今はもう閉店してしまった喫茶店。
新宿の駅前にありました。
打ち合わせに利用する客のために、FAX機が用意されていました。
当時、携帯電話は普及していましたが、そこそこの量のデータを、急ぎで遣り取りするには、FAXを使うのが主流だったせいでしょう。
有料でしたが、送受信ができました。
フロアの隅には、小さな池があり、そこには鯉が泳いでいましたっけ。
なんとも不思議な店でしたが、居心地は悪くはありませんでした。
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ある日、その店で、一人、打ち合わせ相手が来るのを待っていた時です。
何の気なしに、隣席の会話を聞いていました。
ん?
もしかして、お見合い?
隣席との間には、目の高さ程度の衝立が一枚あるだけ。
テーブルは非常に近い距離にあります。
だから、耳をそばだてなくても、二人の会話ははっきりと聞こえてきます。
その会話から察するに、どうも初対面っぽいのです。
しかも、仕事の打ち合わせとも違った雰囲気。
衝立の幅は、テーブルの幅と同程度でしたから、ちょっと背もたれに身体を預けるようにしたら、二人の様子はしっかり見えるはず。
そう考えた私は、背もたれに身体を預けたり、不自然に伸びをしてみたりして、ちらちらと隣席を窺いました。
隣席の男女は、ともに年齢不詳。
女性は薄いベージュのワンピース。
その胸元につけた造花のデザインのブローチが、ちょいと大きい。
いつもより多めにつけてしまったといった感じのチークと相まって、そのダサさがなんとも微笑ましい。
一方の男性はというと、スーツを着ているのですが、太る前に買ったスーツですよね? と確認したくなるほど、サイズが2つは合ってない様子。
そして、この二人の間に流れる緊張感と、恥じらいが半端じゃない。
絶対、お見合いだわ、と、私は確信したのでした。
二人の緊張感が、衝立を越えて、こっちにまで流れてきます。
緊張感のせいなのか、口下手のせいなのか、会話はぽつりぽつりといった程度。
頑張れよ。
と、気が付けば、なぜか、応援していました。
会話が終わってしまった後の空白の時間が、息苦しいのなんのって。
やがて、用意していたネタをすべて出し尽くしてしまったのか、会話は途絶えてしまいました。
長い長い沈黙が続きます。
助けて。
こっちまで、気まずさに耐えられなくなってきました。
この沈黙を破るために、会話の糸口となるようなヒントを、紙に書いて、そっと隣のテーブルに差し出そうかと私が思った頃、男性の声が。
「あ、あの、どんな音楽、聴きますか?」
よしっ。
ひとまず、そのネタで引っ張れ。
と、このネタが、彼女のツボだったらしく、ぱっと顔を輝かせました。
ひとまず、しばらくは会話が続きそうでよかったと、胸を撫で下ろしていた時、打ち合わせ相手が到着。
できることなら、最後までこの二人を見届けたい気持ちでしたが、本来の用事を思い出し、打ち合わせに集中することに。
そして、懸案事項を片付け、ほっとして、隣席へ目を向けると・・・すでに2人の姿はありませんでした。
初々しかったあの2人の、その後がどうにも気になります。
2人のその後を勝手に想像し、小説にしてみようかと、そんなことを考えたりしています。
手紙を書くことが、というよりは、書かなくてはいけないシチュエーションに追い込まれることが、多々あります。
そんな時には、名前を入れた便箋を使います。
「おっ、名前入り」と驚かし、本文の字の下手さから気を逸らそうとする作戦です。
一つは、和紙に名前を入れたもの。
趣があってよろしいのですが、和紙の繊維が、万年筆のペン先に引っかかってしまい、その度に、ルーペをかざし、爪楊枝で繊維を外す作業をしなければならず、メンドーです。
もう一つは、少しモダンなテイストの入ったもの。
こちらは、対照的に紙質がつるつるしていて、お陰でペン先に繊維が引っかかることはないものの、あまりに抵抗感がないためか、字がさらにへたっぴーに。
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あまりに下手なので、一念発起し、数年前に、通信講座のペン字を習い出しました。
毎週、課題を提出し、無事、講座を修了。
この時点では、だいぶ修正され、見本のようにはいかないものの、なんとか見るに耐えられるほどにはなりました。
が、頑固なのか、慣れなのか、徐々に、元のへたっぴーな字に戻っていくんですね、これが。
いかん、いかん。
せっかくお金と時間をかけて、修正したのに、これでは元の木阿弥。
しょうがないので、新作の執筆が終わった後の、一ヵ月のお休み期間中などに、テキストを取り出し、復習を。
てなことをやってるうちに、ネットで習える習字講座なるものを発見。
ペン字の次は、習字ではないだろうか、と考えた私は、早速申し込むことに。
テキストを見ながら、課題を半紙に書いたら、それをPDFで取り込み、そのデータを送信して提出。
先生が赤入れをしたものが、ネット上にアップされるので、それを印刷して、ふむふむと理解するという流れです。
最初に提出した課題から判断されたのでしょう。八級からスタートすることに。
そんなに下にも、級ってあるんですね、と思った途端、大学一年の、習字の授業の苦い記憶が蘇ってきました。
国文科だったせいでしょうか。
習字は必修授業でした。
「いろはにほへ」の六文字からスタートし、先生から合格を貰えると、次に「とちりぬるを」へ進み、それが合格したら、「わかよたれそ」へ・・・と、進んでいきます。
上手な子が、平仮名を終え、カタカナを終え、漢字を終え、小筆で百人一首などをさらさらと書いているなか、私は半年間、ずっと「いろはにほへ」を書いていました。
先生から合格が貰えないんです。
先生のお手本の上に、半紙をおき、写して書いているというのに、合格が貰えない。
今、振り返ると、「先生も、いい加減、合格出してやれよ」と思いますね。
もう少しで、グレそうでしたから、私。
結局、半年間の授業を終えるまで合格を貰えなかったのですが、出席さえしていれば、単位は取れるという方針だったため、単位を取得することはできました。
大学の先生とは違い、ネットの習字講座の先生は、褒めて伸ばすタイプだったため、私の提出課題に、大きく二重丸なんかをくれました。
お陰で、不貞腐れたり、小石を蹴ったりすることなく、徐々に級を上げていくことができました。
楷書を終え、草書を終え、今は、一休み。
また、新たな講座を受講しようかと、考え中です。
フルーツが好きです。
減量中で、スイーツ類を食べるのを己に禁じている時など、フルーツの甘さは、幸せを運んできてくれますね。
少し前なら、スイカ。今年は結構、桃を食べました。そして今、冷蔵庫にあるのは梨です。
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以前住んでいたマンションの近くには、スーパーが乱立していて、安さを競っていました。
それを目当てに、夕方にもなると、結構遠くから自転車で女たちが、買い物にやってきていました。
それで、スーパーの前の狭い道は、常に自転車があふれていました。
自転車には乗らず、歩きの私は、自転車を倒さないよう、僅かな隙間を慎重に進んだものでした。
当時、なにを重要視していたかというと、「重さ」でした。
大根を買った日は、キャベツは買えない。
ジャムは2個まで。
お米を買ったら、もやしとか、ピーマンとか、軽い野菜しか買っちゃダメ。
などと、持ち帰る自分の握力を勘案し、今日は買える、買えないを判断していました。
こんな時、いつも「買えない」という中に入ってしまうのが、フルーツでした。
お米や味噌、醤油などといった、なくては困るものではないため、最後のふるいにのっかり、結果、今日は我慢しようという判断になってしまうのです。
現在は、週に1度、ネットで注文したものを届けてもらっています。
お陰で「重さ」の判断は不要に。
好きなものを、好きなだけ注文できます。
もっかの悩みは、いつが食べ頃なのかを判断すること。
ちょっと叩いてみたり、じっと見つめてみたり、と色々やっていますが、今日食べてしまった方がいいのか、明日まで待った方がいいのかを見極めるのって、難しいですよね。
そのうち、食べ頃がわかるセンサーが開発されるでしょうか?
食べたいフルーツに機械をあてると、「あと2日は待ってね」みたいなメッセージが出たりしたら、大助かりなんですが。
もし、本当にそんな機械が発売されたら・・・絶対、自分に機械をあててみる人、出ますね。
そして「もう処分しましょう」なんてメッセージが出て、自分の人生のピークが終わっていたことを知ったりして。
なんだか、私が大好きな作家、星新一さんの作品世界のような話になりました。
同じ親から生まれた兄弟姉妹でも、性格は千差万別。
同じ環境で、同じ育てられ方をされたはずなのに、違いがこんなにあるのは、どうしてなんでしょう。
性格は後天的なものではなく、先天的なものということでしょうか。
私は一人っ子のせいか、こうした兄弟姉妹の個性の差に、興味を惹かれます。
以前、知人が三人目を出産した際、病院にお見舞いに行った時のこと。
上の二人のお子さんは、三人目の誕生をどう受け止めているの? と尋ねたところ・・・上のお兄ちゃんは、三人目を見た途端「可愛いねぇ」とコメントし、頭をナデナデしたとのこと。
ところが、この度、末っ子から、お姉ちゃんと呼ばれる位置に移されることになった女の子は、病室に入ってくると、ちらっとお母さんの方には目を向けたものの、ベビーベッドはスルー。そのまま真っ直ぐ窓際まで進み、じっと外の景色を眺めたとか。そして「あっ、車だ」などと、どうでもいいことについて言葉を発したそうです。
いいでしょう、この女の子。
きょうだいが増えてしまったという現実と、まだ折り合いを付けられていない感じが、堪らなくステキです。
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性格が全然違うきょうだいに、意外な共通点があるというのを見つけるのも、面白いですね。
ある友人は三姉妹の長女。
妹二人とは、性格がまったく違うし、顔も全然似ていない。
当然、好きな男のタイプもバラバラ。
なのに、ある有名男優さんの結婚報道に、放ったコメントが、一言一句同じだった時には、打ち合わせした? と、思わず確認してしまいました。
この三姉妹は、また、咳をしている時の姿勢がまったく一緒という面白い共通点も。
顔を左斜めに向ける角度、背中の丸め方、口を覆う手の当て方・・・そんな無意識だと思われる動作が、同じなんですね。
見た瞬間、「おおっ、DNAの神秘」と感動すら覚えてしまいました。
三姉妹のもう一つ見つけた共通点は、題して「スプーン挿し」。
友人の家で、姉妹が揃い、そこに私も参加して、手作りカレーライスをご馳走になった時のことでした。
水の入ったグラスが、皿の横に置かれていたのですが、そこには水だけでなく、スプーンまで投入されていました。
これは、もしかして・・・と思い、周りの様子を窺っていると、姉妹らは迷うことなく、グラスからスプーンを抜き取りました。そして、そのスプーンで、カレーライスをひとすくいして口へと運びました。
なんだ、これは。
この水の役目はなんなんだろう。
濡らしておくと、汚れが落ちやすいとか、そういうこと?
ということは、スプーンを使う料理の時は、いつもこんななの?
箸は無造作にテーブルに置いてあるのは、スプーンとは扱いが別ってこと?
黙っていることが苦しくなった私は、思わず、左手を上げて、質問があると訴えていました。
聞けば、三姉妹のお母さんが、カレーライスの時だけは、スプーンをグラスの水に挿した状態で出していたそうで、それを三姉妹がすべての家でそうなのだろうと思って受け継いでいたということでした。
えっ? これはきょうだいの共通点というより、家ごとに存在するマイナールールの話だろうって?
はい、その通りでした。