地図

  • 2011年10月06日

数年前から、道案内サービスのアプリを月315円で契約しています。
携帯電話からスマートフォンに替えた際にも、この同じ会社の有料サービスを契約し直したぐらい、気に入っています。

この道案内のいいところは、電車の何両目に乗ればいいのかまで、教えてくれるところです。乗り換えや出口に一番近いポジション取りまでを、ナビしてくれるのです。
勿論、駅を下りてからも親切で、至れり尽くせりのサービスです。
にも拘らず、着きたい時間に、目的地に到着できないことが、ままあります。
なぜなのか。
駅を出たところが、最大の難関です。
たとえば・・・地下鉄の出口から地上に出た際、スマートフォン上の地図の「北」の位置と、現在の「北」の位置を合わせるのに時間がかかるのです。私の場合。
大抵の地図は「北」方向が上、「南」方向が下の位置になるよう表示されます。でも、私が「北」に向かって立っているかどうかはわからないわけですから、その調整が必要になります。そこで、スマートフォンのそのサービスで「方位磁石」機能をONにします。すると、画面上の「方位磁石」のアイコンがくるっと回り、やがて一方向を差して止まります。
そっか、右の方向が「北」なのかと、わかったとします。
で、スマートフォンを右方向へと向けます。
すると、画面上の地図までが向きを変えてしまい、地図上の「北」の位置まで変更してしまうのです。
えっ、うそ。地図は動かないで欲しかったんだけどな、と呟きながら、しょうがないので、自分の身体を右方向へ動かします。すると、また地図が連動して、動いてしまうらしく、向きが変わり、「北」の位置が、今度は下方向を指していたりするものですから、再び、自分の身体を右に回して・・・などとやっているうちに、地下鉄の出口で、スマートフォンを片手に、コマのようにくるくると何回転もする女になってしまいます。
近くのビルの警備員が不審そうな目で私を見てきます。
恥ずかしいです。
ここで、だいたい5分~10分ほどのタイムロスをしてしまうのです。時には15分。
それで、余裕をもって家を出たにも関わらず、約束の時間に遅れてしまうという事態になるのです。
このサービスの私の利用の仕方が、どこか間違っているのでしょうか?
女は、地図と現在の状態を合わせるために、地図をくるくる回す。大抵の男は、地図はそのままに、頭の中の絵を回す。
と、どこかで読んだ記憶があります。
地図をくるくる回してしまう女のための道案内サービスがあるといいのになぁと、思ってしまいます。
そして、今日も私は地下鉄の出口で、回り続けます。

名犬ウォントントン

  • 2011年10月03日

心に残った映画を上げなさいと言われたら、「名犬ウォントントン」と答えます。

 まだ小学生の頃、場末の映画館で母親と一緒に観たのを、今でもはっきりと記憶しています。映画館には、私たち親子を含めて5人の観客のみ。興行的には、苦戦していたのかもしれません。
アニメではなく、実写版で、主役はシェパード犬でした。ビジュアル的にもっと可愛らしい犬はたくさんあるというのに、シェパードを主役にしているあたりが、子ども向けに作られた映画ではなかったようにも思えます。

この犬が人間の女性に恋をします。
当然、この想いは一方通行になります。
紆余曲折がありますが、最後はハッピーエンドになります。

 この最後のシーンで、「あー、良かったぁ」と私は大きく息を吐き出しました。この時の、自分の息の感覚を、三十年以上経った今でもはっきりと覚えています。この時覚えた安堵感がいかに大きかったかを物語っているようです。それだけ、映画にのめり込み、シェパード犬、ウォントントンに感情移入していたのでしょう。

 月日は巡り、過去の映画をビデオやDVDなどで、再び観られる時代になりました。
探してみましたが、この作品はこうした記録メディアに残されていないようでした。
ストーリーも、多くのシーンもはっきりと覚えてはいますが、もう一度、観たいという思いは募ります。 

このことを知人に話したところ、いや、却って、記憶の中に留めておく方がいいのではと、言われました。
なんでも、その人にも、子どもの頃に観て、強烈に感動した映画があったとか。それを大人になって、ビデオで観たところ、びっくりするほどつまらない映画だったそうです。この程度の映画に感動していた、我が幼き日々を思い、自分が可哀想に思えたと、その人は語りました。
そうかもしれませんね。
感動したという記憶だけを、胸に留めておく方が、いいのかもしれません。
ほかの思い出と一緒ですね。

山形のコンビニ

  • 2011年09月29日

山形のとある駅でのこと。
駅弁を買おうと、駅構内のコンビニに入りました。

すると、女性店員の大きな声が聞こえてきます。
「いらっしゃいましたー」
えっ? なんで過去形?
びっくりした私は、しばし立ち尽くしました。
店に入り、「いらっしゃいませ」と言われることはあっても、「いらっしゃいました」と過去形で言われた経験はありません。
たとえば、訪問の約束をしていた場合に、その時間に到着した時、店員が店員に向かって、「○○様がいらっしゃいました」と情報を伝達する。こうしたケースでは、「いらっしゃいました」と過去形を耳にすることはあります。
しかし、今回は、ぶらりと立ち寄ったコンビニでしたから、首を長くして私を待っていたとは考えられず、何故、過去形で声を掛けられたのか――不思議です。
山形はそういう風習なのでしょうか?
疑問を抱えたまま、私は弁当が並ぶ棚へ足を運びました。
しばらくして、自動ドアの開く音が聞こえてきました。
くるか、過去形、と身構えていると、案の定「いらっしゃいましたー」とのびのびとした声が。
もしかすると、山形では歓迎の言葉を過去形で言う習慣があるのかもしれない。とすると、「ありがとうございました」はどうなるのでしょう。
は、はやく確かめたい。
逸る気持ちを押さえつつ、弁当を適当に選び、レジへ。
会計を済ませて、レジ袋を受け取った瞬間、きました。声が。
「ありがとうございます」
わっ。こっちは現在形。
不思議の国、山形。
コンビニを出た私は、しばらく呆然としていました。
やがて、今の、過去形と現在形の使い方は、山形の風習なのか、はたまたあの店員のオリジナルなのか、という疑問がわいてきました。
ふと、前を見ると、だんご屋が。
確かめるべきでしょう、やはり。
私はだんご屋の自動ドアセンサーにタッチしました。
くるのか、過去形。
と、期待して、耳の穴を最大に開いて待ちましたが、現在形も過去形も聞こえてきません。
一人しかいない女性店員は、接客中で、私に声を掛けてはこなかったのです。
がっかりしたものの、その接客が終わるのを静かに待ちました。
そして、釣りと包みを客に渡した店員が、ようやく私に顔を向けてた瞬間――「なににしましょう」との声が。
んー、そうきたか。
なかなか、期待通りの展開には進まないもんだと、心の中で吐息をつき、だんごを注文。
店員が包んでくれる間、「いらっしゃいました」の声が聞きたいばっかりに、ほかの客が入ってきてくれないだろうかと、私は自動ドアを睨んでいました。
しかし、願いも空しく、客は訪れず、会計をすることに。
そこで、さっきの客が帰る時、店員は「ありがとうございます」と言ったのか、それとも「ありがとうございました」だったのか、すっかり聞き忘れていたことに気付きました。
よっしゃ。
せめて、これを確認しようと、気持ちを切り替えました。
釣り銭を私に差し出しながら店員が口を開きました。
「○分の新幹線ですか?」
「えっ? あぁ、はい、そうです」
「これから、東京に?」
「はい」
「お気を付けて」
「……はい」
――確認できず。
だんご屋を出るため、ドアの前に立った私は、未練たらたらで、店員を振り返りました。
すると「お気を付けて」の声が。
思うようにいかないもんですね。
結局、確認したかったフレーズをだんご屋で耳にすることはできませんでした。
もう一軒、入って、確認したい気持ちは山々だったのですが、新幹線の到着時間が迫っていたので、諦めざるをえませんでした。
「いらっしゃいましたー」は山形の風習なのか、そうではないのか、謎は謎のままになっています。

祭り

  • 2011年09月26日

子どもの頃、祭りと言えば、楽しいものでした。

 私の地元では、毎年9月に行われていました。普段は静かな町が、この時期には、一変します。興奮しているような、ざわついているような・・・そんな、浮ついた町に変わります。

 子どもの私が参加できたのは、山車を引くぐらいでした。
山車から伸びた縄を掴んだ子どもたちは、ダラダラと町内を練り歩きます。一回で、だいたい4、50人ほどの子どもが、縄を掴んでいました。最後まで歩き通すと、ご褒美が貰えました。お菓子やら梨やら、ジュースやら、子どもの喜ぶものがぎゅうぎゅうに詰め込まれた、30センチ四方程度のビニール袋が、1人に1個配られたのです。当時の子どもたちは目をきらきらさせて、その袋を受け取っていました。もちろん、私もその1人でした。
私が住んでいた2丁目は、ほかの町より商店が多かったせいで、このご褒美の量と質が良いと評判で、よその町から遠征してくる子どもが大勢出没するほどでした。

 それから、リンゴ飴。

私はこれが大好きで、祭りの時、屋台で、親に必ず買って貰うのですが、いかんせん、子どもにはハードルが高いものでした。今は随分と小ぶりのリンゴを使っているようですが、当時は、家族で分け合って食べるようなビッグサイズのリンゴが使われていました。
まず、リンゴをコーティングしている飴をひたすら舐め続けるのですが、キャンディーのように舐め易くなっているわけではないので、結構な難儀を強いられます。さらに、リンゴは大きく、子どもにとっては、手に持っているだけでも、しんどくなってきます。その肉体的な困難にも負けず、辛抱強く何十分も舐め続け、ようやくリンゴの皮に到達し、ガブリとひと口。
子どもの私は、この時点で達成感を覚えてしまいます。
そして、ご馳走さまをしてしまうのです。
祭りの翌日、居間のテーブルに、皿にのせられたリンゴ飴がぽつんと置いてあるのを発見します。割り箸は刺さったままです。
「食べちゃいなさいよ」「うん」「去年も、ひと口だけだったじゃない」「うん」「もったいないじゃない」「うん」
という会話を毎年母と繰り返す・・・これまで含めて、祭りの思い出です。

 こうした町のイベントに参加するのも小学生まででした。中学生になると、「私はいいよ」と言って、町の祭りには参加しなくなりました。今になると、なにがいいんだか一向にわからないのですが、わくわくして貰っていたビニール袋に、魅力を感じなくなったのかもれしません。

 高校生になったある日。
クラスメートの噂話が聞こえてきました。
○○ちゃん、昨日のお祭りで、女神輿担いで、肩の皮がぺろりと剥けちゃったんだって。
す、すごい。
驚いた私は、そのクラスメートの姿を教室で探しました。
彼女は、前方の席にいて、セーラー服姿で肩をぐりぐりと回していました。
普段、特別江戸っ子風だとか、きっぷがいい人だとか思ったこともない、ごく普通の同級生でした。
私は急いで彼女に近づき、噂話の真偽のほどを確かめました。
すると、「そう。毎年ね、皮が剥けちゃうの。もっと続けると、そのうちに、剥けなくなるらしんだけどね」と彼女はさらりと答えました。
格好いい――。しかも、大人。
その時、同級生がやけに眩しく感じられたことを覚えています。
そして、私が知っていた祭りとは違う祭りがあるのだと、初めて知った瞬間でもありました。

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