100円玉を
- 2013年08月08日
なにが、がっかりするって、コインロッカーを使用した際の100円玉を、取り忘れたと気付いた時ほどがっかりする時って、ないんじゃないでしょうか?
美術館に行くと、大抵荷物を預けるコインロッカーがあります。
使用料は100円。
使用後は、その100円が戻されます。
が、この戻された100円を取り忘れるんですね。
もう何度もやっているので、忘れないようコインロッカーを開けた時には「100円、100円」と呟いています。
ところが、眼鏡をケースに仕舞って、バッグに詰めて、などとやっているうちに、忘れちゃう。
忘れ物はないよな、などとロッカーの扉を今一度開けて、指差し点検までするくせに、その人差し指は中の空間しか指していない。
私の人差し指は、100円玉の返却口は指さないのです。
だもんで、取り忘れる。
美術館の帰りにカフェに寄って一休みした後、支払いをしようと財布を覗くと、100円玉がない。
あれっ。
やってもうた。
と、ここからの心の葛藤が長い。
さっきの美術館に戻ろうか。
いや、すでに次の人が使おうとして、返却口に残っている100円玉を発見し、ラッキーと思ったに違いない。
いやいや、次の人は清廉潔白な人で、213番のロッカーに、この100円玉が残っていましたと、スタッフに申し出たかもしれない。
だとしたら、私が忘れましたと申告することこそが、清廉潔白な人に対する誠意ではないのか。
いやいやいや、私がその213番のロッカーに100円を忘れたおっちょこちょいだと、どう証明するのだ?
などと散々心を乱した結果、諦めよう・・・となるのです。
自宅への帰路、車窓から景色を眺めていながらも、心には、あぁ100円が・・・と未練が渦巻き、また、そんなちっさな金額でへこんでいる自分にうんざりしてしまいます。
こうなったら、マジックペンで、人差し指に「100円」と書いておこうかと、半ば真剣に考えたりしています。