覧といいますか、パソコンが動かなくなってしまいました。
こうしたパソコン関連品の初期設定を、取扱説明書通りにやっているつもりなのですが、無事に設定を終了できたことは一度としてありません。
パソコンメーカーに電話をし、二十分ほど待って、ようやく繋がったオペレーターに、事情を説明。
指示通りにあっちこっちクリックしているうちに、スキャナーもパソコンも使えるように。パソコンメーカーの問い合わせ窓口にいるオペレーターって、すっごいなぁ。時給いくら貰ってるんだろう。たくさんあげるげきだよなぁ、などと感心しきり。
深く深く感謝の気持ちを、オペレーターに伝えて、電話を切り、いざ、スキャン。
シュッ、シュッ、と、みるみる書類を呑み込んでいくスキャナー。
そして、それはすぐにパソコンにPDFファイルとなって、保存されていきます。
6年もの、7年ものといったビンテージ書類が、次々にパソコンへと収納されていく様は、感動的でさえありました。
もう決して、書類の山に囲まれるようなことにはなるまい。
と、思う一方で、スキャナーに紙をセットするのは、私だという点が、引っ掛かります。
いつでも、シュッ、シュッ、と吸いこんでくれるスキャナーがあるという安心感が、来週やればいい、いや、来月に、と先延ばしすることに繋がるのでは。
これって・・・スキャナーを購入する前の状態と、なんら変わらないってこと。
結局、自分の心掛けを変えない限り、どんな装置を導入しても一緒なんですよね。
メロンは私にとって、憧れの果物でした。
高価でしたから、滅多なことでは口にできないフルーツだったのです。
小学生時代のある日、近所に住む、男の子の家に遊びに行ったところ、オヤツが私にも振舞われました。
それが、な、なんと、メロンでした。
私は「今日、誕生日なの?」と男の子に尋ねます。
すると、「なんで? 違うよ」との答え。
なんでもない日に、メロンを食べる家があるということに、びっくり仰天した私は、家に帰ると、すぐに祖母に報告しました。
当時の私は、多くの時間を、祖母の家で、二人っきりで過ごしていました。
興奮気味の私が、オヤツにメロンが出たと話すと、ソリティアをしていた祖母は、トランプの手を止め、「そりゃあ、大金持ちだね」と、一緒に感動してくれました。
そんな時、国語の授業で、作文を書かされました。
どんなテーマを指定されたのか、もう覚えていないのですが、私はその衝撃的大事件を原稿用紙に綴りました。
授業参観の日になりました。
先生が、「この間、書いてもらった作文の中から、よくできたものを、皆の前で読んでもらいます」と宣言し、私の名が呼ばれました。
私は、背後にいるであろう母の視線を意識しながら、よくできたと言われた作文を読みだします。
フツーの日に、オヤツがメロンだった衝撃。しかもそれは、繊細なガラスの器にのっていたこと。しかも、食べ易いように、カットされていたこと。自分の家では、メロンは、特別な日に、各自が先割れスプーンで、掘って、掘って、掘りまくって食べること。穴が開きそうなほど、掘り進むと、きゅうりと同じような匂いがすること・・・。
読み終わると、教室には大きな拍手が。
どうよってな思いで、鼻高々で、振り返ると、鬼の形相をした母が。
あれっ?
なんで?
てっきり喜んでくれていると思った母は、間違いなく怒った顔をしていました。
自宅に戻ると、なんであんな作文を書いたのかと、母にこっぴどく叱られました。
うちがビンボーだということが、クラス中に知れ渡ってしまった。明日には、学年中に知れ渡るだろう。明後日には学校中に知れ渡ってしまう。あんな恥ずかしいことを、人前で話すもんじゃないし、書くもんじゃない・・・。
これが、母の言い分でした。
そうか、うちは、ビンボーだったのか、と初めて現実を知らされた、出来事となりました。
その後、生活環境が劇的に好転するということもなかったため、メロンへの憧れは、ずっと続き、現在も、その存在は特別です。
アイス、ジュース、スイートなどで、味を選択するシチュエーションは結構あります。
メロン、ストリベリー、バナナ、抹茶・・・こういった中から、味を1つ選ぶ時、私は決まって、メロンを選んでしまいます。幼い頃に沁みついてしまった、メロンへの憧れが、そうさせてしまうようです。
それにしても・・・授業参観で、私の作文を選んだ、教師の判断って、どうよ? との思いが胸を離れません。