電車の中でのこと。
その車内は空いていて、ほぼ全員が座っている状態でした。
私はシートの中央付近の場所を確保し、のんびりと窓外の景色を眺めたり、中吊り広告の文字を追ったりしていました。
ふと、向かいの席の男性に目が留まると・・・。
四十代と思しきスーツ姿の男性が、熱心にスマホを操作しています。
左手に持ったスマホを、左の親指でタップしています。
が、問題は右手。
右の人差し指は、なんと、自分の口の中に。
人差し指を銜えた状態で、スマホをしていたのです。
多分、人差し指を銜えているという意識、ないんでしょうね。
無防備過ぎます。
中年のオッサンが、堂々と人前で、自分の指を銜えているのを見たのは、生まれて初めてでした。
このオッサン、会社のパソコンを操作する時は、大丈夫なんでしょうか?
多分、大丈夫じゃないよなぁ。
パソコンのキーボードを叩く時は、口から指が離れたとしても、ずっと叩いている仕事というのはあまりないような。
考えたり、画面を見たり、といった時間は、少なからずあるのでは。
としたら、やっぱり、いっちゃうんじゃない? 指が口に。
だとすると、絶対、女子社員たちから、陰で変なニックネーム付けられてるだろうなぁ。
でも、本人が気付いてないから、直すことはできないし。
なにかに夢中になればなるほど、彼は指を銜え、それを見た女子社員たちは「またやってるわよ」と目配せをしあったりするんだろうなぁ。
ここはひとつ、上司から「君、指を銜えるのは、やめたらどうかな」と注意してあげてほしい。
でも、「それ、パワハラです」となったりしたら困るから、見て見ぬふりしてるのかなぁ。
こういう時、まったく空気を読めない新人君なんてのが1人いるといいんだよなぁ。
「○○さん、なにしてるんっすか、指なんて銜えて」とさらっと軽くつっこんでくれたりして。
職場は一瞬凍り付くんだけど、とうとう言ってくれた、なんて、少しほっとした空気が流れたりするんだろうなぁ。
なんて、妄想を膨らませているうちに、電車は私が降りるべき駅に到着。
指を銜えたオッサンのこれからが、やけに気になり、後ろ髪を引かれる思いで、私は電車を降りたのでした。
この間、人生で1番マズいカレーライスを食べました。
自分で作ったものです。
ひと口食べて、あまりのマズさに、史上最強だと思わず呟いてしまいました。
これをどう修正したらいいのかと考えてみましたが、まるっきりアイデアは浮かんできませんでした。
捨てるのは勿体ない気もして、仕方なく、食べきりましたが、スプーンって、こんなに重かったっけ? と思うほど、口に運ぶのが嫌になるほどのマズさでした。
知人に話したところ、どんなルーを使ったのかと問われたので、確かパッケージには、ベジタリアンのためのカレールーとかなんとか書いてあったと答えました。
知人は、それが原因だろうと指摘しました。
そういうちょっと特殊なルーなら、パッケージ裏の説明書きにある通りの分量できっちりと作らなければいけないところを、あんたのことだから、こんなもんだろうといったノリで、やったに違いないと言います。
その通りだったので、私はうな垂れるしかありませんでした。
いやぁ、それにしても、カレーが、こんなにマズくなるなんて、夢にも思っていませんでした。
それまで、カレーというのは、誰が作っても、そこそこ美味しくできる、夢のような食べ物だと思っていましたので。
これを機会に、「あなたのカレーライスのオリジナルな点は?」といった質問をするようになりました。
すると、出てくる、出てくる、オリジナルレシピが。
出来上がったカレーに生卵をかけるとか、納豆をかける、なんていうのは、もはや平凡。
コクを出すために餡を入れるという人や、苺を入れるという人、具にはじゃがいもを使わず、厚揚げを使うという強者もいました。
試してみようとは1gさえも思わない、レシピばかり集まった感が、否めませんが。
で、私はというと、ベジタリアンでもないのに、ベジタリアンのためのルーを使うなどという小賢しい真似をしない時は、フツーのカレールーで作ります。
具は、その時、冷蔵庫にあるもので作るので、決まりはありませんが、白菜を入れると甘くなって、割と好きです。
仕上がりの見た目が、びちょびちょになってもちっとも構わないという方にはオススメです。
あれば、インスタントコーヒーとウスターソースとトマトケチャップを入れます。
入れることで、コクが深まるような気がします。あくまでも「気」なのですが。
あと、チョコレートを入れることもあります。
大量に入れると、味が変わってしまうので、板チョコだったら、2欠片程度の量で充分です。
未体験で勇気のある方は、1度トライしてみてください。
手紙をよく書きます。
字が下手なので、却って失礼にあたるのではないだろうかという不安を感じながらも、手書きにこだわっています。
以前使っていたのは、和紙の便箋でした。
その柔らかい風合いが好きだったのですが、万年筆のペン先が、和紙の繊維に引っかかり、滲んでしまうことが多くて、どうしたもんかと思っていました。
ある時、ネットで見かけた便箋に心を惹かれました。
なんでも、万年筆で書くことを前提にしている紙だとか。
そりゃあ、いい。
ということで、早速注文。
名前を入れることもできるようでしたので、お願いすると、仕上がりまで4週間かかるとのこと。
そ、そうですか。そんなにかかりますか。しょうがないですね。ま、急ぎませんので、お願いします。
てなことで、注文して、やっと届いたのがこちら。
とっても書き易いです。
ペンの滑り具合や、インクの乗りかたなども、ちょうどいい感じ。
罫線の間隔も、広過ぎず、狭過ぎずで、絶妙な塩梅になっています。
で、せっかく、いい便箋を手に入れたので、それを送る時の切手にもこだわって、オーダーしてみることに。
それが、こちら。
ご存知でしょうか?
これが「桂の葉」です。
ハートの形をしている葉っぱなので、もっと、皆さんから愛されてもいいように思う木なのですが、今一つな知名度が、「桂」という名前の私には残念でなりません。
この切手を貼って、手紙を送っていますが、オーダーしたオリジナルの切手だということ、それが「桂の葉」であることに、気付かれた方は、一人もいらっしゃいません。
そんなもんなんですよね。
自分のこだわりの度合いと、他人からの注目度の差って、大きな開きがあるもんです。
文庫「嫌な女」が書店に並んでいます。
お手に取っていただいたでしょうか?
執筆する際、音楽は必須。
1つの小説に、1枚の音楽アルバムを選び、それをテーマ曲として、執筆中の半年ほどの間、毎日、延々と聴き続けます。
これをパブロフの犬作戦と呼んでいます。
毎日続けているうちに、やがて、その音楽を聴けば、自然と小説の世界を思い出せるようになるからです。
昨日嫌なことがあった。
今夜、楽しみな予定がある。
といった、気もそぞろになりがちな時、音楽アルバムをかければ、すっと小説の世界に入れます。
これは、とても助かります。
「嫌な女」の文庫化にあたり、3年ぶりに原稿をチェックする時にも、まず、テーマと決めた音楽アルバムを流します。
すると、あぁ、そうそう、これね。
という具合に、3年前にすんなり戻れるのです。
では、「嫌な女」執筆時の音楽アルバムはなにかというと・・・これ、決まるまでが大変でした。
音楽をダウンロードして購入することができない私は、精一杯勘を働かせて、音楽CDを片っ端から買っていきます。
大抵は、そうやって買った中から「これだっ」というのが見つかるのですが、「嫌な女」の時は、全然、フィットするものと出会えませんでした。
買っても、買っても、違う。
どんだけ買うはめになるんだろうとの不安もよぎります。
「小説と世界観が近いもの」だの「切ない感じなんだけど、重くはない感じ」だの「ちょっと懐かしい感じも欲しい」だのという、抽象的過ぎて、よーわからん私の希望を、出版社の担当編集者は辛抱強く聞いてくれて、「これは、どうでしょう」と提案して手伝ってくれたのですが、それでも、なかなかこれぞというものに出会えずにいました。
ええいっ。こうなったら、昔の音楽CDからも探そうじゃないかいっ。
ということで、押し入れの奥に仕舞っていた昔の音楽CDを引っ張り出し、一枚ずつ聴いていきます。
と、「あっ、これだっ」という1枚を発見。
久保田利伸さんの「As One」というアルバムでした。
2000年に発表したもののようです。
聴いているうちに、どんどん小説の世界が広がっていく気配があって、これで、ようやく執筆をスタートできるとほっとし、嬉しくなったことを覚えています。
では、「嫌な女」を読んでくださる時はどうかというと・・・それぞれの方が、それぞれのタイミングで、それぞれの方法で読むのだと思います。
移動中なので、周囲の雑音をBGMとする方。
カフェで、店内のBGMを聴きながらの方。
家で、最近のお気に入りの音楽を聴きながらの方。
家事の合間に、洗濯機が動く音を聴きながらの方。
ベッドの中で、無音の状態で。
そんな時、小説と読者の間でどんなコラボが展開されているのでしょうか。
どなたかに、尋ねてみたい気がしています。