19歳になる年の正月。
初詣先の寺で、厄落しの祈願をしました。
母に命令されてのことです。

そこの寺では、意外としっかり、祈願料の設定が細かく用意してあって、そのなかで、真ん中あたりの金額のを選択しました。
広い部屋に、大勢の参拝客たちと一緒に座っていると、お坊さんたちの読経が始まります。
睡魔と闘いながら、耳を欹てていると、お経の間に、厄払いという単語と、私の名前が。
今、言った? と確認したいところですが、お坊さんはもう次の方の希望らしき、良縁成就いう単語と、個人名らしきものを言っています。
あっという間に、次の人、次の人と、希望と名前を上げていきます。
こんな、ひとまとめのお願いの仕方で、すべての願いを聞き届けて貰えるのだろうかと、心配になりました。
その後、部屋を見回し、座っている人数をざっと目算。
全員が、私たちと同じ金額を払ったと仮定して、ざっくりと掛け算。
寺に入ったと思われる金額を計算して、「ひゅー」と言うような、ヤな19歳でした、私は。
厄のパワーについて、知識はありませんでしたが、私はまったく心配していませんでした。
その年は、人生で一番と言えるような、最高の年だと、どこの雑誌の占いページにも、そう書いてあったからです。星座占いですが。
どんな素敵なことが起こるのだろうと、わくわくしていたのです。
厄落しは、心配する母の気が済めばといった程度のものでした。
1年後。
母と再び、寺に初詣に。
母が財布を取り出し、無事に厄年を過ごせたお礼をした方がいいのではないかと言ったので、私はその手を止めました。
「なにもなかったよ。お礼する必要、なくない?」と言う私に、「なにもなかったのは、いいことじゃない。災いが降りかからなかったことを感謝しなくちゃ」と母は答えます。
星座占いでは、人生で最高の年になるはずだったのに、いいことがひとっつもなかったと訴えると、災い分とで、チャラになったんじゃないの? と母はコメント。
相殺になっちゃうのか? 星座占いと厄で?
なんだかよくわかりません。
以降、私は「占い」と名のつくものを、一切信じなくなりました。
今でも、雑誌の占いページは、読まずに、飛ばします。
生まれて初めて原稿を書いて、ギャラらしきものを貰ったのは、小学5年生の時でした。
ギャラは、確か、図書券だったと記憶しています。
当時、小学生向けに作られていた新聞を購読していました。週に3、4回、発行されていて、ほかの新聞と一緒に、朝、配達されてきました。
親が、ちょっとは社会に興味をもつようにと考えて、購読していたのでしょう。ですが、残念ながら、私は社会にはちぃっとも興味を抱かず、未読の小学生新聞が、部屋の隅にどんどん積まれていくという状態でした。

ある日のこと。
部屋の隅で堆く積まれている新聞に目を留めた私は、何の気なしに、一番上のを手に取りました。
パラパラと捲っていると、「小学生豆記者」なる子らが、どこかの工場見学に行き、その感想文を載せているのを発見。
ムムム。
これ、やりたい。
突然、やる気になった私は、新聞をひっくり返して、電話番号を探しました。
ありました。電話番号が。
でも、たくさんあります。
「代表」とか、「もしもしダイヤル」といった番号は、子ども心にも、違うような気がしました。
なんとなく、そこっぽいという理由で「編集部」となっている番号に電話をすることにしました。
電話には、女性が出ました。
私が「小学生豆記者」になりたいと言うと、その女性スタッフは「工場見学の場所と日にちが決まると、その都度、新聞に載せていて、必要なことをハガキに書いて、応募してもらっているのよ。それから、抽選するのだけれど、今回は、わざわざ電話をくれたから、特別に、抽選する時の箱に、ハガキの代わりに、あなたの紙を入れてあげるから、住所を教えてくれる?」と優しい口調で説明したうえで、尋ねてきました。
そ、そうか。
応募の手順というのがあったのか。
ろくに新聞を読んでいなかったため、そういったことを、私はわかっていませんでした。
私がかけた電話番号は「06」で始まっていたため、相手が大阪であることは、わかっていました。
そこで、都道府県から言った方がいいだろうと考え、「東京都」と大きな声で話し出した途端、「えっ。東京からかけてるの? このこと、お母さんは、知ってる?」と矢継ぎ早の質問。
「お母さんは、知らないです。隣にいますけど、○○さんちのおばさんと、今、お話し中なんです」と説明しました。
当時、電話は一家に一台で、リビングにあるというのが普通でした。
リビングでは、母が近所の友人とお喋りの花を咲かせている真っ最中でした。
その横で、私は電話をかけていたのです。
話に夢中になっていた母とその友人も、この子はいったいどこに電話をしているのだろうと、ようやく、私に目を向けてきます。
女性スタッフに住所と電話番号を伝え、電話を切ると、母からどこに電話をしていたのかと尋ねられました。
事情を説明すると、「へぇ、そう」とのコメントのみ。
母はまた友人とのお喋りに戻っていきました。
翌日。
私が学校に行っている間に、女性スタッフが自宅に電話をかけてきたそうです。
お子さんが、「小学生豆記者」になりたいと編集部に電話をかけてきたのを、ご存じですかと問われ、そんなこと言ってましたねぇと呑気に答えると、そうしたことを申し出てきた小学生は初めてだったので、部内で検討した結果、今回は特別に、今週末にある工場見学への参加を認めようじゃないかという話になったと言ったそうです。
なんとなく、これは大事になってるようだと察した母は、「必ず、行かせます。行きます。参加させていただきます」と力強く答えたと、後で聞かされました。
かくして、横入りで「小学生豆記者」になり、マヨネーズ工場見学へ。
集合場所の駅のホームで、5、6人集まった「小学生豆記者」が、自己紹介することになりました。
1人目の子が、「どうしてもなりたくて、何度も何度も、何枚もハガキを送って、やっと当たったので、すごく嬉しいです」とコメント。
2人目の子も、ほぼ同じ内容のコメント。
私はそっと、隣の母に顔を向けます。
目が合うと、母は小さく頷き、「横入りしたことは、言うなよ」と無言ながら、メッセージを送ってきました。
私は頷き返し、「マヨネーズが大好きだったので、今日はたくさん勉強したいです」てなことを発言。
今一度、母へ顔を向けると、にやりとしていました。
親子の共犯が成立した瞬間です。
マンションの1階には、建屋を飾るように、何本もの木が植えられています。

当初は、特に印象に残ることもない、木々でしたが、日当たりがよかったのでしょうか、どんどん大きく育っていきました。
数年で、葉の茂り具合は3倍ほどに、高さはといえば、2階のベランダに到達するまでに、成長しました。
通いの管理人がいるのですが、手入れをしている節はなく、木のやりたい放題にさせるといった、放任主義を取っているように見受けられました。
タクシーで帰宅する際には「そこの、入口が鬱蒼としちゃってるマンションの前で停めてください」とか、「そこの、伸び放題の木に囲まれちゃってるマンションの前で」と、運転手に指示を出すほどでした。
先日、ダストルームにゴミを捨てに行こうと、1階に降り立ったところ、びっくり仰天。
いつの間にか、葉が刈り取られ、すっきりした立ち姿に変身していました。
当初の姿に戻った木々を眺めてみると、なんだか、随分と寒そうです。
ここまで、思い切って、葉や枝を刈っちゃって、大丈夫なのだろうかと、心配してしまうほど。
何年も放置していたのに、突然、バッサリいこうと思ったきっかけは、なんだったんでしょう。今度、管理人に会ったら、尋ねてみようと思います。
さてさて、今度タクシーに乗ったら、なんと説明したらいいのでしょうか。
並びに、同規模程度のマンションがあり、その入口付近の木々は、ごくごく普通の状態にいつも保たれています。
こっちのマンションじゃないのよというつもりで、鬱蒼としている、伸び放題といった言葉で、降りる場所を伝えていましたが、すっきりとなった今、この言葉は使えません。
こうなってみると、個性をはぎ取られてしまったように、思えてきます。
いっそのこと、映画「シザーハンズ」のジョニー・デップのように、大胆に葉を刈りこみ、芸術作品にまで高め、目印にもなるような姿にして欲しかったなぁと、しょーもないことを考えてしまいます。
現在借りている部屋の照明のほとんどは、ハロゲン電球です。
店舗のスポット照明に使われるような電球です。
なぜか。

それしか使用できない、ソケットだからです。
どのようなデザイナーの意図なのか、私にはまったくわかりません。
さらにわからないのは、ソケットの向きです。
1つの部屋にある、6個のソケットは、すべて、キッチンに向いています。
どんなパフォーマンスを期待してのことなのでしょう。
料理の素人が、自宅のキッチンで、6個のスポットライトを浴びる必要は、まったくないんですが。
もっとわからなくなるのが、キッチンの横にある場所のライト。
ここは、キッチンより広く、位置からいっても、ダイニング&リビングとなるべき場所。
なのに、ここの照明は、電球が2個だけなのです。
料理を作る時は、6個のスポットライトで盛り上げるが、それを食べる時は、全然応援してくれない、といった照明の配置になっているのです。
どういった住人と、ライフスタイルを想像して、こういった照明をつけたのか、デザイナーにぜひとも聞いてみたいもんです。
ハロゲン電球は、普通の電球の10倍ほどの値段がします。
価格でいうと、LED電球ぐらいです。
LEDぐらい地球に優しかったり、寿命が長かったりすれば、高価格も納得できますが、寿命は普通の電球なみなのですから、この点もデザイナーに正したいところです。
去年の夏は、節電の夏でした。
明るいうちに料理を済ませてしまい、このスポットライトを使わないようにするなどの作戦を含め、様々なトライをしました。
こうした作戦が功を奏して、その1年前の時より、電気量の17%削減に成功。
今年の夏は、どうでしょう。この記録をさらに伸ばせるでしょうか。
これから、新たな策を考えてみようと思います。