専門雑誌が大好きです。
全体としては雑誌の刊行部数は減っていると聞いていますが、そんな時代にあって頑張っている専門雑誌は結構あります。
その魅力に嵌ったのは小説の執筆のため。
登場人物の仕事や趣味に設定した世界を勉強するため、その専門雑誌を購入したのがきっかけでした。
専門雑誌の内容は・・・どれも濃いし熱い。
そこが今、沸騰しているところなんだぁとか、そこが壁なのかぁとか、様々なことを窺い知れて面白い。
こうした専門雑誌は、全ページを隅々まで読み込みます。
記事だけでなく広告ページも楽しいからです。
飲食店経営者向けの専門雑誌の広告では「今日入ったパートさんでも扱える」とのキャッチコピー付きで加工機械が紹介されていました。
盆栽の専門雑誌では「サツキに最適な土はこれに決まり」と言い切るキャッチコピーが。
読者の姿がはっきりと見えているからこその広告ページが多いのが特徴。
門外漢からするとそれらすべてが新鮮で楽しい。
鳥、鉄道、サイクリング、写真、犬、受験・・・様々な専門雑誌が未知の世界を教えてくれました。
ボウリングの専門雑誌では「誰か〇〇を止めてくれ」といった記事を発見。
同じページには西洋人に見える女性の写真が掲載されていますし、〇〇のところには女性っぽい名前が入っているので、その人のことを差している様子。
その写真は太腿ぐらいの太さをした二の腕で、ボウルを後ろに振り上げている瞬間のもの。
真剣で闘志を前面に出しているその姿は、ちょっと怖いぐらい。
記事を読まなくても、その人がぶっちぎりで勝ち続けているんだろうなというのが推察される。
こういうその世界におけるスーパーヒロイン、ヒーローを知るのも、専門雑誌の楽しみの一つです。
記事を読むと想像通りいくつもの大会で、考えられないぐらいの高得点で優勝し続けている模様。
完璧なフォームから繰り出されたボウルが、ストライクを積み重ねて優勝をもぎ取っていくらしい。
記事の最後に置かれた写真を見ると、表彰式の時のものなのか、ぶっちぎりヒロインが笑顔でトロフィーを掲げている。
幼子を泣かせるぐらいの迫力があった投球写真とは打って変わって、穏やかな笑みを浮かべている。
こうしたギャップっていいですよね。
私が大好きな専門雑誌もWEB化の傾向に。
未だに紙派の私としては、WEB化は致し方ないにしても、紙の形態も残して欲しいと思っているのですが。
昔、どんな車に乗っているかが、女性からのモテ度を左右するといった時代がありました。
「〇〇ちゃんの彼は、△△(車種)に乗ってるんだよー」「えー、すごーい」
といった会話が成立するほど、彼がどんな車に乗っているかが大事な要素だった時代です。
当時の自分を振り返ってみると、友人らに自慢できるような車の助手席に座って、ドライブを楽しんだ・・・なんて記憶はまったくない。
私が運転免許を取ったのは30歳の頃。
彼が運転する車の助手席に座って、という希望を捨てたんでしょうかね。
自分で稼いで買った車を、自ら運転するといった方向へ意識が変化したようです。
フリーライター時代には車で取材先に行くこともあり、オトボケな伝説を各地に残していました。
ところが小説を書くようになると、車で移動する機会が激減。
取材先に伺うといった時も、電車の方が時間を読めて便利。
そうなると駐車場代や車の維持費なんかが勿体ない気がして、手放すことに。
一度車のない生活をしてしまうと、なくても全然不便じゃないと気付き、もう一度という気にはなりませんでした。
そして最後に運転したのがいつだか思い出せないぐらいの、月日が流れました。
一応免許の更新は続けていますが、今、運転できる気は全然しません。
今後再び運転席に座ろうかなと思う日が来るとしたら、それは自動運転の進化が完璧なところに到達した時でしょうか。
初めて自動車の自動運転の開発が進んでいると聞いた時は「そんなまた」と、遣り過ごしましたが、進化は着実に進んでいるようですし。
初めてゆりかもめ線に乗った時の衝撃を、今でもはっきりと覚えています。
取材先が指定してきたのが、ゆりかもめ線のある駅前に建つ本社ビルでした。
なんの知識もなくひょいと乗車。
たまたま一両目の最前列に座る。
線路が高い位置にあり見晴らしがいい。
窓から見える景色に「おお」と感動。
景色を堪能した後でようやく気付く。
このようになんの遮蔽物もなく景色を見られるのは、運転席がないからだという事実に。
ないよ。運転席が。
もしかして最後車両だった? と振り返った時に、ドアが閉まるとアナウンス。
そして前方に動き出す。
運転手がいないのに走り出している。
思わず座席の手摺りを摑む。
自動運転なんだと理解したものの、不安は減らない。
運転手がいないというのに、動揺しているのは私だけ。
他の乗客は落ち着いている。
「ちょっとスピードが速過ぎるんじゃないですかね」と言いたいぐらいの速度で電車は走行。やがて減速。
そしてホームに滑らかに停車。
ドアが開いた時、思わず呟いたのは「すげぇ」という言葉でした。
私が知らない間に乗り物は進化を遂げていると、気付いた日でした。
こんな風に、ある日自動運転の車の運転席におっかなびっくり座り、「すげぇ」と呟く日も近いのかもしれませんね。
東京オリンピックのチケットの申し込みは出来ましたか?
私はなんとか済ませることが出来ました。
申し込みのサイトでは混雑が予想され、すんなりと申し込めるとは思っていませんでした。
しかしそんなことは、運営者側だって百も承知なはずで、なんらかの対応策が講じられているはずと思っていたのですが・・・。
申し込み開始の初日は恐らくとんでもなく混むと思ったので、逸る気持ちを抑えて我慢。
二日目にサイトにアクセス。
すると列に並んで待ってくれといった指示が。
待っている間は、そのページをずっと開いておくようにと書かれている。
その予想待ち時間は2時間。
パソコン画面の端にそのページを出しておき、それをチラチラ見ながら、執筆。
執筆に集中できるはずもない。
そして残り5分となったところでトイレに行き、心と身体のスタンバイを完了させ、歩き続けるイラストをじっと見つめる。
ほわぁんという気の抜けたような音がした後で、画面が変わる。
サイトにアクセス出来た模様。
チケット申し込みと書かれた場所をクリックすると・・・また待ちの画面になり、列に並んでくれと言ってくる。
今度はおよそ1時間だという。
準備してしまった心と身体を持て余す。
まぁ、なんらかの制限をしないと、全員がアクセス出来ないといった事態になりかねないので、こうした防御策も致し方ないんでしょうね。
1時間後にやっと申し込みのページに入れたので、すでに決めていた競技のチケットをカートに入れていく。
そして合計金額の欄を見てちょっと動揺する。
払えるのか? 多分、払うことは出来る。
少し減らす?
いやいや。オリンピックの自国開催などもう二度とない。
これぐらいの贅沢をしたって罰は当たらない。
仕事、頑張ろう。
と、考えたところで気が付く。
申し込んだチケットが全部当たるつもりでいることに。
そんな幸運が舞い込むとことはないでしょう。
毎週買っているミニロトだって、一度も当たったことがないのですから。
例え競技会場で応援は出来なくても、テレビ観戦で楽しむとしましょう。
競技によってはテレビの方が、わかり易いものもあるし。
と、今から当たらなかった時に、自分に言い聞かせる言葉を呟いてみるのでした。
ベランダに1羽の鳩を見かける。
あ、鳩だ。
といった程度の感想。
翌日、ベランダに2羽の鳩が。
ちょっと待って。
1羽だったら羽休めをしてるのかなと、スルーしてあげられるが、2羽ってことになると放ってはおけない。
「落ち着けるいい場所があるんだよ、そこ、行ってみる?」「いいね」などと、鳩界でちょっとした話題になっていたりしたら困る。
どうするか。
近付いて反撃に遭ったりはしたくない。
やはりある程度の距離を確保した上で、出てってよといった意思表示をしたい。
そこで床掃除用のワイパーを手に持つ。
これでぐいっと「押し出すよ」といったパフォーマンスをすれば、飛んで行ってくれるのではないかと考えたのです。
よしっ。
と自分に発破を掛けてから、ブラインドの紐を引っ張る。
ブラインドがジャジャジャと音をさせて上がっていく・・・と、鳩が慌てて飛び立ちました。
音にビビるんですね、鳩って。
なんだ。
窓を開ける前に出て行ってくれたと、ほっと胸を撫で下ろす。
それから数日後。
ベランダに1羽のカラスを発見。
うっそー。
なんだ、その威圧感というぐらいの迫力。
でもしかし私は知っている。
鳥は音にビビるということを。
そこでブラインドの紐を引っ張る。
ブラインドが上がっていく時にジャジャジャと音が出る。
が、カラスはびくともしない。
え?
しょうがないので何度もブラインドを上げ下げして、ジャジャジャを繰り返す。
だがカラスはじっと私を見つめ返してくるだけで、飛び立たない。
その視線は明らかに私をロックオンしていて「なんか文句あんのかよ」といった顔をしている。
ジャジャジャは鳩には有効でも、カラスには効かないみたい。
もしかして鳩界とカラス界は、提携でもしている?
先日私に脅された鳩が、カラス界の兄貴に相談したとか。
「脅されて、こっちはメンツ丸つぶれっすよ。兄貴、仕返しをしてください」と訴えたんでしょうか。
ジャジャジャが効かないとなると、当初考えた、床掃除用のワイパーで押し出すパフォーマンスをするしかないのですが・・・鳩には出来そうに思えたこの作戦でしたが、カラスには無理な気がする。
鳩より好戦的な顔つきなんですよね。
体も大きいし。
なんとなく鳩には勝てそうでも、カラスには負けそうな気がする。
床掃除用ワイパーよりもいい手はないかと考えてみましたが、思いつかず。
結局、カラスが我がベランダに飽きてくれるのを祈るという、最弱な方法を選択。
どうなったかというと・・・20分程でカラスは自分のきっかけで、どこかへ飛んで行きました。
良かった。
でもまた来たらどうしよう。
それまで無関心だったベランダに、ちらちらと視線を送るようになっています。