以前、通っていた皮膚科クリニックでのこと。
そこは駅から15分ほど歩いた住宅街の中にあり、不便さでいったら、かなりの高ポイント。
午前9時の診察開始に合わせて、10分前に受付を済ませ、皮膚科のドクターがいる診察室の前の長椅子に座りました。
そこは、内科と整形外科もあるのですが、ドクターの名字が全員同じなのを見ると、一族経営なのでしょう。
税金対策なのか、下のフロアでは、ミニミュージアムを開いているそうで、拝観料は無料だと謳ったチラシが置いてあります。
クリニックなのに結構なボリュームで音楽がかかっていて、見上げると、天井にBOSEのスピーカーが埋め込まれていて、細部にこだわって建設しましたという意気込みと、そういうことができるだけの金があるんだぞというメッセージが受け取れます。
その日、皮膚科の診察室の前で待っているのは、私だけ。
この感じだと、1番に診察してもらおうという目論見は成功しそうだぜ、とにやついていたのですが・・・。
午前9時になり、内科や整形外科の方では、名前が呼ばれて、患者が診察室へと入っていくのですが、私の名前は呼ばれない。
どうしたのかなぁと思っていると、「シューッ、ジュボボボボボ」という音が。
ん?
今の、まるで、スタバで、エスプレッソが抽出されている時の音とよく似ているなぁ。
でも、まさかねぇ。
ここ、クリニックだし。
患者が待っているのに、あんな大きな音をさせて、エスプレッソを淹れたりなんて、するわけないか。
だね。
と、自分の疑いを自分で打消しました。
やがて5分が経過し、10分が経過し、内科と整形外科の診察室からは診察を終えた患者が出てきたり、新たに患者が入って行ったりと動きがあります。
中には会計へとコマを進める患者も。
どういうこと? と思っていると、ようやく午前9時15分になって、私の名前が呼ばれました。
中に入って、丸椅子に座った私の目に飛び込んできたのは、ドクターのデスクに置かれたデミタスカップ。
空になっていましたが、カップの内側にはクレマの跡が。
飲んでた?
患者を待たせて。
15分も。
朝の一杯なら、家で済ませておけ。
せめて、患者にバレないよう努力しろ。
と思ってしまった私は、症状をドクターに説明しながらも、強い眼差しになってしまうのを、押さえることができませんでした。
単行本の「手の中の天秤」が発売になります。
書店には、11日か、12日ぐらいに並び始めるそうです。
この新作は、裁判員制度が進んでいった先が、こんな風になったら・・・という架空の設定で、物語が進んでいきます。
興味のある方は、このHP内にある、「手の中の天秤」のエピソードページをご覧いただくか、実際に書店で本を手にお取りください。
仕事場に飾り棚があり、新刊が手元に届くと、そこに飾ります。
そこには、これまで発売した本が、ノーコンセプトの順で並んでいます。
「手の中の天秤」を空いているスペースに収めようとした時、こうした黒ベースの装丁は、単行本では初めてだったな、と気付きました。
装丁はとても大事で、編集者と何度も話し合って、決めていきます。
私から具体案を提示はできないので、デザイナーさんから上がってきた案を見て、あーだこーだ意見を言うだけなのですが。
これ、1度迷い出すと、大変なんです。
こっちもいいような気もする。
でも、こっちの方が、目立つ気もするし、いや、こっちの方が、作品の世界観に近いんじゃないだろうか、なんて。
さらに、私の意見と、編集者の意見が違うことも勿論あり、さらに営業担当は、別の意見がある、となることもあって、そうなると、さて、どうしたもんかと。
このまま本にならないんじゃなかろうかと思う時さえ、あるのですが、これが不思議なもんで、なんとか調整し、ちゃんと形になるんですね。
調整役の人、ご苦労様でした、と労う気持ちになったことが、何度もありました。
「手の中の天秤」では、デザイナーさんから上がってきた複数の案から、徐々に絞り込んでいったのですが、私と編集者の意見が大体同じだったため、実に平和な道のりとなりました。
重厚さと疾走感が絶妙に混じり合った、素敵な装丁になりました。
中身も、装丁に負けないぐらいのものだったらいいのですが・・・。
まずは、ご一読を。
今日は、愛用している電卓をご紹介。
これ、結構、デカくて、縦が20センチ、横は15センチ弱あります。
数字が表示される部分が、角度を変えられるようになっていて、人差し指でぐいっと、立ち上げれば、簡単に見やすい角度にすることができます。
電卓について詳しいわけではないので、ほかの電卓にもあるかもしれないのですが、( )のボタンがあるというのは、とても便利ですね。
「MC」とか「MR」「M-」「M+」のボタンなんか、押したことがありません。
なにをする時、使うんでしょうか?
「SET」というボタンも「√」のボタンも、押したことはありませんが。
( )ぐらいなら、算数の授業で使い方を習ったので、その通りに、ボタンを押していけばいいので、気軽に使えます。
「→」のボタンも、便利ですね。
あっ、間違えたといった時、1つだけ戻れるというのは、とても助かります。
こうした便利な機能がたくさんある電卓を使っても、計算した結果が違うということが、しばしば起こります。
まず、計算をして、その結果を、メモします。
念のため、もう1度、計算をすると、あら、大変、さっきの計算結果と違っています。
それで、今度こそと、3度目に計算してみると、また、初めて見る数字が出てきて、参ったなと呟くというパターンは結構あります。
たいして、大量の数を扱ったわけでも、難しい計算式を使ったわけでもないんですけどね。
ただの足し算だけでも、こんな状態になることがあるから、己が残念です。
で、どうするかと言いますと、もう1度計算をし直す・・・とはならないんですね。
また、違う数字が出てくる可能性もありますから。
なので、出た3つの数字のうち、中間の数字を、採用します。
まぁ、ここら辺だろうと推測するわけです。
そんな程度で、いいのかよと、思われるでしょうが、こんな程度で、なんとかなっているから私も不思議に思います。
ごくたまに、1度目の数字と2度目の数字がぴったり同じという奇跡がおきます。
「なんか、今日はいい日」と、茶柱と同じ扱いです。
今頃、「24」を観ています。
先日、やっとシーズンⅣを観終わりました。
これ、あと、どれくらい続くのでしょう?
DVDで観ているので、1話は約45分。
濃密過ぎて、観終った後はぐったりしてしまいます。
1枚のDVDには、2話分入っているので、90分、緊張のしっぱなし。
テレビ放送していた時は、間にコマーシャルがあったでしょうから、それが、いい塩梅に緊張感をほぐす効果があったのかもしれませんが、DVDだと、息の休まる時がない。
誰がスパイなのか、裏切り者なのかわからないので、ちょっとした俳優さんの表情の変化を見逃してはいけませんし、1つのセリフも、聞き漏らしてはいけませんからね。
思わぬ人が敵だったとわかり、げっ、あんただったのかよと、何度呟いたことか。
また、メインのストーリーは、主役のジャックがテロと戦うということなのですが、同時進行で、複数の物語が絡み合っていきます。
こっちもまた、息詰まるような展開。
娘よ、頼むから、じっとしていてくれ、と、ジャックの代りに画面に向かって、何度懇願したことか。大統領夫人に対して、あんた、サイテーと声を上げたのも、一度や二度じゃありませんでした。
爆破シーンなども、半端じゃない迫力で、どんだけの予算があるんだろうと、制作費についてあれこれ計算してみたり。
これだけの濃密なストーリー展開を、作り上げていくスタッフの苦労も、想像に余りあります。
テレビドラマの場合、回によって、脚本家が変わるというのはよくあるようですが、この「24」に関しては、それはちょっと無理なようにも思います。
とすると、複数のスタッフで、何百回もの打ち合わせをしていく、というような進め方なのでしょうか。
それは、それで、また別の苦労があるようにも思います。
いずれにせよ、この「24」にすっかり魅了されている私は、次のシーズンも観てしまうでしょう。
1話を観終る度、ぐったりするとわかっていても。