久しぶりに映画「シェルブールの雨傘」をDVDで観ました。
小説と一緒で、映画も、観た時のこちらの状況によって、感じ方が随分と変わります。
カトリーヌ・ドヌーヴの美しさは、以前観た時と同じくらい感動モノでしたが。
以前観た時には「どんだけお洒落な壁紙よ」と、つっこんだ記憶があるのですが、今回、改めて感じたのは、色が溢れているということ。
おとぎ話を映像化する時、ポップな色使いで表現するというのは常套手段ではありますが、それにしたって、これだけ強い色をたくさん使っているのに、画面の中でちゃんとまとまっているのが凄い。
カトリーヌ・ドヌーブの母親役の衣装なんて、もう挑戦的といっていいぐらい。全身赤、全身ピンクといった、コーディネート。これだけ強烈な衣装だったのに、実はほとんど記憶がなく、ということは、壁紙より印象が薄かったということで、私の映画の観方に問題があったようにも思います。
カトリーヌ・ドヌーヴの衣装もとっても可憐で素敵です。
貧しい親娘という設定なんか、どこ吹く風。
徹底的にお洒落です。
セリフはすべて歌。
カトリーヌ・ドヌーブが歌っているシーンが観られるだけでも、一見の価値ありでございます。
おとぎ話の中にも戦争や、恋愛感情の脆さ、生きていかなくてはいけないという重さ・・・こういったものも盛り込まれていて、ただ美しいだけの映画で終わっていないところが、時代を経ても愛される理由ではないかと思いました。
最近の映画の中で観る、カトリーヌ・ドヌーブはほとんど無表情。
美しさだけで勝負している希有な女優さんだなぁと感心していましたが、10代のこの映画の中でも、表情はほとんど変化しません。
それなのに、愛する気持ちや、別れの哀しさ、迷いなどが、しっかりこちらに伝わってくるから、不思議です。
どんな努力をしているのでしょうか。
長いこと第一線で活躍している彼女の、生き様にとても興味がわきました。
最近、最もテンションが上がったのは、100円ショップを訪れた時。
残念ながら自宅近くにはないのですが、先日、人との待ち合わせ時間より、少し早くついたある街で、100円ショップを発見。
迷子にならないよう注意しながら、辺りを歩いていた時のことでした。
ちょうどいい時間潰しになると、足を踏み入れた途端、「うっそ、これも100円?」「わっ、これ、いい」「ほかの色はないの?」と、テンションが一気にアップ。
以前住んでいたマンションの3軒隣に、100円ショップがオープンした時には嬉しくて、毎日のように訪れたもんです。
しかし、如何せん、店が小さく、品揃えにも限りがあり、1週間もした頃には、全商品を把握してしまい、新鮮な驚きはなくなってしまいました。それで、ぱったり行かなくなってしまったのですが、どうやら、ほかの人たちもそうだったようで、半年もした頃、突然シャッターに、閉店のお知らせと記された紙が貼られました。
100円であっても、常に新鮮な商品を投入しないと、こういうことになるんだから、商売って難しいもんだなと、つくづく考えたことが蘇ります。
100円であるからこそなのかもしれませんが。
で、今回久しぶりに訪れた100円ショップで買ったのは、毛布サイズの洗濯ネットと、消しゴム。
スケジュール帳に書いた予定が変更した時など、普段使っている消しゴムだと、周りの文字も消してしまい、書き直したりして、メンドーだったのですが、この消しゴムだと、一文字分だけ消せるので、すっごく便利。使い終わったら、替えゴムを入れればOKのようです。
本当は、もっともっと欲しいものはたくさんあったのですが、あれこれ見ているうちに、待ち合わせ時間が迫ってきてしまい、取り敢えず、その時手に持っていた物だけを、精算して、店を出ました。
後ろ髪を引かれる思いでしたが「100円ショップで我を忘れて遅れました」なんて言い訳は、いくらなんでもマズいと、珍しく大人な判断をしたものです。
いやぁ、久しぶりの100円ショップって、とっても楽しいもんですね。
自宅の近くにもできてくれないもんかと、願っています。
着物を一人で着られたら、恰好いい。
そう思い立ち、着付け教室に通い出したものの、たったの1度、レッスンに通っただけ。
教室は4回で終了するコースだったのですが、2回目のレッスン前日に風邪を引いてしまい、泣く泣く休まざるをえなくなりました。
この風邪が長引き、3回目のレッスンも欠席。
こうなると、4回目に出る意味はないと判断。
結局、1度のレッスンを受けただけ。
当然、着られません。着物。
これで、着物熱が一旦は冷めたものの、しばらくすると、またぶり返してきました。
そこで、「一人で着られる・・・」などと謳った本を購入。
着付け教室に通うために買っていた、洗濯機で洗えるという化繊の着物で、トライすることに。
姿見の前に立ち、本に書かれているイラスト通りにやろうとするのですが、今一つ、どっちが上なのか、どっちからどっちへくぐらせるのかが、わかりにくい。
それでも、必死でイラストの通りに進んでいき、完成のページに到達。
が、なにがいけないのか、帯がずるずると落ちていく。
ふと姿見を見れば、「なにが起きたんだ?」と誰もが心配するような有様の女が映っていました。
無理。
イラストで学ぼうとした私がバカだった。
と、即、方針転換。
「これでバッチリ 一人で着られる着物・・・」とかなんとかタイトルのついたDVDを購入。
動画であれば、わからなかった箇所も、よくわかるはず。
どれどれと、ディスクをパソコンへ挿入。
モデルさんが、カメラの前で、一人で着物を着ていきます。
イラストではわからなかった細部も、とてもよくわかります。
やっぱり、動画で正解。
と思ったのも束の間。
延々と動画は続いていきます。
長いかも。
前のめりで見ていたのですが、疲れてきたので、背もたれに背中を預けるように、姿勢の変更。
やっと長襦袢が終わり、ようやく着物へ。
そして帯に。
ここで、ようやく気付きました。
一人で着るってことは、このように大変なのだということに。
DVDを見終わった私が、まずしたことは・・・ネットで、家の近くで着付けをしてくれる店の検索でした。
不器用な私が、あれだけのことを、たった一人でできるとは、到底思えません。
着物が着たくなったら、プロに頼もう。
そのために、今のうちから、探しておこう。
と、こういう発想に。
この境地に辿り着けただけでも、本やDVDを購入した甲斐があったってもんです。
いやいや、負け惜しみじゃなく、ホントに。
何店か見つけ、ブックマークしてありますが、その後「どうしても、着物を着たい」と思うことは一度もなく、未だに利用はしていません。
いつか、「そうね、今日は着物にしようかしら」ぐらいの気軽さで、さらりと着物を着こなせる女になりたいと願っています。
着付けはプロに頼むけど。
キラキラしているものが好きです。
バブルの頃は、女子大生だったので、ジャラジャラと派手なアクセサリーを身に着け、浮かれ遊んでいました。
当時の写真を見ると、相当にケバかったことがわかります。
ところが、30歳を過ぎて、金属アレルギーになってしまいました。
倹約の神様の計らいでしょうか。
アレルギーを起こしてまで、身に着けたいとは思わないので、ほとんど買わなくなってしまいました。
が、キラキラ好きの魂が死んだわけではないので、ブローチやヘアアクセサリーでお茶を濁しながら、自分の気持ちを抑えこんでいました。
と、ここ最近、金属アレルギーの人向けの専門ネットショップが登場。
さらに、アクセサリーのブランドショップも、アレルギー反応が出にくいと言われている金属を使用するなど、私のような者にも買える品が増えてくるように。
こうなると、倹約の神様には、ちょっとの間、休んでいただくしかないってもんです。
今まで、欲望を抑えてきた分、反動が凄くて、アクセサリーばかり買っているような気がします。
そうはいっても、そんなに高価な物が買えるわけでもなく、手頃な品ばかりではありますが。
これは、金属アレルギー向けと謳っていたネックレスではなかったのですが、ロングなので、ブラウスの上から二重にして身に着けることで、肌と直接触れず、アレルギーは起こしません。
今週、ネットで買ったネックレスは、ステンレス製のものでした。
ステンレスは、アレルギーを起こさない素材です。
オーストリアから届いた品は、とてもキラキラしていて、ステキ~と呟きながら、箱から取り出したのですが、いざ、身に着けてみようとしたところ、留め具が外れません。
それは、初めて見るような個性的な留め具。
ちょいと引っかかっているだけに見えるのですが、これが、歯を食いしばって押したり引っ張ったりしても、びくともしない。
「ペンチ」という単語が頭に浮かんできましたが、そのような道具を必要とするアクセリーがあるものかと、なんとか、素手で留め具を外そうと頑張りました。
が、どうにもダメで、結局、買ったところのカスタマーセンターにメールで質問。
商品番号を記入し、どうにも留め具が外れないのですが、コツはあるのでしょうか? と。
できれば動画で返信して欲しいよなぁと思いましたが、翌日届いたのは、テキストでの返信メール。
ネックレスの正面に向かって持ち、金属部分の左側を右へ、右側を左へ押すと、右のU字部分が外れる・・・と、書いてありました。
私は、ネックレスの裏側を手前にして、押したり、引っ張ったりしていたので、裏返し、書いてあった通りに、やってみると――なんと、簡単に留め具が外れました。
こんなことが、一人でできない己に呆れるばかりですが、カスタマーセンターのアドバイスの的確さには、すっかり感心してしまいました。
今後も、金属アレルギー向けの商品は増えていくのでしょうか?
嬉しいような、無駄遣いばかしてしまうので、恐ろしいような、複雑な気持ちです。