卓球
- 2011年12月08日
小学生の頃、超肥満児でした。
見るに見かねた親が、痩せさせようと決心し、私を近所の児童館へ。
気がつくと、そこで活動中の卓球クラブに入部させられていました。
私本人への意志確認は一切なしに。
以降、毎週土曜日の午後、卓球をするはめに。
そこは、中学生が中心で、小学生もいましたが、五、六年生がほとんどで、四年生の私は一番下。さらに、男子ばかりのクラブで、女子は私を含めて三人ほど。
なんだ、このデブといった視線を全身に感じながらの、初練習。
もう二度と来ないと誓ったものの、翌週も親に引き摺られるように、児童館へ。
ちっとも楽しくない練習を、なんとかこなして終了。
翌週には、また親に無理矢理連れられて・・・といった繰り返しでした。
3ヵ月ほど経った、ある時、男性コーチが、順番待ちをしていた私に向けて怒りだしました。
「ほかの人が練習しているのを、ちゃんと見ていなければいけない。やる気がないなら、帰れ」と。
うそっ。
帰ってもいいの?
ラッキー。
そう言ってくれるのを、待ってましたとばかりに、更衣室に向かおうとする私。
やる気なんて、ありませんから、こういう時の行動は、抜群にはやいのです。
すると、背後からコーチの声が追って来ました。
「階段3往復だ」
えっ? と仰天した私は、足を止めて、振り返りました。
コーチからは「3往復したら、戻って来い」との再びの指示が。
あまりにはやい、前言撤回。
今、帰れって言ったじゃない。
帰れると、一瞬でも夢をみてしまった分、がっかり具合はハンパじゃありません。
肩を落として、フロアの端にある階段へ。
練習していたのは6階。そこから1階までダッシュで階段を下り、ダッシュで上るというのは、一番嫌いな練習でした。
それを、3往復しろというのです。
デブにとって、階段の上り下りが、どんだけしんどいか、スレンダーなコーチには、決してわかっていただけないでしょう。
ゆっくり下り始めましたが、4階で、もう心臓は破裂しそうに。
ちょっくら休むかと、踊り場の窓から、外を眺めます。
徐々に、心拍数は落ち着いていきましたが、もう階段を上り下りする気持ちは、消え失せていました。
ぼんやりと、外の景色を眺めながら、思い通りにならない自分の人生について憂える、小学四年生が、そこにいました。
デブが3往復するとしたら、だいたいこれぐらいだろという時間を見計らって、6階に戻ると、コーチにすぐに台につくよう命じられました。
当時は、外を眺めて時間を潰したことなど、コーチにバレていないと思っていたので、澄ました顔で、練習を再開しましたが、今、考えてみると・・・完全にバレてましたね。
デブが階段を3往復もしたら、瀕死状態になっているはずなんですから。
あの、コーチ、見逃してくれたんだな、と思うと、なんだかにやっとしてしまいます。