大学生の頃、パーティーの臨時ウエイトレスを1回だけしたことがあります。
友人から誘われたのです。
その友人が口にした時給はとても良く、その場で現金払いだという話でした。
友人ら4、5人で指定されたホテルの控え室に行くと、女性社長が待ち構えていました。
そして私たちを頭の先から足の先までじろっとチェックし「ちゃんと化粧をして頂戴」と言いました。
その時私も含めて全員がメイクをしていたので「へ?」といった顔をしました。
その女性社長からすると私たちのメイクはダメだったようなのですが、だったらどうしたらいいのかわからず、皆途方に暮れました。
すると女性社長は持っているメイク道具をテーブルに出すよう言いました。
しばらくの間それらを眺めていた女性社長は、突如私の顔にチークを入れ始めました。
それから口紅も塗ると、隣の子の修正へと移っていきました。
私は女性社長の修正状況を探るべく、鏡を覗きました。
びっくり仰天。
おてもやんってこんな顔してなかった? といった仕上がりに。
頬の中央には真っ赤な円。
口も出血しているのではと見紛うほどの赤色で塗られています。
そうして私だけではなく友人たちの顔にも、真っ赤なチークと真っ赤な口紅が塗られていきました。
全員が「違くない?」といった表情をしていたのですが、追い立てられるようにパーティー会場へ。
立食パーティーでの私たちの仕事は、飲み物をグラスに入れて、それを盆に載せて配って歩くこと。
空いている皿を見つけたら片付けること。
バイキング式の料理を皿に取り分けて、それをお客さんに勧めること。
200人以上集まるパーティーで、自分はおてもやんになっていることも忘れ、必死で言われた仕事をしていました。
料理を盛った皿を手に歩いていると、着物姿の先輩ウエイトレスから声を掛けられました。
「お寿司と他の料理は同じお皿には載せないのよ」と注意されました。
すみませんと謝り急いで皿を分けながら、チークを大量に顔に塗るより、こういうことを教えておいてくれよと思いました。
そんな基本的なことさえ知らなかったのです。
小説「僕とおじさんの朝ごはん」では、ケータリング業の男が登場します。
依頼を受けてパーティーなどの料理を作るだけでなく、指定された場所で料理をサーブすることもあります。
そこは祝いの場であったり、お披露目の場だったりするのですが、そこに参加している人が皆同じ思いではない。
客たちは不満や不安を抱えていて、それぞれの事情がある。
ある特殊な効果があるという薬を持っていないかと、男は度々客に聞かれます。
ケータリング業の男は、そんな人たちを冷めた目で見ています。
そんな薬を欲しいと言う人たちを小馬鹿にしているのです。
でもやがてその薬と向き合わざるを得なくなります。
男の変化と、彼が出した答えを、皆さんに見ていただけたらと思います。
朝食はパンです。
砂糖を使わずに作ったというジャムを載せて食べます。
以前ホテルに泊まった時のこと。
宿泊者は館内にある1つのレストランで朝食を摂ります。
そこで和食にするか、洋食にするかを選びます。
私は洋食を選びました。
しばらくしてサラダが出てきました。
スープとジュースが運ばれてきて、その後に目玉焼きとベーコンを焼いたものが登場。
ウエイターが「トーストはただいま焼いておりますので、焼き上がり次第お持ちいたします」と言う。
私は頷き、すでにテーブルに並んでいるものを食べ続ける。
ところがどっこい。
待てど暮らせどトーストがやって来ない。
サラダは食べ終わりスープも飲み干してしまう。
目玉焼きとベーコンにいっちゃってもいいのか?
それがコースのルールとか?
いや、でもそうなると、平らげた後でトーストのみを齧るってことに。
和食のコースだと、ご飯は最後に漬物だけで食えといった感じで出されることがあり、敷居の高いお店では、おかずと一緒にご飯を食べさせてくれない場合があると知ってはいました。
ホテルの朝食のルールにも、そういった理不尽なものがあって、トーストは最後にそれだけで食えというのでしょうか。
それとも私がまだ寝惚けていて、ウエイターが言ったセリフを聞き違えたとか?
どうすっかなぁと思って辺りをキョロキョロと窺うと・・・隣のテーブルについている男性の二人客に気が付きました。
小声で言い合っています。
「トースト来るって言ってましたよね?」
「言ってたな」
「でもオカズ、食べ終わっちゃいますけど」
「だなぁ」
「トースト焼くの、こんなに時間掛かるもんですかね?」
「普通は掛からないだろう」
「トーストは最後にそれだけっていうのが、正式なものなんですか?」
「それ、ヤだな」
「はい」
と、私と同じようにトーストがなかなかやって来ないことに困っている模様。
結局私は目玉焼きとベーコンには手を付けず、それらが冷めていくのを残念な思いで見つめていました。
お預けされている時の犬の気持ちがよくわかった瞬間でした。
ようやくトーストがやって来たので、ベーコンを口に運んだら、すっかり冷えていて美味しく感じられませんでした。
この事態がルールによるものだったのか、それとも厨房スタッフが足りていなかったからなのか、わからないままです。
「僕とおじさんの朝ごはん」の単行本の装丁は、朝食の写真でした。
20日に発売された文庫では、朝食のイラストになっています。
美味しそうで力強いイラストで、皆さんの目には飛び込でんくるようなインパクトがあるのでは。
素敵な装丁にしていただきました。
タイトルや装丁で表現しているように、この小説では食がテーマの1つになっています。
食べること、食事を作ること、生きること・・・こうしたことに対して登場人物たちが葛藤する様を、見つめていただけたらと思っています。
何気なくキッチンの隅に目をやりました。
炊飯器の周りに水が溜まっている。
炊飯器の前でマグカップに水を入れたり、ちょっとした作業をしたりするので、その時に零れた水を放置していたせいだろうと思いました。
翌日また同じように炊飯器の前に水があるのを発見。
そこで、ふと気付く。
そういえばここ最近ご飯が美味しくなかった。
それは炊飯器が壊れていたからだということに。
すぐに気付けよって話なのですが、普段からご飯の味は日によって大いに違う。
内釜の目盛りに合わせてきちんと水を入れればいいのに、大体こんなもんだろうと誤差を許してしまう。
結果、毎回出来が違う。
なので、しばらくご飯が上手に炊けなくても「今回は水が多かったかな、ハハ」と笑って済ませてしまい、炊飯器の故障に気付くのが遅れた模様。
すぐに炊飯器を購入しようとネットで探し始めるも、迷宮に入りそうになる。
種類がたくさんあるし値段もバラバラ。
どの蘊蓄を信じればいいのかもわからない。
そしてゆっくり吟味している時間はない。
キッチンには黒色の物が多いので、まずは黒い炊飯器にしようと決める。
3合まで炊ければいいとし、無洗米を使うことが多いので、無洗米の炊飯メニューがある物の中で一番安いのにしました。
翌日の午前中に到着希望にして注文。
注文してから30分ほど経った頃。
もしかして私が手入れをしていなかったせいで、調子が悪かったのではとの疑念が浮かぶ。
明日やろう、今度やろうと思いながら放っておいた蒸気口の部品。
洗ってみることに。
洗剤を使って洗い、それでも取れない汚れは爪楊枝でほじほじ。
そして夕飯のために炊飯予約。
午後7時になって炊飯器の周囲をチェックすると・・・水が溜まっていない。
動揺する私。
やっちまったのか。
壊れていないのに壊れたと勘違いし、新しいのを買ってしまうという大失敗をやらかしたのか。
恐る恐る食べてみる。
不味い。
ベトベトしている。
やっぱり壊れているとわかりほっとする。
電化製品が壊れていて良かったと、心の底から安堵したのは生まれて初めて。
翌日届いた炊飯器。
取扱説明書を捲っている手が止まったのは、お手入れについて書かれたページ。
毎回使用後に内蓋と蒸気口を取り外し、洗うと書いてある。
さらに週に1度は水だけを入れてスイッチを押し、煮沸クリーニングをしろとある。
衝撃を受けてしばし固まる。
これまでの人生で、内蓋と蒸気口を毎回洗ったことなどなかったし、煮沸クリーニングという言葉については初めて知る。
初めてのことが続き言葉を失くす。
文庫「僕とおじさんの朝ごはん」には、ケータリング業を営む健一というオッサンが登場します。
私ほどではないにしろ、食のプロなのに手を抜くことに一生懸命。
テキトーに仕事をこなしています。
そんな健一が、いくつかの出会いといくつかの経験をしていくなかで、彼の料理が変わっていきます。
これまでの作品と比べて、料理や食事に関するシーンが多くなっています。
小説は言葉だけで表現するもの。
味を言葉だけで表すのは、実はとても難しくハードルは高い。
試行錯誤をしながら書きました。
健一の料理をまるで実際に味わったように感じて貰えたら、とても嬉しいです。
そうそう。言い忘れていました。
新しい炊飯器で炊いたご飯はとても美味しいです。
身体が硬いです。
これは昔からで、小学生の時には自覚していませんでしたが、中学生になった頃には、しっかりと自分の身体の硬さをわかっていました。
体育の授業での準備体操。
お尻を床に付けて足を左右に広げ、前屈しろと教師が言う。
やる。
全力でやる。
でも床は遠い。
傍目からは猫背の人が足元にあるリモコンを取ろうと手を伸ばしているけど、全然届かないといった具合に見えているのでは。
こうした時、教師がどこにいるかを常に把握していなくてはいけない。
教師が背後に迫って来たら、腰を捻ってみたり、解けていないのに靴紐を締め直したりする必要があるから。
うっかりして教師に気付かず、猫背でリモコンをしていた日にゃ、教師に背中をぐっと押されてしまうので。
戦でも体育の授業でも、背後を取られないようにするのが大事なのです。
たまにプロのカメラマンに撮影をしていただくことがあります。
プロは被写体に問題があっても、最善を尽くそうとします。
なので、膝はこっち方向へ、肩はこうして、顔はこっちへ向けて、でも視線はこっちに・・・みたいな無茶を言ってくる。
これまでの人生で、こんな姿勢をしたことがないのですが宜しいのでしょうかと、問うてみたくなるぐらいの体勢。
カメラマンの要望には全力で応えたいと思っています。
思ってはいるのですが私は身体が硬い。
苦しい体勢は顔に出る。
苦しいと思っているのに「笑って」と言われてしまうので、泣き笑いのような顔に。
もし妙な顔で写っている写真を見かけたら、苦しい体勢を取らされたのだなと思ってください。
文庫「僕とおじさんの朝ごはん」はすでにお読みいただいていたでしょうか?
主人公のオッサンが、少年と体操をするシーンがあります。
このオッサン、私とどっこいどっこいの身体の硬さのため、少年に呆れられながらも運動をします。
この二人がじゃれあう様子を描いている時は、ちょっと楽しい気持ちになりました。
こんな時間がずっと続くといいのにと思いながら、文章を積み重ねていきました。
その後二人が直面するのはとても難しいことで・・・興味をもたれましたら、ぜひ本を手にお取りくださいませ。