コーヒーに執着
- 2013年12月26日
なにに執着が激しいかといえば・・・コーヒーかもしれません。
高校生までは、あんな苦いものを、どうして飲みたがる人がいるのだろうと不思議に思っていましたし、どうしてもコーヒーを飲まなくてはいけないシチュエーションだと、砂糖とミルクを大量に投入し、まったく違う飲み物のようにして口に入れていました。
そんな私が、いつ、どのようなきっかけで、コーヒーを好きになったのか、定かではありません。
気が付けば、なくてはならない存在に。
旅先などで、朝食が和食で、コーヒーが飲めなかった時には、頭の中には「コーヒー」という文字しかなくなり、その日の予定をすべてうっちゃっても、コーヒーを飲める場所まで行かなくてはとの強い想いに駆られます。
洋食の朝食でも、出てきたコーヒーが、残念ながら不味かったりすると、やはり「コーヒー」を飲める場所への移動を考えます。
人間ドックの日もそう。
その日は、朝からなにも口にせず、じっとしていろだの、強く吐けだの、目を瞑るななどと、あれこれ言われながら検査機器の間をベルトコンベアーにのったかのように移動し、心はささくれ立っています。
頭の中では「美味しいコーヒーが飲みたい」との欲望が渦巻いています。
午後三時頃になってやっと検査が終わると、真っ直ぐスターバックスへ。
クリニックが入っているビルの一階に、都合のいいことに、スターバックスがありまして、そこでラテを一杯。
コーヒーをずっと我慢して検査に耐えた自分に「よくやった」と称えながら飲む一杯の味は、格別。
ある地方都市に行った時のこと。
どしゃぶりの雨の中、不慣れな土地を地図を片手に、美術館へ向かいます。
傾斜のきつい、長い上り坂を息を切らせながらなんとか歩き、到着。
この時点で、コーヒーを欲求する気持ちはすでに沸点に達していました。
朝食で出たコーヒーは、大層薄くて「コーヒーです」と言われたから、コーヒーなんだなと理解したものの、そう言われなかったら、新しい飲み物かと思ってしまっただろう味で、ちゃんとしたコーヒーを飲みたいとの気持ちがあったのです。
が、駅から美術館の間に、コーヒーが飲めそうな店は見当たりませんでした。
しかし、それほど心配はしていませんでした。
美術館には大抵カフェが併設されていて、一服できるようになっているからです。
そこでは現代芸術家の作品が展示されていて、しばし芸術に浸ってから、さて、待望のコーヒーを・・・と思ったら、見当たらない。
スタッフに尋ねると、当館にはございませんとの返事が。
呆然としながらも、この近くでコーヒーが飲める場所は? と尋ねると、お待ちくださいといって、どこぞへ消えてしまいました。
しばらくして、先ほどのスタッフが、別のスタッフを伴って戻ってきました。その先輩っぽいスタッフが、とても自信なさそうな口調で「駅の反対側にあったと思うんですけど」と話しました。
ツッコミどころ満載で、どこから攻めたらいいのか、わからない。
駅から十五分以上歩いた距離にある美術館で、カフェを用意していないってどういうこと?
さらに、コーヒーを飲める場所がすぐに思い浮かばないって、どういうこと? 日常生活の中にコーヒーの存在がなさ過ぎ。
もっと言えば、駅の反対側にあったと思うと、はっきりしない情報を出してくるのは、どういう了見なのよ。
この街には、コーヒーは根付いていない・・・それが、なんだか口惜しかったです。