祭り
- 2011年09月26日
子どもの頃、祭りと言えば、楽しいものでした。
私の地元では、毎年9月に行われていました。普段は静かな町が、この時期には、一変します。興奮しているような、ざわついているような・・・そんな、浮ついた町に変わります。
子どもの私が参加できたのは、山車を引くぐらいでした。
山車から伸びた縄を掴んだ子どもたちは、ダラダラと町内を練り歩きます。一回で、だいたい4、50人ほどの子どもが、縄を掴んでいました。最後まで歩き通すと、ご褒美が貰えました。お菓子やら梨やら、ジュースやら、子どもの喜ぶものがぎゅうぎゅうに詰め込まれた、30センチ四方程度のビニール袋が、1人に1個配られたのです。当時の子どもたちは目をきらきらさせて、その袋を受け取っていました。もちろん、私もその1人でした。
私が住んでいた2丁目は、ほかの町より商店が多かったせいで、このご褒美の量と質が良いと評判で、よその町から遠征してくる子どもが大勢出没するほどでした。
それから、リンゴ飴。
私はこれが大好きで、祭りの時、屋台で、親に必ず買って貰うのですが、いかんせん、子どもにはハードルが高いものでした。今は随分と小ぶりのリンゴを使っているようですが、当時は、家族で分け合って食べるようなビッグサイズのリンゴが使われていました。
まず、リンゴをコーティングしている飴をひたすら舐め続けるのですが、キャンディーのように舐め易くなっているわけではないので、結構な難儀を強いられます。さらに、リンゴは大きく、子どもにとっては、手に持っているだけでも、しんどくなってきます。その肉体的な困難にも負けず、辛抱強く何十分も舐め続け、ようやくリンゴの皮に到達し、ガブリとひと口。
子どもの私は、この時点で達成感を覚えてしまいます。
そして、ご馳走さまをしてしまうのです。
祭りの翌日、居間のテーブルに、皿にのせられたリンゴ飴がぽつんと置いてあるのを発見します。割り箸は刺さったままです。
「食べちゃいなさいよ」「うん」「去年も、ひと口だけだったじゃない」「うん」「もったいないじゃない」「うん」
という会話を毎年母と繰り返す・・・これまで含めて、祭りの思い出です。
こうした町のイベントに参加するのも小学生まででした。中学生になると、「私はいいよ」と言って、町の祭りには参加しなくなりました。今になると、なにがいいんだか一向にわからないのですが、わくわくして貰っていたビニール袋に、魅力を感じなくなったのかもれしません。
高校生になったある日。
クラスメートの噂話が聞こえてきました。
○○ちゃん、昨日のお祭りで、女神輿担いで、肩の皮がぺろりと剥けちゃったんだって。
す、すごい。
驚いた私は、そのクラスメートの姿を教室で探しました。
彼女は、前方の席にいて、セーラー服姿で肩をぐりぐりと回していました。
普段、特別江戸っ子風だとか、きっぷがいい人だとか思ったこともない、ごく普通の同級生でした。
私は急いで彼女に近づき、噂話の真偽のほどを確かめました。
すると、「そう。毎年ね、皮が剥けちゃうの。もっと続けると、そのうちに、剥けなくなるらしんだけどね」と彼女はさらりと答えました。
格好いい――。しかも、大人。
その時、同級生がやけに眩しく感じられたことを覚えています。
そして、私が知っていた祭りとは違う祭りがあるのだと、初めて知った瞬間でもありました。