サッカーの日本代表は、来年のワールドカップのアジア最終予選を戦っています。
さてさて、どこのテレビ局で放送するのかなと番組表を見てみたら・・・ない。
まさかと思いながら調べてみたら、アウエー戦のテレビ放送はなく、有料の配信会社でしか見られないと判明。
こんな日がくるなんて。

この有料の配信会社の会員になれば、日本代表選を見られるのですが、1ヵ月無料のお試しが出来るようなので、日本戦を見るために入会し、その後お試し期間が終了する前にキャンセルするという手もあることにはある。
どうしようかなと思っているうちに、タイミングを逸してしまい、結局試合の観戦はしませんでした。
私は以前この有料の配信会社の会員でした。
サッカーのJ1のみならず、J2、J3の全試合が見られるというので入会しました。
が、なかなか時間の遣り繰りが出来ず、サッカー観戦三昧とはいきませんでした。
たまに見るといった程度。
なんだか会費が勿体ないような気がするけれど、他では見られないので、退会するまではしたくないような・・・と迷っているうちに、ズルズルと会費を引き落とされて続けていました。
そんな折、コロナが猛威を奮い出し、サッカーの試合がなくなったため退会。
こんな形で退会を決めることになろうとは、夢にも思っていませんでしたが、なにがあるかわからないもんです。
Jリーグが再開され、また入会するかどうか迷っているうちに今回の事態に直面。
今回の一件でも再入会のタイミングを逸したため、これからまた迷い続けることに。
1日は24時間。
これをどう使うかが問題だと、このブログでも何度か書いてきました。
本当にその通りで、どんな人生を過ごしたいのかによって、24時間の分配の仕方は変わるはず。
まずは睡眠。
しっかり確保。
次に仕事の時間。
人より時間が掛かる私は、人の何倍もの時間を仕事に振り分けないといけません。
次に雑事を処理する時間。
買い物に行ったり、食事を作ったり、掃除をしたりする時間。
これに読書や映画鑑賞の時間も確保したい。
囲碁を勉強する時間も。
なんてことをしていると24時間キッチキチ。
日本代表戦ならば回数が多くないので、万障繰り合わせて観戦できますが、週に2回のJリーグの試合となると、時間の遣り繰りが難しくなります。
どこかに時間の無駄はないのか、まずはその検討から始めないといけない模様。
大切な時間について、ちゃんと考えるいい機会かもしれません。
以前住んでいた部屋からはスーパーが遠かった。
このためネットスーパーを利用していました。
引越してみたら歩いて5分の所にスーパーが。
リアルな、そのスーパーに行くようになりました。

が、荷物が重い。
これは大問題です。
そこでショッピングカートを買おうとネットで検索。
色々あり過ぎて選ぶのに難儀していました。
そんな時、よく知っているブランドで、ショッピングカートを売っているのを発見。
他では花柄などが多い中、そこでは黒の無地になっている。
またぺったんこに折り畳み出来るタイプ。
バッグの中に入れてスーパーに行き、レジを済ませたら、そのショッピングカートを開けばいいので、買い物中に邪魔にならないという優れもの。
しかも他が3980円から1万円を超えるぐらいの価格帯のところ、この品は1980円。
他の最低価格より2千円も安い。
決めた。
購入し早速使ってみると・・・やけに車輪の回転音が大きい。
ショッピングカートって、こんなに煩いもんでしたっけと聞きたい感じ。
ガラガラと大きな音をさせながらショッピングカートを引っ張っていると、他のショッピングカートを使っている人とすれ違う。
こっちはガラガラと音をさせているのに、向こうはほとんど無音。
ってことは、歩道のせいじゃない。
マンションに入り、エントランスホールを歩き出したら、ショッピングカートの音がそれまで以上に大きく響く。
天井や壁に囲まれているため音が反響し、またこもるせいでしょう。
どうしようと思うほどの大音量。
エレベーターに乗り部屋のあるフロアへ。
エレベーターを降りて共有廊下を歩き出したら・・・やっぱり物凄い大きな音が。
私の部屋は共有廊下の突き当り。
たくさんの部屋の前を歩き続けなくてはならないのに、こんなに大きな音をさせたら、大顰蹙間違いなし。
仕方がないのでショッピングカートを両手で持ち上げて、よろよろと歩く。
ショッピングカートに任せたい、たった一つの仕事であるはずの、重い荷物を持ち運ぶという作業を自らするはめに。
買った物だけでなく、車輪の重さの分が増えてるし。
なんだかなぁと思いながらも、こんな風にマンションの敷地内では、車輪を動かさずに自分で持ち運んで使っていたのですが、やっぱりこれはおかしいと判断し、買ったばかりではありましたが、別の物を購入し直すことに。
ネットの検索窓に、静音という単語を加えて調べてみました。
走行時の音のデシベルが書かれているようなショップはなかったので、あくまでも販売店が商品説明のページで、静音という言葉を使っているかどうかだけの、判断基準ではありますが。
また選ぶ基準に、スーパーのカートに引っ掛けられるかどうかを加えました。
そしてスーパーのカートに、引っ掛けられるフックが付いているものを選びました。
買い物をしている時に、スーパーのカートと自分のショッピングカートの2台持ちは、結構大変だろうと考えたためです。
そして購入。
届いたショッピングカートを引っ張ってみたら・・・静か。
そうよ、そうでしょ、フツーはこれぐらいの音よね、と大満足。
でも私のことだから、スーパーのカートに引っ掛けようと思ったら、引っ掛からなかったってオチがあるんじゃないかと、ドキドキしながらスーパーへ。
引っ掛かりました。
よし。
心の中でガッツポーズ。
結局、最初に買った品は、無用の長物となりまして、安物買いの銭失いの典型的なパターンとなりました。
夜、明日の夕食は煮魚にしようと、メニューを決める。
決めたらすぐに昆布の水だしの準備をしておくべきでしたが、忘れました。

思い出したのは翌日の午後3時。
あっ、だし取るの忘れてたと気付く。
何故このタイミングで思い出したのかは、まったくわかりませんが、とにかく思い出しました。
このようにだしの用意をし忘れていた場合、どう対処するべきか。
メニューを変更したいところですが、カレイは昨晩のうちに冷凍庫から冷蔵庫へ移してあり、解凍済み。
カレイを煮る以外の調理法は思い付かない。
簡単な顆粒だしは我が家になし。
それだけを買いに出るのはメンドー。
人生は完璧じゃない。
と、気持ちを切り替えてカップに水を入れ、そこに昆布を投入。
昆布の水だしの準備をしました。
夕食まで4時間程度しかありませんが、ないよりはマシだろうと判断したのです。
4時間後にだしの状態を見てみると、昆布はいつものように大きくふやけていますが、色が無色。
大丈夫? と思いましたが、どうにも出来ないので、それを使ってカレイを煮てみました。
食べてみたら・・・あぁ、不味い。
しみじみと呟くほど不味かった。
醤油の味しかしない。
だしってやっぱり味の決め手なんだなと痛感。
こんな時のために、顆粒だしを買っておくべきかも。
メンドー臭がりの私が、なぜ顆粒だしを使わないのか・・・これは私自身も不思議に思っています。
幼い頃、鰹節を削るのは私の役目でした。
台所から母が「まだ?」と言ってくる。
幼い私は急かさないでよと思いながら、必死で削る。
この光景が脳に刻まれてしまったのでしょうか。
その後顆粒だしという画期的な商品が登場すると、母はあっさりとそちらに鞍替えしたのですが、それは邪道であると、子ども心に思っていたのかも。
独り暮らしを始めた当初は顆粒だしを使っていましたが、やがて他のことはテキトーでも、だしだけはちゃんと取りたいとの思いに。
そうはいっても、ちゃんと取るのは大変なので、小袋に鰹節などが入っただしパックを愛用していました。
この場合、鍋に水を入れてだしパックを投入し、火に掛けます。
沸騰してから5分でだしが完成します。
年を重ねるうちに、この5分が待てなくなりました。
その間に野菜でも切ってりゃいいじゃないかって話ですが、入れる予定の野菜は、スーパーで買ったカット済みのものだったりして、封を開ければいいだけなので5分も掛からない。
そうなるとこの5分の待ち時間を、えらく長く感じてしまう。
そこで昆布の水だしを使うようになったのです。
前日にカップの水に昆布を入れて、冷蔵庫に置いておけば、それでいいというお手軽さをいたく気に入っていたのですが・・・それを忘れちゃダメですね。
「服が欲しい欲しい」という時期と、「今、服に興味なし」の時期が交互にやってきます。
今年は「今、服に興味なし」の時期が続いていました。
引越しを検討していたため、物を増やしたくないとの気持ちが強く、買うという行為に消極的でした。
むしろ捨てる方に力を注いでいました。
そして引越し後は70箱もの段ボールの中の荷物を、どう収納していくのかに全力を注ぐことに。
収納棚を購入するためサイズを測り、ネットで調べて購入し、組み立て作業を代行してくれる便利屋さんを調べて依頼して・・・なんてことを、あたふたと、こなしていく日々。
服を購入する気持ちにはなりえませんでした。
コロナ過でもあり人と直接会うことが激減していたのも、服への関心を薄めていた要因に。
が、徐々に人と直接会う機会が増えてきて・・・「服が欲しい欲しい」時期に入ってしまいそうな予感が。
そんな折動画サイトで、ミニマリストのクローゼットの中を見ました。
へ? そんだけ? と思わず声が出る。
5着ぐらいしかない。
それで1年分だという。
憧れます。
そこまで思い切れたら、シンプルで気持ちの良い毎日を過ごせそう。

取材などで写真を撮られ、それがどこかの媒体で掲載される場合があります。
こんな時はスタイリストさんがつくはずもなく、私服になります。
どうするって話です。
クローゼットをごそごそやって、顔写りがよさそうで、ちゃんとしているように見えそうなのを探します。
こっちの方がいいか、いや、これは前に別の媒体の時に着てしまったから、こっちに。
いや、ちょっと地味過ぎるか・・・なんて、他の人にとっちゃ、どうでもいいことで、あれこれ迷う。
「誰もあんたの服にも、顔にも興味ないから」と友人らは言いますが、なかなか達観出来ない。
もし服が5着しかなかったら。
この迷う時間はなくなるような気がします。
「どれにしようかな、なのなのな」で決めてしまえるかも。
買うこと、所有することが是とされていた、バブルの時代を経験した身としては、ミニマリストになる道は遠く険しそう。
「服が欲しい欲しい」時期がやって来そうで、お尻のあたりがムズムズしている今。
ミニマリストの動画を見て、気持ちを抑えようと考えています。
服への関心が薄く、とんでもない柄のパジャマを着る姉ちゃんが登場する小説は「僕は金(きん)になる」です。
是非ご一読を。