初めてのギャラ

  • 2012年05月17日

生まれて初めて原稿を書いて、ギャラらしきものを貰ったのは、小学5年生の時でした。
ギャラは、確か、図書券だったと記憶しています。

当時、小学生向けに作られていた新聞を購読していました。週に3、4回、発行されていて、ほかの新聞と一緒に、朝、配達されてきました。
親が、ちょっとは社会に興味をもつようにと考えて、購読していたのでしょう。ですが、残念ながら、私は社会にはちぃっとも興味を抱かず、未読の小学生新聞が、部屋の隅にどんどん積まれていくという状態でした。

ある日のこと。
部屋の隅で堆く積まれている新聞に目を留めた私は、何の気なしに、一番上のを手に取りました。
パラパラと捲っていると、「小学生豆記者」なる子らが、どこかの工場見学に行き、その感想文を載せているのを発見。
ムムム。
これ、やりたい。
突然、やる気になった私は、新聞をひっくり返して、電話番号を探しました。
ありました。電話番号が。
でも、たくさんあります。
「代表」とか、「もしもしダイヤル」といった番号は、子ども心にも、違うような気がしました。
なんとなく、そこっぽいという理由で「編集部」となっている番号に電話をすることにしました。
電話には、女性が出ました。
私が「小学生豆記者」になりたいと言うと、その女性スタッフは「工場見学の場所と日にちが決まると、その都度、新聞に載せていて、必要なことをハガキに書いて、応募してもらっているのよ。それから、抽選するのだけれど、今回は、わざわざ電話をくれたから、特別に、抽選する時の箱に、ハガキの代わりに、あなたの紙を入れてあげるから、住所を教えてくれる?」と優しい口調で説明したうえで、尋ねてきました。
そ、そうか。
応募の手順というのがあったのか。
ろくに新聞を読んでいなかったため、そういったことを、私はわかっていませんでした。
私がかけた電話番号は「06」で始まっていたため、相手が大阪であることは、わかっていました。
そこで、都道府県から言った方がいいだろうと考え、「東京都」と大きな声で話し出した途端、「えっ。東京からかけてるの? このこと、お母さんは、知ってる?」と矢継ぎ早の質問。
「お母さんは、知らないです。隣にいますけど、○○さんちのおばさんと、今、お話し中なんです」と説明しました。
当時、電話は一家に一台で、リビングにあるというのが普通でした。
リビングでは、母が近所の友人とお喋りの花を咲かせている真っ最中でした。
その横で、私は電話をかけていたのです。
話に夢中になっていた母とその友人も、この子はいったいどこに電話をしているのだろうと、ようやく、私に目を向けてきます。
女性スタッフに住所と電話番号を伝え、電話を切ると、母からどこに電話をしていたのかと尋ねられました。
事情を説明すると、「へぇ、そう」とのコメントのみ。
母はまた友人とのお喋りに戻っていきました。

翌日。
私が学校に行っている間に、女性スタッフが自宅に電話をかけてきたそうです。
お子さんが、「小学生豆記者」になりたいと編集部に電話をかけてきたのを、ご存じですかと問われ、そんなこと言ってましたねぇと呑気に答えると、そうしたことを申し出てきた小学生は初めてだったので、部内で検討した結果、今回は特別に、今週末にある工場見学への参加を認めようじゃないかという話になったと言ったそうです。
なんとなく、これは大事になってるようだと察した母は、「必ず、行かせます。行きます。参加させていただきます」と力強く答えたと、後で聞かされました。

かくして、横入りで「小学生豆記者」になり、マヨネーズ工場見学へ。
集合場所の駅のホームで、5、6人集まった「小学生豆記者」が、自己紹介することになりました。
1人目の子が、「どうしてもなりたくて、何度も何度も、何枚もハガキを送って、やっと当たったので、すごく嬉しいです」とコメント。
2人目の子も、ほぼ同じ内容のコメント。
私はそっと、隣の母に顔を向けます。
目が合うと、母は小さく頷き、「横入りしたことは、言うなよ」と無言ながら、メッセージを送ってきました。
私は頷き返し、「マヨネーズが大好きだったので、今日はたくさん勉強したいです」てなことを発言。
今一度、母へ顔を向けると、にやりとしていました。
親子の共犯が成立した瞬間です。

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