睡眠時間はたっぷり取るようにしています。
フリーライター時代、この睡眠時間を確保するのが、とても大変でした。
特に、週刊情報雑誌の仕事をしていた頃は、寝られない状況に、よく追い込まれていました。
たとえば・・・
午前10時から、6軒のラーメン屋を取材して歩き、午後6時に帰宅。
すでに、ここでへろへろなのですが、ここから執筆作業に入ります。
先週、すでに取材を終えていた店の原稿を書き始めるのです。
編集者とメールやFAXで原稿のやり取りをしながら、作業を進めていきます。
書いては、直し、書いては、直し、の繰り返しです。
締め切りは、朝の6時。
この時間は絶対厳守なので、午前4時を過ぎる頃には、切羽詰まった感が半端じゃなくなり、私も編集者も人格が崩壊していることがよくありました。
そして、なんとか、午前6時の締め切りに間に合わせ、ほっとひと息。
すでに、朝の光がカーテンの隙間から、ワンルームマンションに射し込んでいます。
その細い光を、呆けたように見つめていると、FAXの受信音が。
今日の取材予定表が流れてきました。
覗き込むと、1軒目の訪問時間は、午前11時となっています。
おっ、少し眠れるぞと、喜んでいると、訪問場所の欄には、長野県北佐久郡軽井沢町の文字が。
東京から軽井沢に午前11時までに行っとけという指示。
私の睡眠には、まったく興味のないといった態度。
その場で力尽きそうになってしまいました。
こんなことが、日常的に繰り返されていましたので、たまに、なんらかの事情で、取材がキャンセルになったりすると、寝られるぜっと、ガッツポーズを取るように。
体力がないと、できない仕事でした。
この頃の経験は、深く胸に刻まれ、二度とこんな目には遭いたくない私は、ゆとりをもったスケジュールを組むようになりました。
お陰で、現在は「この前、いつ寝たっけ?」といった自問自答をしなくても済んでいます。
文庫「WE LOVE ジジイ」が発売になりました。
装丁の、マジメ可笑しいイラストが、結構気に入っています。
文庫発売にあたっては、改めて原稿のチェック作業をします。
執筆したのは、およそ4年も前のこと。
当時の気持ちに戻るのは、大変です。
では、どうするか――。
私は、音楽の力を借りることにしています。
1つの小説には、1枚の音楽CD(アルバム)を決めて、執筆する際には、永遠に聞き続けます。
毎日、毎日、同じ音楽CDを、半年近くも聞き続けるのですから、作品世界の中に、音楽の記憶もしっかりと刻まれます。
文庫の原稿をデスクに置き、まずするのは、執筆当時に聞いていた音楽CDをかけること。
たちまち、記憶が刺激され、作品世界へすんなりと入っていくことができます。
登場人物たちは、皆、私が創り出したもの。ですが、彼らに魂を吹き込む作業をしているうちに、私の思惑とは違う、独自の個性をまとっていきます。
書き進めていくうちに、いつしか、登場人物たちは勝手に動きだし、私はそれを見失わないよう、必死で追いかけるといった状態になります。
そして、時には、そんな人だとは思わなかったよと、登場人物に呆れたり、時には、しっかりしなさいと叱ったり・・・。
こうして、書き終えた時には、登場人物たちとは、知り合いのような感覚になっています。
4年ぶりに、音楽CDを聞きながら、「WE LOVE ジジイ」の登場人物たちと再会しました。
皆、元気そうで、安心しました。
地域活性化を目指し、町おこしに奮闘するマー坊。
胃の調子が悪い、岸川。
商売熱心な、きよバア。
口数が少な過ぎる、しげジイ。
緊張しいの、亀ジイ。
久しぶりに皆と会えて、ちょっと嬉しくなりました。
彼らと会ってみたいと思われた方がいらっしゃいましたら、文庫「WE LOVE ジジイ」をお手にお取り下さい。
小学生の頃、超肥満児でした。
見るに見かねた親が、痩せさせようと決心し、私を近所の児童館へ。
気がつくと、そこで活動中の卓球クラブに入部させられていました。
私本人への意志確認は一切なしに。
以降、毎週土曜日の午後、卓球をするはめに。
そこは、中学生が中心で、小学生もいましたが、五、六年生がほとんどで、四年生の私は一番下。さらに、男子ばかりのクラブで、女子は私を含めて三人ほど。
なんだ、このデブといった視線を全身に感じながらの、初練習。
もう二度と来ないと誓ったものの、翌週も親に引き摺られるように、児童館へ。
ちっとも楽しくない練習を、なんとかこなして終了。
翌週には、また親に無理矢理連れられて・・・といった繰り返しでした。
3ヵ月ほど経った、ある時、男性コーチが、順番待ちをしていた私に向けて怒りだしました。
「ほかの人が練習しているのを、ちゃんと見ていなければいけない。やる気がないなら、帰れ」と。
うそっ。
帰ってもいいの?
ラッキー。
そう言ってくれるのを、待ってましたとばかりに、更衣室に向かおうとする私。
やる気なんて、ありませんから、こういう時の行動は、抜群にはやいのです。
すると、背後からコーチの声が追って来ました。
「階段3往復だ」
えっ? と仰天した私は、足を止めて、振り返りました。
コーチからは「3往復したら、戻って来い」との再びの指示が。
あまりにはやい、前言撤回。
今、帰れって言ったじゃない。
帰れると、一瞬でも夢をみてしまった分、がっかり具合はハンパじゃありません。
肩を落として、フロアの端にある階段へ。
練習していたのは6階。そこから1階までダッシュで階段を下り、ダッシュで上るというのは、一番嫌いな練習でした。
それを、3往復しろというのです。
デブにとって、階段の上り下りが、どんだけしんどいか、スレンダーなコーチには、決してわかっていただけないでしょう。
ゆっくり下り始めましたが、4階で、もう心臓は破裂しそうに。
ちょっくら休むかと、踊り場の窓から、外を眺めます。
徐々に、心拍数は落ち着いていきましたが、もう階段を上り下りする気持ちは、消え失せていました。
ぼんやりと、外の景色を眺めながら、思い通りにならない自分の人生について憂える、小学四年生が、そこにいました。
デブが3往復するとしたら、だいたいこれぐらいだろという時間を見計らって、6階に戻ると、コーチにすぐに台につくよう命じられました。
当時は、外を眺めて時間を潰したことなど、コーチにバレていないと思っていたので、澄ました顔で、練習を再開しましたが、今、考えてみると・・・完全にバレてましたね。
デブが階段を3往復もしたら、瀕死状態になっているはずなんですから。
あの、コーチ、見逃してくれたんだな、と思うと、なんだかにやっとしてしまいます。
4年ほど前に、人間ドックで、視力が0.2と0.1と知り、愕然としました。
30歳までの私は、両眼とも1.5で、視力だけはいいというのが、自慢であり、ネタでもありました。
会社勤めを止めた途端、年に1度の健康診断を受診することがなくなり、視力を知る機会がなくなってしまいました。その後、視力は年々低下していってたのでしょう。日毎に見えにくなっていただろうに、そうしたことに無頓着でいられる、自分のぼんやり具合に、ただただ呆れるばかりです。
生まれて初めて、眼鏡を作り、周囲を見回した時の感動ったら、ありませんでした。
「世の中って、こんなにはっきりしてたんですね」と言ったら、眼鏡屋のスタッフは、こいつ、大丈夫か? といった顔をしていましたっけ。
感動したのも束の間、現在は美術館で絵を鑑賞する時にしか、眼鏡をかけません。
使い慣れていないのと、勘でなんとかなるだろうという大雑把な性格が相まって、裸眼で乗り切っています。
執筆も、読書も、裸眼でなんの問題もありません。
ところが、1つだけ、困っていたんです。
辞書です。
辞書の文字って、小さいですよね。
辞書に顔を近付けたり、遠ざけてみたりと、色々やってはみますが、まぁ、見にくいのなんのって。よっこいしょと、眼鏡をかけてトライしてみますが、裸眼の時より却って見にくいぐらいです。
新たに眼鏡を作らないといけないのかなと考えていた時、ふと、虫眼鏡のようなものはどうだろうと思い付きました。
ネットで「虫眼鏡」で検索すると、あるわ、あるわ。たくさんのショップで扱っていました。
やがて、ルーペ専門店を発見。
そこで、名刺大サイズのルーペを見つけました。
LEDライト付きで、暗いところでも見易いと謳ってあり、薄さもサイズも、良さそうです。5千円ちょっとという価格が、少し高いようにも感じましたが、思い切って購入することに。
これが、とっても便利。
普段は、ちょっと派手な名刺入れといった佇まいですが、使う時には、スライド式になっているルーペ部分をすっと引き出します。LEDライトが自動的につき、文字を照らしてくれるので、見易さは◎。
今年、1番の買い物といってもいいぐらいです。
今では、1日に、何度もお世話になっています。