ブレーカー

  • 2013年05月23日

今の部屋に引っ越したばかりの頃、ブレーカーを落としてばかりいました。
それ以前に住んでいた部屋より、電化製品が多く、それらが、どれほど電気を使うかということがわかっていなかったせいです。
料理をしている途中で、突然の暗闇。
夜だと、当然ながら、まったく光がありません。
そんな状態で、ブレーカーのある場所まで移動するのは、結構大変。
手を伸ばして、恐る恐る足を動かします。
ここら辺に扉があるはず。
ない。
おかしい。
開けっぱなしだったっけ?
などと、不審に思いながら、突き進むと、ドンと手に衝撃を感じて「痛っ」と叫ぶことになったり。
bure-ka-
我が家のブレーカーは、玄関ドア近くの、シューズラックの中にあります。
やっと、このシューズラックまで辿り着いても、ブレーカーがここら辺にあるということはわかっても、真っ暗で見えないので、スイッチがどこにあるのか、わかりません。
なんだよ、こういうところに、非常灯、必要じゃね?
と、施工業者にツッコミを入れる暇があったら、懐中電灯をシューズラックに用意しておくべきですよね。
前回、ブレーカーが落ちた時、ここに懐中電灯が必要だと思ったのに、そのままにしていた私が悪いんですから。
で、どうするかというと、そのうち、目が暗闇に慣れて、ぼんやりでもいいから、スイッチの場所が見えてくるんじゃないだろうかという、無駄な希望をもって、しばしじっとしています。
が、見えてくるわけもなく、玄関ドアを開けるという次のステップへ。
玄関ドアを開けると、エレベーターホールの天井にある電灯が点きます。
この灯りを頼りに、ブレーカーの位置を探そうとトライします。
が、この玄関ドアが、メッチャ重い。
片手では、とても支えていられないぐらい。
なので、両手で玄関ドアを開けます。
で、差し込んできた灯りを頼りに、スイッチの位置を確認。
スイッチをしっかと睨み、目を離さないようにして、さっと玄関ドアから手を離し、素早く、目が覚えていたスイッチの位置に手を伸ばします。
大体3回目のトライで、目当てのスイッチに触れることができます。
こうしてスイッチを入れて、灯りが付いた時は、ちょっと感動的でもあります。
これは、ブレーカーを落とした人にしか、わからない感覚かもしれません。
こうしたことを何度か繰り返すうちに、ブレーカーを落とさないよう、常に気を配るようになっていきます。
レンジを使う時は、エアコンを付けない。
布団乾燥機を使う時は、洗濯機は回さない。
などというルールを作り、それを守っていれば、ブレーカーは落ちないというラインをおおよそ把握して以降は、暗闇で扉に手をぶつけたりせずに済んでいます。
工夫次第で、多少は生活がし易くなるってもんのようです。

お中元

  • 2013年05月20日

学校の担任教師に、お中元やお歳暮を贈る習慣は、今もありますか?
私が小学生の頃は、ありました。
そして、小学校の1、2年を担当した女性教師は凄かった。
教師の方から、半年に1度、食用油や石鹸を40個も貰うのは、迷惑だ。
だから、私が欲しいものにしてほしい。
と、このようなリクエストがきました。
で、私が欲しいのは、○○デパートの1階のバッグ売り場の、右から2つ目の棚に並んでいる○というメーカーの黒のバッグの○円の品だ。
PTAの役員は、それを代表して買ってきて、それをクラスの人数で割って、各自がそれぞれの金額を負担すればいい。
と、こう、担任の教師側から言ってくるんですからね。
凄いですよね。
まぁ、確かに、お中元やお歳暮の品といえば、昔はそれほど品数もありませんし、カタログ形式で、好きなものを選ぶといった方法はありませんでしたから、食用油と石鹸だらけになって困るというのが本音ではありましょうが、それにしたって、そういうリクエスト、しちゃう? 教師が。
親たちも、心の中では「すっげぇな」とは思っていたのではないでしょうか。
otyuugenn
小学校3年生になると、担任が変わり、若い男性教師になりました。
さぁ、大変。
教師からは、当然といっちゃ、当然なのですが、リクエストが出てこない。
だとすると、若い男性教師の元に、40個ほどの食用油と石鹸が届くことになる。
それとなく、それでいいのか探りを入れてみるべきではないのか――といった意見が出ます。
で、PTAの役員が、精一杯それとなく探りを入れてみたところ・・・お中元やお歳暮なんて、いりませんから、と言われてしまったとのこと。
こうなると、親たちは困ってしまいます。
全員が、それじゃ、お中元もお歳暮も贈るのはやめましょうと決めたとしても、必ず裏切り者っていうのが出る。
絶対に、絶対に、抜け駆けしませんね? と確認しあう、疑心暗鬼がクラスの親たちを襲います。
その頃、連日、何人ものクラスメイトの親たちから電話があったことを覚えています。
親たちはいったい、なにを毎日、相談しているのだろうと、当時の私は不思議に思っていました。
子どもたちはというと、親たちのそういったことに興味を示す子はまったくいなくて、なんか、電話をし合っているな、ぐらいの認識でした。
やがて、そうした親の誰からともなく、こう言われるようになったそうです。
こうなってみると、1、2年の時の女性教師の時の方が、楽だったねと。
なんだか、親たちも大変でしたね。

半身浴

  • 2013年05月16日

最近は、シャワーだけで済ませてしまう方も多いようですね。
ですが、私は、毎日、浴槽に湯を張り、のんびりと浸かります。
冷え性の私には、身体を温めるということは、とても重要なことなので。

部屋探しをしていた時のこと。
不動産屋の担当者と現在の部屋を訪れ、あれこれ見学していた時、風呂場もチェックしました。
担当者は「ここのお風呂場は窓が大きいので、電気をつけなくても、ほら、こんなに明るいんですよ」と、アピールしてきました。
なるほど、そりゃあいい。
と、納得し、ほかの諸々の要素も気に入ったため、その部屋を借りることにしたのですが、住み始めて気付いたのは、「私は昼間、お風呂に入る習慣がない」という事実でした。
夜にしかお風呂に入らないので、窓が大きかろうが、小さかろうが、電気をつけなくてはなりませんし、開放感といったものも、まったく感じられません。
なんだかなぁと思ったものの、以前借りていた部屋の風呂場と比べれば、格段に広いので、その点にのみ、満足するようにしています。
hannsinnyoku
ほぼ毎晩、半身浴をして、読書をします。
30分ぐらいでしょうか。
浴槽の蓋が2枚あるので、1枚だけを湯船の上に広げ、そこにタオルを敷きます。
両腕を蓋の上に置き、タオルの上に置いた本を捲るというスタイルなので、とても楽な格好で読書ができます。
以前住んでいた部屋はユニットバスで、浴槽に蓋はありませんでした。
ここでの半身浴と読書は、しんどかった。
おへそ辺りまで湯をためて、そこに身体を沈めます。
で、あぐらをかきます。
が、小さな浴槽なので、あぐらといっても、両膝を、底につけることはできません。
膝頭と膝頭の間を15センチほど開くのが、精一杯の浴槽の幅でした。
そうやって、あぐらと体育座りの中間のような恰好をしたところで、太腿に両肘を置きます。膝から5、6センチほど股関節よりのあたりが、ちょうどいい位置でした。
そうやって、自分の太腿を支えにして肘をつき、本を持ち上げるようにして、読書をするのです。
重いです。
分厚い単行本だと、結構、ガッツがいります。
読書タイムを終える頃には、両の太腿には、自分の肘が付けた、圧迫痕が。
そこまでして、なんで、本を読むのか? との問いが、当然出るかと思われますが、その答えはもってないんですね。
強いて挙げれば、冷え性なので、半身浴で身体を温める必要がある。
その温めている間、なにもしないでいるのは耐えられない。
だったら、読書したい。
といった発想だったように思います。最初は。
それが、いつの間にか、とにかくどんな風呂場環境であっても、読んでやるんだ、私はという意地みたいなものが生まれて、現在に至るといったところでしょうか。
友人らからは「本が、湿気でべこべこにならない?」とよく聞かれますが、意外と大丈夫なんですね。
ただ、電子書籍はさすがに無理かと。
最近は、編集者などから電子書籍を読めるという端末の説明を受ける機会も多いのですが、その度に、「で、それはお風呂場でも使えるの?」と質問をして、困らせています。
端末によっては、別売りされているグッズを装着することで、風呂場でも使用可能のものもあるという話も聞きますが、どんな使い勝手なんでしょうか?

文庫「嫌な女」の発売

  • 2013年05月13日

「嫌な女」の文庫が発売になります。
5月14日(火)から書店等に並び始めます。
単行本を買いそびれた方(!)は、この機会にどうぞお買い求めください。
P1010125
文庫化にするにあたって、改めて原稿をチェックする作業を行います。
原稿を書いた時から、およそ3年が経っています。
3年ぶりに自分の原稿と向き合う時の気持ちを、言葉にするのは、なかなか難しいもんです。
そうそう、ここ、苦労したんだったわ、と思い出したり、あれっ、こんなこと書いてたんだと驚いたり・・・。
基本的には、単行本を出した時の気持ちを第一にして、修正は最低限に抑えるようにしています。
原稿を読んでいると、様々なことが思い出されてくるのですが、それらは大体、細かいことでして。
そういえば、まだ書き出す前の打ち合わせで、麻布のカフェがドアを開け放していたために、すっごい寒くて、コートを脱げないままだったなぁとか。
別の打ち合わせの日には、下ろしたてのバックベルトのサンダルがきつくて、何度も、ベルト部分を下ろしてしまおうかと考えるあまり、なかなか集中できなかったこととか。
そうした思い出の中で、最も強い記憶となって残っているのは・・・書き終えた時のこと。
全身から力が抜けてしまい、椅子にちゃんと座っていることさえできず、床に蹲りたくなるような感じでした。
それから放心状態に陥り、随分長いこと、白い壁を眺めていました。
私としては、かなり難しい挑戦をした作品でしたので、「おっしゃー」と雄叫びを上げるとか、思わずガッツポーズを取ったとか、そういうはっきりとした喜びの瞬間が訪れるのではないかと、少し期待していたのですが・・・。
実際は、白い壁を見つめ続けるという、とても地味な原稿アップのシーンとなりました。

かなり綿密にプロットを作ってから、書き始めるのですが、その通りに進むかというと、全然そうはならず。
プロット通りになるのは、半分ほど。
残りの半分は、キャラクターに委ねてしまいます。
キャラクターが、思わぬ行動を取り始めたら、もう私はついていくだけ。
と、こんなことを言うと、「あなたが書いているんだから、あなたのさじ加減ひとつでしょうよ」とごもっともな意見を賜ることもあります。
至極まっとうな指摘です。
でも、残念ながら、私のさじ加減では、どうにもならないんです。
ここら辺の不思議な感覚は、なかなかご理解いただけないのですが。
「嫌な女」でも、登場人物たちが、私の意図とは違う動きをして、私も戸惑うということが結構ありました。
彼女たちの生き様に、最後は拍手を送りたくなっていたのも、作者としてよりは、友人のような感覚が強かったせいかもしれません。
二人の女の生き様に興味をもたれましたら、ぜひ、ご一読を。

ブログ内検索

  • アーカイブ


  • Copyright© 2011-2025 Nozomi Katsura All rights reserved. No reproduction and republication without written permission.

    error: Content is protected !!
    Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.