ティファニー
- 2011年10月10日
おっ。
ティファニーか。
張り込んだのう。
友人の結婚式に出席した私は、引き出物の袋を見て、そう呟きました。
自宅に戻り、ティファニーの包装を丁寧に解きます。
中からはグラスが2個。
も、もしや、と思い、慌ててグラスの底を検めましたが、結婚した二人の名前が彫られているということはなく、ほっと胸を撫で下ろしました。
手にすると、ずしりとくる重厚感。でも、口を付けるところはとても薄く、そのバランスが絶妙です。
大変素晴らしいグラスなのですが、根が貧乏性の私は、割ってしまったら勿体ないと思ってしまい、日常使いすることは憚られます。ここぞという時に使おうと、箱に納め直し、キッチンの戸棚に仕舞ってしまいました。その後、ここぞという時は訪れず、ずっと戸棚の中。
すっかり、その存在を忘れていたのですが、引っ越しの際に、久しぶりにティファニーの水色の箱を見て、このグラスを思い出しました。
グラスの存在を忘れていた間の幾年月。
貧乏性の性格は変わらぬままですが、ここぞという時は訪れないという現実を、受け入れるほどには成長していました。
今では、夏場の来客時に、ガンガン使うようになっています。
ところが、先日です。
洗い終わったこのグラスを棚に仕舞おうとした際、その棚の扉にグラスをぶつけてしまい、割ってしまいました。
通常、グラス製品などは、うっかり落として・・・というのが、破損理由だと思います。
ですが、この時は、仕舞おうとしている棚の扉に自らグラスをぶつけるという、自滅型の破損でした。
残念ながら、私はこれをよくやります。
たとえば、ドアを引いて開けて、向こう側に出るといったシチュエーションは、私にとっては大変危険です。
なにか考え事をしていたりすると、脳がドアを引くために用意した時間と、実際に手がドアを引く時間が合わなくなります。つまり、脳では、もうとっくにドアは開け放たれているだろうと考えていても、実際は手の動きが遅く、まだ開ききっていないといった事態になるのです。脳ではもう開いていると思っていますから、足を出して、歩けと次の指令を出してしまいます。こうなると、どうなるか。
ドアを自ら身体に引き寄せながら、そのドアに向かってぶつかっていくという、呆れるばかりのことをしでかします。
グラスの時も、そうでした。
なにか別のことを考えていたのでしょう。
まだ左手が扉を開け切っていないのに、脳がグラスを棚に並べるという次の指令を右手に出してしまったのです。このため、左手で扉をこちらに開きながら、その扉にむかって右手のグラスをぶつけるという、妙ちきりんなヘマをしでかしたのです。
直せるものなら、直したいと思う欠点は、たくさんありますが、その筆頭に上げられるのが、この、自滅行為です。
いろんな意味で「イタイ」ですから。
そして、グラスは1個になってしまいました。
これでは、来客時に使うこともできそうにありません。
また、棚の中に仕舞いこむことになりそうです。