「春との旅」という映画を観ました。
とてもいい映画でした。
仲代達矢さんの演じるジジイが、我儘で、偏屈で、最高でした。
ジジイと孫が理由あって旅をします。
旅の途中には、美しい景色がたくさん映されていましたが、心に残ったのは、ホテルのシーンでした。
ジジイと孫がホテルに泊まることになります。カメラは、2人が泊まっていると思われる部屋の前に並ぶ、ジジイと孫の靴を映します。
ホテルに泊まったことのない2人は、ドアの前で靴を脱いでしまったのでしょう。
ふっと、微笑んでしまうシーン。
このまま二人の生活が続きますようにと、思わず、祈ってしまう。そんな気持ちにさせられた、シーンでした。
本筋とは関係ない、そんな1シーンが、心に焼きつきました。
同じ映画を観ても、心に残るシーンは人それぞれ。
それは、制作側の意図とも違うのではないかと思います。
小説でもそうですから。
執筆中に何回も書き直して、苦労したシーンは、思い入れも強くなります。
ですが、残念ながら、そういうシーンが心に残ったと言われることは少なく、「えっ、そこなの?」というような、なんでもないシーンをあげられる方が多かったりします。
言われて、初めて、思い出したというようなセリフだったりもします。
肩の力が抜けている時の方が、人になにかを伝えられるのかもしれません。
「春との旅」を観終わって、思い出したのは、小津安二郎監督作品の「東京物語」。
どちらも、厳しい現実を見せつけられてしまう映画です。そして、最後に、他人から優しい気持ちと言葉を掛けられるという共通点もあります。
肉親に求めて得られず、ささくれ立っていた心に、他人の優しさが沁みてくる、そのシーンは、大勢の観客の琴線を震わし、涙を誘います。
心に残るシーンは人それぞれではありますが、2つの映画とも、このシーンだけは、全員が必ず、心を動かされずにはいられない場面になっています。
こうした不動の名場面の出来が、名作と呼ばれるか否かにかかっているように思えます。
付箋をよく使います。
ちょっとしたアイデアが浮かんだ時、付箋にメモを取り、それを紙に貼っておきます。後日、それらを眺めて、小説の中に使ったりします。そのために、常時仕事場の3ヵ所に付箋とペンを配置してあります。
アイデアだけではありません。洗剤などの日用品も、切れそうになったら、付箋に書いておきます。週に1度のネットショッピングの際に、その付箋を貼った紙を見ながら発注します。これで買い忘れる危険がかなり少なくなります。
この時の付箋は、強粘着タイプ。
これ、絶対。
普通の粘着力じゃ、信用を置けません。
「強粘着」の付箋は、その謳い文句に偽りなく、相当な粘着力です。
紙から剥がす時、相当慎重にしないと、その紙が破れてしまうほどです。
どんだけ強力やねんと、思わずツッコミたくなるほどの粘着力が、剥がれてしまうのではないかという不安を一掃してくれます。
原稿には、オリジナルの付箋を使っています。
ネットから、好きなデザインを発注できるので、試しに作ってみたところ、使い勝手がいいので重宝しています。
これは、編集者や校正者から、うっかりミスや、恥ずかしいミスを指摘された時に、その箇所に、貼る付箋。
ハートマークに、「いやぁ、こんなミスをしちまって、スンマセン」という気持ちを込めています。
これは、指摘された箇所について、私なりの意見を書く時に使っている付箋です。
原稿そのものには、文字を書きたくない時に、便利です。
修正する文章がそこそこ長い時には、この升目が引かれた付箋を使います。升目があることで、句読点や、改行の位置、大文字と小文字の区別などがわかり易くなります。小さな原稿用紙のような感覚で利用しています。
これらは全部、並の粘着力です。
お陰で、剥がす時に原稿を傷つけたりしません。
勝負師に魅かれます。
テレビで、ある将棋の棋士のドキュメントを見たことがあります。
毎日、勝つか負けるかだけの世界にいるその人に、たちまち興味をもちました。
テレビカメラが追い掛けていたその日、その棋士は負けてしまいました。
負けたショックを引き摺りながら、その棋士は帰り支度を始めます。
コートのボタンを全部きっちり留めている姿を見ていたら、彼の日常の大変さが胸に迫ってきました。
勝負して、勝って、負けて、そして、普通の生活に戻って、明日、また勝負する――。
凄い日常です。
それが生涯続くのです。
どうして、その道を選んだのか。そもそも、将棋の魅力とはなんなのか。
答えを探して、早速、将棋盤を購入しました。
NHKの将棋講座のテレビ番組は録画し、テキストも購入。
ですが、内容が高度過ぎて、ちんぷんかんぷん。
そこで、小学生向けの将棋導入本を読むところから始めてみることにしました。
ほとんどの漢字に振ってあるルビが、読みにくいこと、このうえありませんでしたが、なんとか、読破。
ルールを覚えたら、実際対局してみたくなるってのが、人情ってもんです。
たまたま、パソコンの中に、将棋ゲームのソフトが入っていたので、パソコン相手に勝負してみました。
と、あっという間に負けてしまいます。
しょうがないので、敵を6枚落ち(相手の駒を6枚少なくした状態でスタートする、ハンディ)にして、再度勝負を挑みました。
しかし、こてんぱんにやられてしまいます。
なんでだ?
こっちは6枚も多いのに。
しかし、ゲームソフトは私に負けを突きつけるだけで、その理由を教えてはくれません。
しょうがないので、千駄ヶ谷にある、将棋会館で開かれているビギナークラスへ行ってみることにしました。
平日の午後早い時間のビギナークラスのため、生徒は、小学生低学年のチビッコ少年と、定年を迎えたと思われるアダルティーなオジサマたちでした。
「どくらいのレベルですか?」と先生に問われ、パソコン相手に6枚落ちにするが、勝てないと、私は答えました。
すると先生は、ざっと自分の側の駒を盤から払い落し、「王」1枚だけにしました。
いくらなんでも、そのハンディじゃ、話にならないのではと思いましたが、いざ、始めてみると・・・。
すべての駒をもっている私は、自分の駒が邪魔をして、もたもたと駒を進めていくしかありません。
先生は「王」を、トントンと、前に進めてきます。
あれっ? と思っているうちに、先生の「王」が私の「歩」を狙っています。
どうしよう。
ま、こっちは全部の駒をもっているんだから、「歩」の1枚ぐらい、あげちゃってもいいかと考え、ほかの駒を動かしました。
案の定、先生は私の「歩」を取ってしまいました。
すると、今度は先生が私から奪った「歩」を裏返して「と金」とし、パワーアップさせた駒を、私の陣地近くに、差し込んできました。
ぐげっ。
あっという間に追い詰められている・・・。
えっと、えっとと、慌てながら、逃げ惑っているうちに、先生は次々に私の駒を取っていきます。そして、その駒をパチン、パチンと、私の陣地の奥深くに、打ってきます。
やがて、パニクっている私に、先生が静かな調子で、「王手です」と宣言しました。
力の差に愕然とした私は、ただうな垂れるしかありませんでした。
重度の方向音痴です。
初めて行く場所へ、迷わずに辿りつけたことはありません。
徒歩の場合は、歩ける範囲で迷っているだけなので、それほど大事にはならずに済むのですが、車の場合、広範囲になる分、大変な目に遭います。
湘南の海沿いの道を車で走っている時でした。
次の仕事まで時間がぽっかり空いてしまったので、ちょっとドライブをといった気持ちで、車を走らせていました。
やがて、海沿いの道に飽きてきた私は、ハンドルを左に切って、内陸方向へ行くことにしました。
しばらく走っているうちに、道はどんどん狭くなっていき、辺りの緑が濃くなっていきます。
心細さ満点になりましたが、車を切り返せるスペースはなく、山道のような急こう配を上っていかざるをえません。
そもそも、ここは車が通ってはいけないのでは、と思うほどの道幅の狭さ。ガードレールはなく、ちょっとズレてしまえば、崖から落ちてしまいかねません。
私は今、遭難している――。
そう思った途端、目に涙が滲んできます。
やがて、パニック段階へと移ります。
なんとかしなくちゃとは思うものの、どうしたらいいのかわからなくて、叫び出しそうでした。
その時でした。
人の姿を発見したのです。
私は車を止めてすぐに降り、彼らの元へ走りました。
彼らは測量士の男性3人組で、車から飛び下りてきた私を見て、驚いた顔をしていました。
私が迷ってしまったことを話し、戻りたい場所の名を口にすると、「相当、遠いですよ」と言われました。
そしてその人は、この道を右に曲がって、川にぶつかったら左へ・・・と、説明を始めました。
その説明はとても長く、「あぁ、そんなに覚えられない」と思った途端、一旦引っ込んでいた涙がまたぞろ出てきました。
すると、説明中の人の腕を、別の測量士が、ツンツンとつつきました。
そして、「ここまで迷い込むぐらいなんだよ。普通の人だって、説明を聞いただけじゃ、なかなか難しい道なんだから、絶対、無理だろう」と意見を口にしました。
その通り。
私はなんとか涙をこぼさないよう、必死でこらえながら、呆然と3人を見つめていました。
すると、3人の測量士たちが、アイコンタクトをしたのがわかりました。
そして、彼らはなにも言わず、測量に使っていたと思われる機材を、彼らの車に詰めだしました。
私は彼らの様子を、ぼんやりと眺めていました。
すべての機材を車に詰め終えると、私に言いました。「僕ら、先に走りますから、ついてきてください」と。
私は途端に元気を取り戻し、「はいっ」と大きな声で返事をすると、自分の車に戻りました。
そして、彼らの車の後をついて走ります。
道は細く、片側は崖なので、ビビってしまいスピードを出せません。
そんな私を気遣って、前の車は、ちょいちょい停まって、待っていてくれます。
そうやって、私が戻りたいといった場所まで、誘導してくれました。
ほっとした途端、また涙が出そうになりました。
有り難くって、有り難くって、この感謝の気持ちをどう、言葉で表現したらいいんだろうと考えていると、後部座席に座っていた1人が、私に向かって、人差し指を下に向け、「ここだから」と合図を送ってきました。
私は運転席で、大きく頭を何度も下げて、「わかった」と返事を送ります。
前の車がウインカーを点滅させて、右折すると伝えてきました。
さっきの場所に戻るんだなと思っていると、運転席と助手席の窓から、手が出てきました。その手が、「バイバイ」と言うように振られます。後部座席の人も、バックドアガラス越しに、両手を揺らしていました。
私は窓を開け、手を出して、大きく振りました。
本当に、本当に、ありがとうございました。
そう、心の中で言いながら。
方向音痴のせいで、随分と大変な目に遭ってきましたが、その都度、たくさんの人の親切に助けられてきました。
ありがとうございます。