校訓

  • 2012年07月16日

中学から大学まで通った学校の校訓は「恥を知れ」でした。
当時は、軽く流していましたが、今、よくよく考えてみると、凄い校訓です。
女子校なのに、その校訓って、どうよとも思います。
なんでも、創設者の家訓を、そのまま校訓にしたそうです。
この言葉が書かれた色紙が、全教室に、飾られていましたっけ。
確か、各教室には1枚の鏡が必ずあるのですが、その隣に、この色紙が飾られていたように記憶しています。
自分を見つめる鏡の横に、この言葉を飾るということの意図を、この年になれば、奥深いのぉと感じますが、当時はあまりにあっちこっちに飾ってあったので、景色の中に溶け込んでしまっていました。

フリーライター時代、中学校受験を考えている親子向けの雑誌の記事を書かせてもらっていたことがあります。
取材のため、様々な私立の中学・高校を取材しに行きました。
ある日、ある私立の女子中学校を訪ねた時のこと。
係りの人に案内されて、体育館へ。
入館した途端、檀上に大きく掲げられていた四文字に、たちまち目が吸い寄せられます。
「健康第一」
これって・・・・。
すぐに、係りの人に尋ねました。「あの、健康第一って、もしかして、校訓かなにかですか?」
にっこり笑って、係りの人は答えます。「はい、そうです」
うっそ。
間違ってはいない。
確かに、健康は大切だ。
が、しかし、学び舎で掲げるスローガンとして、相応しいかどうか。
と、当時の私は首を捻ったもんでした。
時代は巡り、私自身も年を重ねてきて、思います。
これに優るものって、そうはないのかなと。
健康だからこそ、希望や夢が生まれるのだし、あれこれ悩んだり、躓いたりできるのも、健康あってのこと。
こちらの校訓も、シンプルでありながら、奥深さも併せもつ、素晴らしいものでしたね。

歯磨き

  • 2012年07月12日

以前から違和感を覚えていることがあります。
海外モノの映画などを観ていると、歯磨きのシーンに出くわします。
が、大抵、歯磨き粉を使っていないのではないのかと思うほど、あっさりした口元なのです。
勿論、映画ですから、セリフを言いやすいようにという心配りがあろうことは理解できます。
ですが、そのほかのシーンでは、かなりリアルに緻密に作られているのに、歯磨きシーンだけ、やけに作り物めいています。
さらに、すすぎも、非常にあっさり。
一回、水を含んでくちゅくちゅしたら、吐き出して、はい、終わり、てな具合。
急いでいるシーンだと、すすぐことさえしなかったりもします。
はてさて。
ここで考えます。
もしかして、これこそが、オーソドックスな歯磨きであって、私の歯磨き方法が、ちと違うのではないだろうかと。

私が歯を磨いている時は、口の中は歯磨き粉でいっぱいで、当然、口のまわりも白くなっています。歯磨き粉が途中垂れてもくるので、洗面ボウルから身体がズレないように気を配ります。
そしてすすぎでは、もう、何十回も、くちゅくちゅします。
子どもの頃は歯磨きが嫌いで、その理由は、あのミント味のせいでした。それは今も苦手で、フレーバーを選ぶような時には、ミント味は決して選びません。友人がミント味のアイスクリームを食べていようもんなら、「歯磨き粉を食べてる気、しない?」とヤなことを言ったりもします。
口の中に、ほんのちょっとでも、歯磨き粉の残骸が残っているのが嫌なもんですから、真剣にすすぎます。
口の中の歯磨き粉を、一刻でも早く外に吐き出したいと思いながらの歯磨きですから、当然、なにかに挑むかのように実行します。
ですから、映画のように、途中で誰かが話しかけてきたとしたら、歯磨きを止めて、返事をしたりなんかいたしません。
歯磨き中だとアピールし、コミュニケーションを拒否します。
電話が鳴っても、留守電に受けさせます。
それぐらいの真剣勝負。
やっぱり・・・私の歯磨き方法って、ちと変わってるのかもしれませんね。

取材

  • 2012年07月09日

フリーライター時代、様々なジャンルの方に話を聞く機会がありました。
聞き漏らしたりしないよう、大抵、会話を録音します。
当時はカセットテープでした。
原稿を書く段になり、このテープを再生します。
すると。
誰だ、こいつ。
と言いたくなるような声が聞こえてきます。
なんと、自分の声なんですね。
自分の声を自分の耳で拾っている時は、頭蓋骨内で反響しているせいで、一番よく聞こえていると、どこかで読んだ記憶が蘇ってきます。
そうなんです。
いつも自分が聞いているのとは違う声が、デッキから流れてくるのです。
さらに、声だけでなく、喋り方も、気になります。
私はこんなに語尾を引っ張って喋っているのか?
あんなに緊張して、捲し立てるように喋っていたつもりだったのに、なんなんだ、このスローな話し方は。
と、なにもかもが気に入りません。
初対面の人と会うというだけで、緊張しているうえに、話を引き出さなくてはならないというプレッシャーと、30分などという時間制限もあったりして、心臓をバクバクさせながらの取材だったはずなのに。
デッキから聞こえてくるのは、いたってマイペースで、ゆったりと話をしている己の声。
どうしてだ?
何故、あのドキドキ感が、外に出ていない?
不思議過ぎて、首を捻るばかりです。

作家になってからも、作品によっては、色々な方に取材をさせていただくことがあります。
一応、ボイスレコーダーをテーブルに置いてみたりはしますが、後で聞かなくて済むよう、完璧なメモを取るように努めています。
己のねっとりした喋りを、聞きたくはないですから。
取材時は、大抵、編集者が同行してくれているので、文字起こしを依頼することもできます。
これだと、取材の時の会話を、専門の人が聞き取りし、入力してくれて、文字として、受け取ることができます。
文字として取材時を振り返れば、バカな質問しているなと、落ち込みはしますが、自分の喋りを聞いた時のように、鳥肌を立てなくて済むので、助かります。
一時、本気で、喋り方教室みたいなところに通おうかと、考えたことがありましたが、日々の忙しさにかまけて、実現にはいたっていません。

手土産

  • 2012年07月05日

住居兼仕事場には、様々なゲストがお越しになります。
手土産をお持ちになる方が多く、その場で食べ切れればいいのですが、そうでない時には、ストックすることに。
そして、次のゲストの時にお出しするのですが、その方もまた手土産をお持ちになっていて、食べきれず、ストックし・・・を繰り返した結果、スイーツの在庫がハンパじゃない量に。
ゲストを迎える日時を決めた時にでも、「どうぞ、手ぶらでいらしてください」と言ってみようかとも考えたのですが、それも、なんだか、ヤらしい感じがしますしねぇ。ない裏を読まれて、「そうか、なにか持っていくもんなのか」と勘違いされそうな。

この画像は以前いただいた手土産。
見た目も涼しげな、夏を感じさせるスイーツですね。

賞味期限が迫ったら捨てる、という勇気をもつには、どうしたらよいのでしょう。
食べ物を捨てるという行為が、私には恥ずべき悪行に思えてしまうのです。
そういう考えを植え込まれたのは、いつなのか、わかりません。
恐らく子どもの頃でしょう。
捨てられない私は、どうするか。
食べるのです。
結果、人間ドックで、体脂肪が多すぎると指摘されることに。
あのー、病院の方にお願いがあります。
お腹のあたりを輪切りにした画像で、脂肪部分をピンクで色づけするのは止めてください。
去年の画像と並べるのも、止めてください。
大量に存在する、ピンク色の脂肪を、じっと見つめる以外、私にできることはありません。
いや、あるかも。
現実を受け入れることですかね。
せっかくいただいたものでも、賞味期限がきたら、捨てる。
どんなに美味しそうでも、賞味期限がきたら、口に放り込まずに、ごみ箱に捨てる。
もし、食べちゃったら、夕食を減らす。
夕食を減らせなかったら、運動する。
これですよね。
そして、来年の人間ドックでは、脂肪の量を劇的に減らしてみせやしょう。
この漲る闘志。
この意欲が1ヵ月ぐらいしか続かないってのが、情けないんですけどねぇ。

ブログ内検索

  • アーカイブ


  • Copyright© 2011-2025 Nozomi Katsura All rights reserved. No reproduction and republication without written permission.

    error: Content is protected !!
    Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.