占い

  • 2012年05月21日

19歳になる年の正月。
初詣先の寺で、厄落しの祈願をしました。
母に命令されてのことです。

そこの寺では、意外としっかり、祈願料の設定が細かく用意してあって、そのなかで、真ん中あたりの金額のを選択しました。
広い部屋に、大勢の参拝客たちと一緒に座っていると、お坊さんたちの読経が始まります。
睡魔と闘いながら、耳を欹てていると、お経の間に、厄払いという単語と、私の名前が。
今、言った? と確認したいところですが、お坊さんはもう次の方の希望らしき、良縁成就いう単語と、個人名らしきものを言っています。
あっという間に、次の人、次の人と、希望と名前を上げていきます。
こんな、ひとまとめのお願いの仕方で、すべての願いを聞き届けて貰えるのだろうかと、心配になりました。
その後、部屋を見回し、座っている人数をざっと目算。
全員が、私たちと同じ金額を払ったと仮定して、ざっくりと掛け算。
寺に入ったと思われる金額を計算して、「ひゅー」と言うような、ヤな19歳でした、私は。

厄のパワーについて、知識はありませんでしたが、私はまったく心配していませんでした。
その年は、人生で一番と言えるような、最高の年だと、どこの雑誌の占いページにも、そう書いてあったからです。星座占いですが。
どんな素敵なことが起こるのだろうと、わくわくしていたのです。
厄落しは、心配する母の気が済めばといった程度のものでした。

1年後。
母と再び、寺に初詣に。
母が財布を取り出し、無事に厄年を過ごせたお礼をした方がいいのではないかと言ったので、私はその手を止めました。
「なにもなかったよ。お礼する必要、なくない?」と言う私に、「なにもなかったのは、いいことじゃない。災いが降りかからなかったことを感謝しなくちゃ」と母は答えます。
星座占いでは、人生で最高の年になるはずだったのに、いいことがひとっつもなかったと訴えると、災い分とで、チャラになったんじゃないの? と母はコメント。
相殺になっちゃうのか? 星座占いと厄で?
なんだかよくわかりません。
以降、私は「占い」と名のつくものを、一切信じなくなりました。
今でも、雑誌の占いページは、読まずに、飛ばします。

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