サイン帳

  • 2019年10月17日

実家に残っていた私の物を整理していた時のこと。
サイン帳を発見。
高校を卒業した時に、クラスメイトたちに書いて貰ったものでした。
当時はA5サイズほどのバインダーが売られていて、それをサイン帳と呼んでいました。
それには無地のカードが付いていました。

卒業の1ヵ月ほど前に、その紙をクラスメイトたちに1枚ずつ配って歩くのです。
そして「私への最後のメッセージをこれに書いて」と頼むのです。
そうして書いてくれたものをサイン帳に綴じて、1冊の卒業記念ブックとしました。

書いて貰うかわりに、こちらも書かなくてはなりません。
クラスメイト一人ひとりに向けて、思い出などを書いたもんです。

30年以上経ってそれをパラパラと捲ってみたら・・・私の過去がそこかしこで披露されている。
私へのメッセージなので、当然私がらみのエピソードが書かれているのですが、それがどれも酷い。
まだ親しくない頃に突然私が歌い出したとか、いつも2限目の後の休憩時間に早弁してたよねとか、売店の女性販売員の一人が、計算が不得意だと発見した私が、わざとお釣りの計算が難しくなるような支払い方をして、小銭を儲けていたとか。
これは本当に私のことなのか? と何度も思う。
しかしながらカードの冒頭には、しっかりと私の名前が入っている。
とういうことは、やはりどれも私がやってきたことなのでしょう。

恥ずかしいを通り越して不思議。
自分ではなく、ちょっとおかしな女の子の話を聞かされているかのよう。

そして今朝のこと。
中指に巻かれた絆創膏に気が付き、びっくり仰天する。
ざっくりと切ってしまったのは、一昨日の掃除中でした。
ブラインドと接触させてしまい、結構な量の出血。
すぐに患部を絆創膏で覆いました。
そして水仕事をする度に、絆創膏を新しいものと交換していました。
そして今朝、何気なく中指に目を留めたのです。
前夜、寝る前に巻いた絆創膏を。
でも。
怪我をしたのは人差し指なのです。
隣の中指に絆創膏を巻いてどないすんねん、お前。
と、さすがに大きな声で自分にツッコミました。
中指の隣の人差し指は、まだ生々しい傷跡を見せている。
絆創膏をする時に見なかったのか、隣の指を? と己に問いたい。
ドジというレベルを超えている。

そしてようやく、自分はちょっとおかしな人なのだということを、受け入れる時期なのだと悟る。

高校生の頃からやらかしてきたことを思えば、性質なのでしょう。
そしてこれからもずっとそうなんでしょう。
自分を受け入れて頑張って生きていかねば、と思いました。

思い付く

  • 2019年10月14日

そのアイデアはどこから?
と、よく聞かれます。
そんな時には「なんとなく、ふと、思い付いたんです」と答えます。
そうとしか言えないのです。

ただ思い付くタイミングには傾向があります。
なにかしている時が多いのです。
キュウリを刻んでいる時とか、洗濯洗剤をボトルからキャップに移している時などです。
難しいことを考えている時ではなく、なにかをしているんだけれど、それはとても慣れている行為なので、脳をそれほど使っていない・・・なんて時。
こういう設定はどうだろうとか、こういうストーリーは? などと思い付くのです。

こうしたことは風邪を引いたとか、頭痛がするといった体調不良の時には、一切起こらない。
体調が万全でないと脳は動かないんでしょうかね。

映画を観ている時の脳は、またちょっと違う動きをするように感じます。
これは映像だから出来る表現なんだよなとか、これをテキストで表現するのは至難の業とか、今のセリフ、いいなぁとか。
映画作品そのものを楽しみながらも、ヒント集を見ているような感覚があります。
勉強しているといった感覚に近いのです。

これが他の方の小説を読んでいる時には、一切起こらない。
いち読者となってただひたすら読むだけ。
この表現はどうだとか、この設定に無理はないかとか全然考えない。
その作品世界に没入するだけ。
読み終わって「面白かった」「イマイチ」といった感想はもちますが、あのシーンは参考にしたいとか、あのセリフは真似したいなんて思わない。
なんでですかねぇ。
不思議です。

それでもちゃんと好きな作家というのはいます。
どういうところが好きなのかとか、作品の感想とかはペラペラ喋れます。
ただそれはあくまでも、いちファンとしてのもの。
同業者なのだから、そこからなにか盗めよと思ったりもするのですが、全然盗む気にはならないようなのです。

ただ自覚はなくても、影響はしっかりと受けているようです。
私の原稿に対して、校正者が誤りや文章の歪みなどを、チェックしてくれるのですが、時々「この表現でOK? 翻訳小説のような語順?」と書かれていることがあります。
あ、そうなんだ。
と、指摘されて初めて気が付きます。
これは翻訳小説を読むことが多く、そうした文章に慣れているので、つい使ってしまうのでしょう。

スポーツ観戦三昧で忙しい

  • 2019年10月10日

今秋はスポーツ三昧ですね。
まずはやはりラグビーでしょうか。
日本、頑張ってますねぇ。
にわかファンなもんで選手の活躍だけではなく、いろんなことが気になる。

例えば審判がメッチャ喋ることとか。
他の競技もメッチャ喋っているのかもしれませんが、テレビ観戦している者には聞こえない。
それがラグビーだと、マイクが音声を拾って聞こえてくる。
なにを言ってるのかは、日本語ではないのでわからないのですが、審判がペラペラ喋るのを、3倍くらいの体格をした選手が大人しく聞いている姿が、ちょっと可愛い。
熱くなって、審判に食って掛かるようなことはしないんですね。
黙って大人しく聞いちゃう。

それとトライの後や、ペナルティがあった後に、物凄く高い2本の棒の間にボールを蹴る時、チームメイトたちが固唾を呑んで見守らない。
他の競技でそのようなタイミングがあれば、仲間同士で肩を組んだり、祈ったりといったことをしそうな気がするんです。
でもラグビーでは「そっちはよろしくね」ってな感じで背中を向けちゃって、ボールを蹴る選手を1人にしちゃう。
そこはいいの? 連帯感的には? と思ってしまいます。

日本選手の活躍はラグビーだけじゃない。
世界陸上では男子400メートルリレーで、日本がアジア新記録で銅メダル。
小学生の運動会の時でもリレーは盛り上がる。
クラスの代表としてではなく、日本の代表として走っている訳ですから、選手たちのプレッシャーたるやいかにと想像しますが、きっちりと結果を残すところがさすがです。
スタート前の集中している顔から、喜びと安堵感でいっぱいといった顔に変わる瞬間に、胸キュンです。

この他にも男子バレーボールの結果や、ロシアのフィギュアスケートの女子選手が、4回転を4回成功させたという、超新星登場のニュースをチェックして、勝つことの困難さに思いを馳せたりして、毎日が気忙しい。

頑張っても、求めているものを得られる人はごく僅か。
それでも頑張り続ける姿は観ている私たちの胸を打ちます。
おじさんたちが頑張る小説「たそがれダンサーズ」を読んだ人が、スポーツ観戦の後のように、報われなくても、苦労があっても、失うものが多くても、それでも人生は素晴らしいと感じて貰えたら、とても嬉しいです。

快適な温度

  • 2019年10月07日

この時期、自宅を快適な室温にするのに苦心します。

朝はまぁまぁいい感じ。
これぐらいで1日が過ぎてくれたらいいなと思う程度の気温。
さて仕事をとパソコンに向かい出すと暑い。
そでこエアコンの冷房ボタンを押す。
やがて足先が冷えて来る。
靴下をはくのですが足先は暖かくならないので、ブーツ型の湯たんぽに足を突っ込む。
しばらくすると暑くなる。
で、ブーツ型の湯たんぽから足を引っこ抜く。
それでもまだ暑いので靴下を脱ぐ。
するとまた足先が冷えて来る。
エアコンを止める。
少しすると暑くなって冷房ボタンを押す。
このループを延々と繰り返しています。
どこが問題なんでしょうか?

エアコンの室温設定を上げたり、下げたりはしてみました。
現在設定している気温を1度上げると、エアコンは運転を自動で止めてしまいますし、下げるとループのスピードがアップするだけ。

皆さんはどうやって調整しているのでしょう。

こうした室温調整が難しい時期のせいかどうかはわかりませんが、私の周囲では風邪を引く人が結構増えています。
5人で集まる食事会が風邪で2人が欠席となり、3人になりました。
年を重ねると体力が落ちるのか、風邪が長引く傾向にあるような気がします。

3人となった食事会で、それぞれの風邪対策が披露されました。
A子はちょっと身体がだるいなと感じると、それを風邪の前段階の合図だと捉えて、半身浴をして汗を掻くようにしているそうです。
B子は映画のDVDを観ながらポテトチップスを食べると言います。
なんじゃそれと当然ツッコミました。
以前その方法で引き始めていた風邪が治ったことがあったそうで、以来ちょっと熱っぽいなとか、咳が出て来たななんて時には、これをするんだとか。
「そんなんで、治るんかい?」と聞いたら、「不思議なんだけど風邪を撃退できるのよ」と答えてニヤリとしました。
鰯の頭も信心からですね。

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