メロンは私にとって、憧れの果物でした。
高価でしたから、滅多なことでは口にできないフルーツだったのです。

小学生時代のある日、近所に住む、男の子の家に遊びに行ったところ、オヤツが私にも振舞われました。
それが、な、なんと、メロンでした。
私は「今日、誕生日なの?」と男の子に尋ねます。
すると、「なんで? 違うよ」との答え。
なんでもない日に、メロンを食べる家があるということに、びっくり仰天した私は、家に帰ると、すぐに祖母に報告しました。
当時の私は、多くの時間を、祖母の家で、二人っきりで過ごしていました。
興奮気味の私が、オヤツにメロンが出たと話すと、ソリティアをしていた祖母は、トランプの手を止め、「そりゃあ、大金持ちだね」と、一緒に感動してくれました。
そんな時、国語の授業で、作文を書かされました。
どんなテーマを指定されたのか、もう覚えていないのですが、私はその衝撃的大事件を原稿用紙に綴りました。
授業参観の日になりました。
先生が、「この間、書いてもらった作文の中から、よくできたものを、皆の前で読んでもらいます」と宣言し、私の名が呼ばれました。
私は、背後にいるであろう母の視線を意識しながら、よくできたと言われた作文を読みだします。
フツーの日に、オヤツがメロンだった衝撃。しかもそれは、繊細なガラスの器にのっていたこと。しかも、食べ易いように、カットされていたこと。自分の家では、メロンは、特別な日に、各自が先割れスプーンで、掘って、掘って、掘りまくって食べること。穴が開きそうなほど、掘り進むと、きゅうりと同じような匂いがすること・・・。
読み終わると、教室には大きな拍手が。
どうよってな思いで、鼻高々で、振り返ると、鬼の形相をした母が。
あれっ?
なんで?
てっきり喜んでくれていると思った母は、間違いなく怒った顔をしていました。
自宅に戻ると、なんであんな作文を書いたのかと、母にこっぴどく叱られました。
うちがビンボーだということが、クラス中に知れ渡ってしまった。明日には、学年中に知れ渡るだろう。明後日には学校中に知れ渡ってしまう。あんな恥ずかしいことを、人前で話すもんじゃないし、書くもんじゃない・・・。
これが、母の言い分でした。
そうか、うちは、ビンボーだったのか、と初めて現実を知らされた、出来事となりました。
その後、生活環境が劇的に好転するということもなかったため、メロンへの憧れは、ずっと続き、現在も、その存在は特別です。
アイス、ジュース、スイートなどで、味を選択するシチュエーションは結構あります。
メロン、ストリベリー、バナナ、抹茶・・・こういった中から、味を1つ選ぶ時、私は決まって、メロンを選んでしまいます。幼い頃に沁みついてしまった、メロンへの憧れが、そうさせてしまうようです。
それにしても・・・授業参観で、私の作文を選んだ、教師の判断って、どうよ? との思いが胸を離れません。
睡眠時間はたっぷり取るようにしています。
フリーライター時代、この睡眠時間を確保するのが、とても大変でした。
特に、週刊情報雑誌の仕事をしていた頃は、寝られない状況に、よく追い込まれていました。
たとえば・・・
午前10時から、6軒のラーメン屋を取材して歩き、午後6時に帰宅。
すでに、ここでへろへろなのですが、ここから執筆作業に入ります。
先週、すでに取材を終えていた店の原稿を書き始めるのです。
編集者とメールやFAXで原稿のやり取りをしながら、作業を進めていきます。
書いては、直し、書いては、直し、の繰り返しです。
締め切りは、朝の6時。
この時間は絶対厳守なので、午前4時を過ぎる頃には、切羽詰まった感が半端じゃなくなり、私も編集者も人格が崩壊していることがよくありました。
そして、なんとか、午前6時の締め切りに間に合わせ、ほっとひと息。
すでに、朝の光がカーテンの隙間から、ワンルームマンションに射し込んでいます。
その細い光を、呆けたように見つめていると、FAXの受信音が。
今日の取材予定表が流れてきました。
覗き込むと、1軒目の訪問時間は、午前11時となっています。
おっ、少し眠れるぞと、喜んでいると、訪問場所の欄には、長野県北佐久郡軽井沢町の文字が。
東京から軽井沢に午前11時までに行っとけという指示。
私の睡眠には、まったく興味のないといった態度。
その場で力尽きそうになってしまいました。

こんなことが、日常的に繰り返されていましたので、たまに、なんらかの事情で、取材がキャンセルになったりすると、寝られるぜっと、ガッツポーズを取るように。
体力がないと、できない仕事でした。
この頃の経験は、深く胸に刻まれ、二度とこんな目には遭いたくない私は、ゆとりをもったスケジュールを組むようになりました。
お陰で、現在は「この前、いつ寝たっけ?」といった自問自答をしなくても済んでいます。
文庫「WE LOVE ジジイ」が発売になりました。
装丁の、マジメ可笑しいイラストが、結構気に入っています。

文庫発売にあたっては、改めて原稿のチェック作業をします。
執筆したのは、およそ4年も前のこと。
当時の気持ちに戻るのは、大変です。
では、どうするか――。
私は、音楽の力を借りることにしています。
1つの小説には、1枚の音楽CD(アルバム)を決めて、執筆する際には、永遠に聞き続けます。
毎日、毎日、同じ音楽CDを、半年近くも聞き続けるのですから、作品世界の中に、音楽の記憶もしっかりと刻まれます。
文庫の原稿をデスクに置き、まずするのは、執筆当時に聞いていた音楽CDをかけること。
たちまち、記憶が刺激され、作品世界へすんなりと入っていくことができます。
登場人物たちは、皆、私が創り出したもの。ですが、彼らに魂を吹き込む作業をしているうちに、私の思惑とは違う、独自の個性をまとっていきます。
書き進めていくうちに、いつしか、登場人物たちは勝手に動きだし、私はそれを見失わないよう、必死で追いかけるといった状態になります。
そして、時には、そんな人だとは思わなかったよと、登場人物に呆れたり、時には、しっかりしなさいと叱ったり・・・。
こうして、書き終えた時には、登場人物たちとは、知り合いのような感覚になっています。
4年ぶりに、音楽CDを聞きながら、「WE LOVE ジジイ」の登場人物たちと再会しました。
皆、元気そうで、安心しました。
地域活性化を目指し、町おこしに奮闘するマー坊。
胃の調子が悪い、岸川。
商売熱心な、きよバア。
口数が少な過ぎる、しげジイ。
緊張しいの、亀ジイ。
久しぶりに皆と会えて、ちょっと嬉しくなりました。
彼らと会ってみたいと思われた方がいらっしゃいましたら、文庫「WE LOVE ジジイ」をお手にお取り下さい。
小学生の頃、超肥満児でした。
見るに見かねた親が、痩せさせようと決心し、私を近所の児童館へ。
気がつくと、そこで活動中の卓球クラブに入部させられていました。
私本人への意志確認は一切なしに。
以降、毎週土曜日の午後、卓球をするはめに。

そこは、中学生が中心で、小学生もいましたが、五、六年生がほとんどで、四年生の私は一番下。さらに、男子ばかりのクラブで、女子は私を含めて三人ほど。
なんだ、このデブといった視線を全身に感じながらの、初練習。
もう二度と来ないと誓ったものの、翌週も親に引き摺られるように、児童館へ。
ちっとも楽しくない練習を、なんとかこなして終了。
翌週には、また親に無理矢理連れられて・・・といった繰り返しでした。
3ヵ月ほど経った、ある時、男性コーチが、順番待ちをしていた私に向けて怒りだしました。
「ほかの人が練習しているのを、ちゃんと見ていなければいけない。やる気がないなら、帰れ」と。
うそっ。
帰ってもいいの?
ラッキー。
そう言ってくれるのを、待ってましたとばかりに、更衣室に向かおうとする私。
やる気なんて、ありませんから、こういう時の行動は、抜群にはやいのです。
すると、背後からコーチの声が追って来ました。
「階段3往復だ」
えっ? と仰天した私は、足を止めて、振り返りました。
コーチからは「3往復したら、戻って来い」との再びの指示が。
あまりにはやい、前言撤回。
今、帰れって言ったじゃない。
帰れると、一瞬でも夢をみてしまった分、がっかり具合はハンパじゃありません。
肩を落として、フロアの端にある階段へ。
練習していたのは6階。そこから1階までダッシュで階段を下り、ダッシュで上るというのは、一番嫌いな練習でした。
それを、3往復しろというのです。
デブにとって、階段の上り下りが、どんだけしんどいか、スレンダーなコーチには、決してわかっていただけないでしょう。
ゆっくり下り始めましたが、4階で、もう心臓は破裂しそうに。
ちょっくら休むかと、踊り場の窓から、外を眺めます。
徐々に、心拍数は落ち着いていきましたが、もう階段を上り下りする気持ちは、消え失せていました。
ぼんやりと、外の景色を眺めながら、思い通りにならない自分の人生について憂える、小学四年生が、そこにいました。
デブが3往復するとしたら、だいたいこれぐらいだろという時間を見計らって、6階に戻ると、コーチにすぐに台につくよう命じられました。
当時は、外を眺めて時間を潰したことなど、コーチにバレていないと思っていたので、澄ました顔で、練習を再開しましたが、今、考えてみると・・・完全にバレてましたね。
デブが階段を3往復もしたら、瀕死状態になっているはずなんですから。
あの、コーチ、見逃してくれたんだな、と思うと、なんだかにやっとしてしまいます。