7、8年ほど前になるでしょうか。
当時、自宅近くには大きな書店がなく、資料探しの時には、電車に乗り、東京駅まで出向いていました。
そこにある、大型書店に行くためです。
ラッシュ時を避け、午前9時半頃に、JR山手線に乗るようにしていました。
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車内にいると、「想像していたのと、違うなぁ。もっと混んでるかと思ったよ」という声が聞こえてきます。
私は「きたな」と思い、声のした方へ顔を向けます。
そこには想像通りの初老の男性が。
なぜか、電車の中で、見ず知らずの人から話しかけられるという率の高い私は、こういう展開にすっかり慣れています。
まだ慣れない頃には、「なんで私に話しかけてくんのよ」とか、「恥ずかしいじゃないよぉ」などと、思ったりもしましたが、慣れというのは恐ろしいもんです。
やがて、「はい、きた」程度に思えるようになるのです。
車内で、話しかけられたのは、20回程度でしょうか。
その全員が、初老の男性。
そして、セリフもほぼ同じ。
もっと混んでいると思ったという感想を言ってくるのです。
どうも、地方出身者の方たちは、超ラッシュ時の映像をどこかで見て、それを記憶しているようなのです。
だから、覚悟してきたのに、車内はガラガラで驚いた。それを側にいる人と分かち合いたいといった流れになるようです。
女性だって、同じような感想を抱きそうに思うのですが、女は、そうした感想を見ず知らずの人に吐露しないのかもしれません。
その日は、ぼんやり窓外の景色を眺めている時でした。
「もっと、混んでるかと思っとったとに、意外と混んどらんねぇ」といった声が隣席から聞こえてきました。
顔を向けると、初老の男性。
ばっちり私と目が合います。
慣れたもんの私は答えます。「この時間だから、空いているんですよ。9時前だと、身体がぺったんこになっちゃうんじゃないかっていうぐらい、ギューギュー詰めですから」
「やっぱりそうなんと?」と目を丸くする男性。
「と」が多いので、「九州の方ですか?」と尋ねると、「おっ。お姉さんも、九州と?」と明るい声に。
「いえ、東京生まれの東京育ちです。言葉の感じが、九州かなと思いまして」
「そうとね?」
「ええ」
などど、すっかり会話。
「ご旅行ですか?」と尋ねると、男性が語り出したのは・・・。
なんでも、短大に通うため、東京で一人暮らしをしている娘さんと、突然連絡がつかなくなったので、今からマンションを訪ねるとのこと。
なにもなく、無事だといいけど。
と、思わず祈ってしまうのは、東京がもっている深い闇の存在を知っているからでしょうか。
電車が東京駅に到着し、私が立ち上がると、男性は「それじゃね」と言って、手を振ってくれました。
最近では、午前中は執筆タイムなので、この時間帯に山手線に乗ることはなくなり、こうした会話をすることはなくなってしまいました。
ちょっぴり残念な気がしています。
パソコンの調子が悪く、メーカーのカスタマーセンターに電話した時のこと。
男性オペレーターに状態を説明すると、「それでは、まず左下の隅にあります、スタートボタンを1回クリックしてみていただけますでしょうか?」といった感じの、親切な対応が始まりました。
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言われるまま、出てくる画面のあっちこっちをクリックしていきます。
結局、いったん、なんとかっていうシステムを、削除し、新たに、システムを入れるという解決策を取ることに。
私にとっては一大事です。
ですが、この男性オペレーターを信じて、やってみるしかありません。
指示通りに、システムを削除していき、その作業が終わるのを待っている時でした。
ん?
電話の向こうから、「フー、フー」と小さな音が。
もしかして、鼻息?
ヤバイ。
ぷぷぷっと笑ってしまいそうです。
高感度のマイクのせいでしょうか?
それとも、ヘッドホンと繋がっているマイクを鼻に近づけすぎているといった位置のせいでしょうか?
喋っている時には気付かなかったのですが、ただ、パソコンの準備が整うのを待っているだけの、静かなこの時。
彼の鼻息が、私の耳を直撃します。
笑ってしまわないよう、口を押え、パソコンに向かい「速くして。じゃないと、笑ってしまうから」と心の中で必死に訴え続けました。
無事、削除が終わり、ほっとしたのも束の間、今度は、その最新版のシステムをダウンロードすることに。
大容量のダウンロードって、結構時間がかかるんですよね。
再び訪れた静けさの中。
「フー、フー」と小さな音が。
唇に力を入れて、笑わないよう堪えるのが、結構大変。
我慢比べのような状態になりながら、踏ん張っていると、やがて、パソコンが復活。
丁寧にお礼を言い、受話器を置いた途端、ため息と同時に笑い声が出てしまいました。
後日、そのメーカーからメールが来ました。
その後のパソコンの調子はどうかといった質問とともに、アンケートに協力してほしいといった内容でした。
詳しくメールを読んでみると、オペレーターの対応はどうだったかといった項目が。
ここで、鼻息が・・・とは記入できないよなぁ。
対応自体は、懇切丁寧で問題なかったし。
そもそも、あれは、あれで、面白かったしなぁ。
パソコンが作業をしているのをじっと待つという退屈な時間を、あんなに楽しませてくれたのは、彼の鼻息だしなぁ。
結局、このアンケート依頼のメールはスルーすることに。
今日もどこかで、彼は楽しさをバラまいているんじゃないかと考えると、顔がにやついてしまいます。
眼科クリニックへ行きました。
人間ドックを受けたところ、その結果から、眼科で再検査を受けるよう勧められたせいです。
最後に眼科に行ったのは、いつのことか・・・三十年以上も前になるんじゃないかと気が付き、愕然としました。
小学生の頃の私は、「ものもらい」と呼ばれる腫物がよくできて、しょっちゅう眼科に行っていました。
普段から一重のはれぼったい目をしているせいで、「ものもらい」になっても、誰にも気づいてもらえなかったのも、今となっては、笑える思い出です。
中学に入った途端、「ものもらい」とは縁が切れて、以後、眼科に行く機会はありませんでした。
ネットで近所の眼科を探し、訪ねてみると、そこは女医さんがやっているクリニックでした。
診察室で、女医の前に座った途端、思わず、心の中で「おぉ」と声を上げそうに。
和風顔の女医は、一重。
恐らく、そこに生えているであろうまつ毛は、短く、下向きでありましょう。
それを、物凄く一生懸命に、マスカラで立ち上げていたのです。
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マスカラをどこにも滲ませることなく、これだけ、思いっきり立ち上げるには、匠の技があるからでは・・・と、感動さえ覚えます。
が、しかし、眼科医として、それはOKなのか? との疑問も浮かびます。
目を大きくすることに無茶をする娘さんたちに「目に悪いから、止めなさい」と、たしなめるポジションじゃないのか?
それとも、ちょっとでも目を大きく見せたい女心がわかる女医として、独自のスタンスを取り、患者を集めているのか?
たくさんの疑問を抱えたまま、女医からの質問に、上の空で答える私。
隣の検査室に行き、女性スタッフの指示のもと、へこたれそうになるほどの数の検査をこなしました。
よれよれの状態で、診察室に戻ると、再び私の目は女医のまつ毛に、釘付けに。
ビューラーの段階で、熟練者としての技があったりするのだろうか?
マスカラは、どこのだろう。
ダマにならずに、こんなに長くできるのは、2度塗りぐらいじゃ無理ではないのか?
朝の支度に、何分ぐらいかかっているのだろう。
好奇心はどんどん膨らんでいきます。
女医のまつ毛に集中し過ぎて、肝心の診察結果は、ほとんど聞いていなかったというオチは、いかがなものかと反省しつつ、クリニックを後にしました。
スピーチは苦手です。
恐らく、脳と口、心と口を結ぶ回線が、うまく繋がっていないせいでしょう。
だから、考えていること、思っていることを、口を通して表現することができません。
「どう思いますか?」とその場で答えを求められるより、「400字詰め原稿用紙3枚にまとめて、明後日までに提出してくれ」と言われた方が、私には楽なのです。
このように、元来の喋りの質が低いうえに、スピーチとなると、緊張という悪魔がやってきますから、もう、悲惨極まりない状態になります。
以前、ある脚本家が、パーティの席で、突然、スピーチに立つことに。
「何分?」と担当者に尋ね、「10分」と言われると、躊躇う様子を見せずに檀上へ。
脚本家は腕時計を外し、テーブルの隅に置くと、喋り出しました。
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そして、聴衆を笑わせ、感心させ、驚かせ、場を完全に掌握。
やがて、スピーチを終えると、場内からは大きな拍手。
脚本家が壇上から下りた時、私が腕時計を確認すると、ぴったり10分。
すっげぇと、感心しまくりました。
こういう才能のある人が、とても羨ましいです。
先日、ドラマ「恋愛検定」の本読み&顔合わせなるものに参加した時のことです。
「ひと言お願いします」と言われ、辺りを見回せば、出演者やスタッフ、関係者などが300人以上。
無理。
絶対、無理。
と、思いましたが、「パス」と言えるほどの勇気もなく、また、子どもでもなく、マイクを握るはめに。
しどろもどろに、期待しています的な発言を、もごもごとして、終了。
なんとも残念な空気を場に漂わせてしまいました。
出来としては、最低でしたが、私としては、1ヵ月分の仕事をしたぐらいの疲労感があるから、不思議です。
この場で、ステキなスピーチをしたのは、斎藤工さん。
第二話に出演してくださる斎藤さんは、前日の天気の話から始めたりして、場馴れ感、ありあり。
さらに、今まで殺す役か、殺される役ばかりだったが、今回脚本を読んで、初めて、殺しもせず、殺されもしないと知って、希望の光を見た・・・といった内容の話をされて、私たちを笑かしてくれました。
こういうのが、気の利いたスピーチというんだな、と、お手本を拝見したような気持ちでした。
スピーチ上手な斎藤工さんが出演するドラマ「恋愛検定」第二話は、6月10日(日)22時スタートのNHKBSプレミアムでご覧ください。
第一話を見逃してしまった方は、再放送が(6月7日深夜)6月8日午前0:15~午前1:03までありますので、こちらをどうぞ。
もし、この再放送も見逃してしまったとしても、一話完結型なので、第二話を十分に堪能できることを、お知らせしておきます。