夏の旅行

  • 2012年08月27日

先日、電車に乗っていた時のこと。
同僚と思われる男女の会話を耳にしました。
女性が、夏休みに、スキューバダイビングをしに、どこか国内の島へ旅行に行ったと、話をしていました。
船で24時間かかるとか、3日に1度しか船が行かない場所なので、3泊するか6泊するかしかないとか、2等船室でも往復6万以上の運賃がかかるとか。
それ、どこ? と思わず、聞きたくなるような話でした。

それで思い出しました。
高校生の時、友人らと、夏休みに与論島へ行ったことを。
行きは、船で2泊。
つまり、48時間。
これ、長いです。
私たちも2等船室でした。
体育館二つ分ぐらいの大きさの船室に、肩幅より少し広い程度の幅しかないマットがずらっと敷き詰められています。
これが、1人に与えられたスペース。
寝返りを打ったら、隣の人にぶつかってしまうような大きさしかありません。
友人との旅ということで、最初はテンションも高く、トランプをしたり、喋ったりと、元気いっぱいだったのですが、それも数時間が精一杯。
48時間はあまりに長く、知っているトランプをすべてやり尽くしても、時間はなかなか過ぎていってくれませんでした。
もう暇で暇で。
あと10時間ほどで、到着といった頃でしょうか。
いっちょ、海でも見てくるかと、デッキに出てみると・・・あまりの海の色の美しさに、言葉を失いました。
い、いつからだろう。
出港した時、しばらくデッキから海を眺めていましたが、その時目にした海の色とはまるっきり違っています。
退屈さに悶絶しているぐらいだったら、淀んでいた海から、この美しい海にかわる瞬間を、目撃したかった。
後悔しても、後の祭りとはこのことで。

やっととこさっとこ、与論島に到着し、退屈な48時間よ、さらばじゃ、と思っていたら・・・海に出ても、これといってすることもなく、だらだらと時をやり過ごすのは、船内と一緒でした。
私たちの中に、ダイビングやサーフィン、水上スキーなどを嗜んだ経験のある者はおらず、また、当時は今と違って、そういったものに素人が参加できる教室類などはありませんでした。
すると、どうするか。
浮き輪の中で、海にぷかぷか浮かぶのみ。
湘南の海と、なんら、かわりなし。
こうなると、現地で過ごす3日間も、結構、長いです。
湘南の海との違いといえば、びっくりするぐらいの海の綺麗さと、日差しのきつさ。
甘くみてました、南国の日差しの強さを。
日焼け止めクリームを塗ってはいたのですが、そんなものでブロックはできなかったようで、3日目には、肌は日焼けを通り越して、火傷状態に。
なぜか、私だけが。
海水に肌をつけたりしたら、因幡の素兎(しろうさぎ)になるだろうことは、明白。
そこで、私は一人、ビーチに残り、皆の荷物の見張り番に。
これ以上焼けないよう、バスタオルを羽織り、美しい海を眺めながら、遥々と遠くまできて、私はなにをやっているんだろうと、首を傾げたのでした。

こうして、なんともしょっぱい高校生の夏休みとなったのでした。

伝言

  • 2012年08月23日

賃貸マンションに住んでいるため、設備に不具合が生じると、まず、管理会社に電話をします。
備え付けの洗濯乾燥機が壊れた。
トイレの水が止まらない。
自動食器洗い機の、エラーのブザーが鳴り続ける・・・。
こういったことがしばしば起こってしまうのです。
で、この後が大変。
管理会社は、まず、オーナーに連絡をし、許可を取ったら、オーナーが委託している会社へ電話。この代行業者が、今度は壊れた機械の製造元へ連絡。メーカーは、修理を担当する作業スタッフを決め、その人から、私にようやく電話が入るのは、2日後か3日後になります。
我が家はビルが乱立する地区に建っているせいか、携帯電話の電波が届きにくい環境にあります。
また、基本的に自宅で仕事をしていますので、携帯電話にかけて貰う必要もなく、連絡は固定電話の方にするよう、念を押しておきます。
が、この長い長い電話&電話&電話の工程で、私のたった一つの希望は、消えてしまうのです。
伝言ゲームだったとしたら、毎回、敗者です。

最近になって、ようやく気付きました。
携帯番号も教えてしまうから、そっちには掛けないでといっても、掛かってくる。
だったら、もう、携帯番号は教えない。
どうしてもと言われたら、携帯はもっていないと嘘を吐こうと、心に決めました。

先日、自動食器洗い機が壊れまして、管理会社に電話をしました。
連絡先を聞かれたので、固定電話の番号を。
携帯の番号も聞かれたので「もってない」と、しれっと嘘を吐きました。
2日後。
携帯電話が鳴りました。
画面を見ると、見知らぬ番号。
もしや、と思いながら、電話に出てみると・・・お世話になっておりますー。○○サポートセンターですー、と明るい声が。
ど、どうして、携帯の番号がわかったのだろう。
私、言ってないのに。
と、その人に尋ねたところで、ちゃんとした回答が返ってくるとも思われず。
伝言ゲームの最後の番の人に、どうして間違えたと聞いてもしょうがないですからね。
後々、推理してみたところ、管理会社には私のデータがあり、そこに登録されている携帯番号が、次の人へ、次の人とリレーされていったといったあたりでしょうか?
だったら、毎回、連絡先なんて聞くなよって話で。
しかも、携帯をもっていないと嘘を吐いた私の立場は?
個人情報を守るとかいう法律って、どこいきましたかね?

今度、管理会社に電話をする事態になったら・・・携帯の番号を教えてしまいやしょう。
んでもって、携帯に電話がかかってきたら「はい? よく聞こえないんですけど。もう1度お願いします」を連発し、嫌がられてやります。
そう決意した途端、私って、ちっちぇなぁと思ってしまいました。

観劇

  • 2012年08月20日

生まれて初めて映画館で観た、映画はなんですか?
母がいうには、私の初映画は「マイフェアレディ」だったそうです。
私が3歳の時のことで、記憶はまったくありません。
この映画のセレクトは、当然母です。
思うに、自分が観たい映画に、娘を連れて行ってみましたといったところでしょう。
で、セリフは英語で、日本語の字幕つきの映画だったそうです。
映画が終わるまで、私はおとなしく観ていたようですが、さすがにセリフが英語だわ、まだ字を読めないのに、字幕つきの映画だわというのは、まずかったんじゃなかろうかと、帰りの電車の中で、ようやく気付いたとか。
それで、どんな話だったかと、私に尋ねてみたそうです。
すると、すらすらとあらすじを言ったそうで。
なんだ、大丈夫じゃん。
と、これに味を占めた母は、それ以降、自分が観たいものに、私を連れて行くというスタイルを貫くことに。
お陰で、小学校1年生で、帝国劇場にシェイクスピアの芝居を初体験。
そして、小学校3年生までには、歌舞伎や文楽といった伝統物との出会いも済ませていました。
後々、知ったのですが、歌舞伎などでは、ちびっこ向けの演目の日というのがあって、比較的わかり易い演目を、解説しながら見せてくれたりするそうです。
が、母はそういった日には連れて行ってくれない。
きっと、そういった子ども向けのでは、母がつまらないからでしょう。
だから、普通の演目の日にしか、行かない。
あくまでも、自分が観たいものに連れて行くというスタイルですから。
そんなでしたから、小学校を卒業する頃には、今日のハムレットは滑舌が悪かっただの、前作の演出の方が良かっただの、踊りが上達していただのと、生意気なことを吐き散らす、ヤな子どもが一匹出来上がっていました。

今振り返ると、子どもの頃から、本物を見せて貰えたというのは、なんという幸せだったのかと思います。
我が家は貧乏だったので、どこから、そういった観劇代を捻出していたのかわかりませんが、結構無理していたのではないかとも思われます。
今から積もうとしても、できない経験を、子どもの頃にさせて貰えたのは母のお陰。
自分が観たかったからという母の動機には、目をつぶって、感謝しなくてはいけませんね。

オリンピックが終わって

  • 2012年08月16日

ロンドンオリンピックが終わり、普通の日常生活にもやっと慣れてきた頃でしょうか?
私は切り替えが下手な方なので、まだまだ引き摺ってしまっていますが。
中高生の頃は、文化祭の代休明けに登校すると、いつもの日常が始まっていて、それにすんなり順応しているクラスメイトたちが、やけに大人びて見えたことを思い出します。

様々な方が、今回のオリンピックを様々な切り口で語っていらっしゃるでしょうから、敢えて、違ったところに注目してみました。

オリンピック期間中は、テレビCMも、オリンピック用の特別バージョンが放送されることが多いようです。
その中で、読売新聞のテレビCMは、まるで物語のようで、とても胸に響きました。
少年がトラックを走っていて、男性のナレーションが入ります。
子どもの頃は、皆スポーツ選手になりたかった、といったナレーションです。
少年が走り続けているうちに、青年へと成長していきます。
集団で走っているのですが、やがて、二人だけになります。
振り返ると、トラックには、走るのを止めた選手たち。
彼らが着ていたランニングウエアが、スーツに変わります。
そこに、夢は夢だったと気付く時があるという、ナレーションがかぶさります。
最後には、たった一人だけになった選手が走り続けて・・・といったCM。
スポーツをしていた人は勿論、していなかった人も、ぐっと胸にきますね、これ。
なにかを目標にして頑張っていても、そこに辿り着けない人が多いんですよね。
そんな時、敗北感でいっぱいになるし、自分を呪いたくなってしまいますね。
でも、それで、人生が終わったわけじゃない。
新たな自分の居場所を探して、進む。
それが、生きていくということなんですね。
諦めて、別の人生へ踏み出す勇気も、続ける決断をする勇気も、どちらも称賛に値します。
どちらが勝ちでも、負けでもないというのを、見事に表現しているテレビCMでした。

オリンピックで活躍した選手も、そうじゃなかった選手も、これで人生が終わったわけじゃありません。
新刊「頼むから、ほっといてくれ」では、オリンピック後のトランポリン選手たちの生き様を描いています。

興味のある方は、ぜひ、お手にお取りください。

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