寝ている時夢を見ますか?
というか、見た夢を覚えていますか?
私は時々しょうもない夢を見ます。
それは高校生の時に見た夢。
その日の夕飯はトンカツ。
なのに肝心のソースが切れていた。
青春真っ只中の私は、これを許せなかった。
何故ソースがないのだと激怒。
やがてそれは哀しみへと変わっていきました。
当時はコンビニなんて便利なものはなく、まして24時間営業しているスーパーもない。
近所の商店は午後七時には閉まってしまうという環境でした。
「代わりに醤油をかけてみたら?」という母の言葉は、私の哀しみを深くしました。
その日の夜のこと。
夢の中で私は近所のスーパーへソースを買いに行っていました。
明るいので昼間のようです。
店に到着すると、店内を歩き回ります。
が、探せども探せどもソースがない。
醤油や塩や味噌は見つかるのに、ソースだけがない。
だったら店員さんにでも聞けばいいのですが、それは夢の中のこと。常識とは次元の違う行動を取るのです。
くたくたになって重い足を引きずり、ふとレジに近づくと・・・なんとレジのすぐ横にソースが。
ソースは大きな樽に入っています。
その隣には台があり、空の一升瓶とお玉が並んでいました。
そこで私はお玉でソースをすくい、一升瓶に移していきます。
これ、じょうごを使えばできるかと思いますが、フツーならお玉ですくった液体のソースを、口の小さな一升瓶に移したらこぼれまくりで、一升瓶はべっちょべちょになるところでしょう。
が、夢ではこれは問題なくクリア。
綺麗に移し替えることができる。
で、一升瓶いっぱいになったところでポンと栓をして、レジで精算。
〇〇〇円ですと店員に言われ、ふと左手を広げるとそれときっちり同額の小銭があります。
それで支払いを済ませ、私は帰路に。
一升瓶を右手で摑み、それをブラブラさせながら大満足で帰り道を急ぐのです。
目覚めた時・・・なんちゅうソースへの執着だろうかと、我ながら呆れてしまいました。
ね、しょうもない夢でしょ?
十月になるとすぐに登場するのが、湯たんぽ。
寝る時は勿論、昼間執筆中には長靴タイプのと手袋タイプの湯たんぽも使っています。
湯を入れて、その温もりで足先と指先を温めるというとてもエコで素敵な品。
が、長靴タイプと手袋タイプは、3時間ほどでぬるくなってしまいます。
なので、1日に3回も湯を入れ替える必要が。
我が家にはすぐに沸くというのがウリの電器ポットがあります。
沸くと自動でスイッチが切れます。
と、この時点でおよそ100度。
しかし、湯たんぽの長靴タイプと手袋タイプの取扱説明書には、70~80度のお湯を入れるようにとあります。
この差をどうしたらいいのか。
ネットで調べたところ、沸騰した1リットルの湯に対して300ccの水を足すと、80度になるとありました。
これ、文章にすると1行程度ですが、実際やってみるとウルトラメンドー。
まず湯たんぽの長靴タイプには片足450ccしか入らない。
そこで、沸騰した湯と足す水の量の比率から、450ccの80度にするためには・・・と計算。
こんな複雑な計算したの、多分20年ぶりぐらい。
手袋は片手に400ccなので・・・と計算し、メモっておきます。
これを1日3回、両足両手分を入れ替える・・・続くわけがない。
もっと簡単にしてくれるモノはないのか。
とネットで探したところ、ありました。
湯沸しポットで、60度、80度、100度の各温度設定ができるというもの。
これだ。
これで私は湯の温度管理から解放される。
と喜び勇んで購入。
それがこちら。
温度設定のところをアップにしたら、変な角度でのショットになり、ポットらしさを感じさせない1枚になってしまいました。
外観はフツーの白い湯沸し電器ポットです。
ボタン1つで温度設定ができて、その温度になったらピピピッと音が鳴り、数分間はその温度のまま保温してくれます。
この導入のお陰で、眼鏡をかけて計量カップのメモリを睨まなくて済むようになりました。
極度の末端冷え性です。
特に足先は酷くて、痛みを感じるほどキンキンに冷えてしまいます。
保温機能がある下着を身に付けようが、分厚いコートを着ようが、マフラーで首を巻こうが、足先の冷えにはなんら影響を与えてくれません。
困っていた時に見つけたのは、靴の中に入れる使い捨てカイロ。
寒い日に美術館に行く時などに使っていました。
館内は作品を保護するための温度設定になっているので、冷え性の私には、ちと物足りない。
なので、靴の先に使い捨てカイロを入れていました。
ある日のこと。
美術館で絵を見ていると・・・足先が熱い。
気のせいじゃなく、熱い。
間違いなく熱い。
で、よろよろと椅子に進みました。
足が疲れた人がちょっと休むために置かれた椅子に座り、足先を触ってみると、熱くなっています。
靴に手を入れてカイロを触ってみると、これが予想以上に高温になっています。
さて、どうする。
いくら冷え性の私とはいえ、熱いものは熱いし、我慢はできない。
で、カイロを取り出しました。
と、ここで困った。
このカイロをバッグの中に入れるのは、ちょっとイヤ。
自分の足の臭いがついた、ほかほかしたものをバッグの中に入れたくはない。
そうかといってそのほかほかしたものを、手に持って歩くということもしたくはない。
どうする、私。
そこで、トイレかと思い付きました。
大抵の美術館には、展覧会場を出なくても行けるトイレというのがあります。
そこに捨てさせてもらえばいいのです。
きょろきょろ辺りを見回しましたが、トイレの場所を示す標識などはありません。
ここでまた最初の問題に。
そのトイレに辿り着くまでの間、自分の足の臭いがついた、ほかほかしたものをどうするかという問題です。
熱さを我慢するか、バッグに入れるか、手で持つか――。
私は「熱さを我慢する」を選択しました。
カイロをまた靴先に押し込み、足を入れ、すっくと立ち上がると、スタッフ目がけて早足。
「トイレはどこでしょうか?」と尋ねる口調も早口になっています。
教わった場所へ、熱さを我慢するため変な歩き方になりながらも急ぐ私の姿は、違う意味でトイレに急ぐ人のように見えたことでしょう。
自宅に戻ってから足先をチェックすると、なんともなっていなかったので、火傷には至らずに済んだようです。
さらに履いていたタイツをチェックすると、足先の裏の部分が薄くなっているのを発見。
どうやら何百回と履き洗濯を繰り返した結果、生地が薄くなっていたようで、そのために熱さをストレートに感じてしまった模様。
注意しなくちゃいけませんね。
先日、外出から自宅に戻り、エレベーターに乗った瞬間。
あっ、誰かケンタッキーフライドチキンを買って帰ったな、とわかりました。
エレベーターの中に充満する匂いが、ケンタッキーフライドチキンだと語っています。
ほかのファストフードのチキンではないし、コンビニやスーパーのチキンフライでもない。
その匂いは、絶対にケンタッキーフライドチキンなのです。
どうしてこうも自信があるかというと、好物だからです。
月に1度、2つの銀行に行かなくてはいけないのですが、この際自宅からだと往復で30分ほどかかります。
ちょうどいいウオーキングだと思い、ウオーキング専用のシューズを履いちゃって、テクテクと歩くのですが・・・なんと途中にケンタッキーフライドチキン店があるのです。
あったっていいのですが、なにせケンタッキーフライドチキンは好物。
が、残念なことにその好物は高カロリー。
そうそう食べてはいけない。
なのに、銀行に行く途中にある。
店の前を通ると、ちょっと寄ってらっしゃいよぉと、甘い声が聞こえてくる。
幻聴だと言い聞かせ、行きは無視できるのです。まぁね。
が、テクテク歩いて、薄っすら汗なんか掻いて「ちょっと私運動しちゃってない?」といい気になっている帰路で、また出くわしてしまうのです。
ケンタッキーフライドチキン店と。
大抵の場合、五分後には店内のメニューを眺めているということになります。
このケンタッキーフライドチキンへの愛は、小説の中に出したことがあります。
「嫌な女」という作品の中で、弁護士徹子の兄が、憎めないろくでなしとして登場します。
このしょうもない兄が、こよなくケンタッキーフライドチキンを愛しているという設定にしました。
なので、妹の徹子のところへ来る時の手土産は大抵ケンタッキーフライドチキンで、徹子からすると、いつも兄貴はケンタッキーフライドチキンの匂いと共にやって来ると思うのです。
また、この兄貴は生まれて初めてケンタッキーフライドチキンを食べた時の衝撃と感動を妹に語ることまでします。
この兄貴は、いつかケンタッキーフライドチキンの味を超えるほどのものを作りたいという夢までもっています。
書いた時は無意識だったのですが、推敲の段階で、この兄貴のケンタッキーフライドチキンへの愛は、私の愛を投影させたものだったと気が付きました。
ある日、郵便受けにチラシが。
なんと、自宅にケンタッキーフライドチキンを届けますという案内でした。
向こうからやってきてしまう。
なんと恐ろしいことでしょう。
と思うそばから顔がにやけてしまうのは、どうしてでしょうか。