石橋を

  • 2012年10月04日

「石橋を叩いて渡る」という諺がありますね。
広辞苑によれば、用心の上にも用心するたとえ、とあります。
いいですね、慎重で、堅実な感じ。
この言葉は、私の生き方の目標です。
若い頃、私の生き方は、非常に雑でして、この諺とは真逆でした。

就職や転職など、人生の節目で、私はほとんど迷いませんでした。
真剣にこれからの人生を考えるというよりは、まぁ、なんとかなるんじゃないか? といった根拠のないポジティブさで切り抜けてきたのです。
転職の時は・・・たった一人の上司が突然退職してしまい、仕事を教えてくれる人がいなくなりました。そんじゃ、私も辞めちゃおっかなぁといった安易な発想で、退職することに。
お世話になった取り引き先の展示会で、「退職することになりました。今までありがとうございました」と挨拶したら、「それじゃ、そっちを辞めた翌日からうちで働きなさい」と誘われ、同じ業界の別の企業へ転職することに。
後になって振り返ると、どうして先の展望もなく、なんの資格ももっていなかったのに、あんなに安易に退職を決めたのだろうと、自分の行動が不思議でしょうがありません。
たまたま拾ってくれた企業があったから、ラッキーだったものの、そうでなければ、転職など難しかったでしょうに。
石橋を叩かないどころか、渡ってからよく見たら、所々朽ちた木製の橋だった。ふうっ。危なかった、と後から気付くといった有様でした。

会社員を辞めて、フリーライターになった時も同じ。
会社に内緒で、ライター仕事を請け負っていましたが、二足のわらじは、結構体力的にハードでした。そんな時、傾きかけていた会社のボーナスが現物支給に。
こりゃ、この会社が潰れるの、時間の問題だぞ、退職金が出るうちに辞めた方がいいかも、といった判断をするに至りました。
そして、退職。
その後、フリーランスのライターになりましたので、よろしくと、方々に声を掛けて、仕事を貰うように。
これも、後になって、「思い切りましたね、やっていける自信はありましたか?」と問われて、初めて、そうか、思い切ったのか、私、と気付く程度。
やっていける自信なんて、ゼロでした。
そもそも、やっていけるだろうかと、考えもしなかったんですね。
考えなければ、自信も不安もないわけで、この時も、渡ってからよく見たら、頼りないほど、長くて細いつり橋で、少しの風で、大きく揺れていた。ふうっ。またまた、危なかったぜぇと、後から気付きました。

このように、どんな橋かよく見ないで、渡ってきました。
慎重で堅実だったら、きっと作家にはなっていないでしょう。
その点では、雑な生き方も、まぁ、悪いことばかりではなかったのかなとは思いますが、やはり、憧れるのは「石橋を叩いて渡る」生き方です。
まずは、渡る前に、それが橋だと気付くかどうかが、問題なのですが・・・。

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